子供はかまってくれない

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映画「ブルーアワーにぶっ飛ばす」:「天然コッケコー」の夏帆,アラサーになる

2019年11月10日 21時15分28秒 | 映画(新作レヴュー)
思春期の入り口に立った田舎の中学生の,感性の危なっかしいうつろいを描いた「天然コッケコー」は,故Rei harakamiが作り出した,小川の清流を打楽器で表現したようなデジタル音と共に,いまだに山下敦弘の最高傑作として輝きを放っている。箱田優子の「ブルーアワーにぶっ飛ばす」はまるで,夏帆がそこで演じた中学生が東京に出てきて,様々なしがらみという名の泥にまみれ,くたびれ果てた演出家の生活から逃げ出すように帰省を果たす数日間を描いた作品,とも読めるフレームになっている。シム・ウンギョンという最高のパートナーを得て,親や兄や田舎の空気と混じり合って立ち上がる姿は,格好悪くとも年輪を重ねることの重みを立体化して実に見応えがある。

CM演出家として俳優の我が侭に堪えながら日々汗をかきつつ,スタッフと泥沼の不倫を続ける主人公砂田(夏帆)は,ひょんなことから親友清浦(シム・ウンギョン)と共に故郷に帰省することになる。
東京での生活とのギャップ,両親の老い,夫への後ろめたさ,そして友の温もり。帰省することによって見えてきた自分を取り巻く環境を構成する種々の要素を,静かに見つめ直すことで,改めて都会で生きる決心をする砂田をカメラは淡々と捉えていく。その点では間違いなく題名に偽りあり。砂田と清浦はリドリー・スコットの「テルマ&ルイーズ」のように,自由と解放を求めて車で空中に飛び出すことはしない。「ぶっ飛ばす」のは都会の,納豆の粘りとは無縁の味気ない時間の流れであり,それに日々流され続ける自分のことのように思えてくる。

特に事件は起こらない。スクリーンに映し出されるのは茨城の田舎道と古い家と大雨と納豆をまぜる手。近藤龍人のカメラは子供時代の砂田が走るあぜ道と都会の夜明けを重ねて,ブルーアワーのはかない光を救いだす。
東京で夏帆が喋っていたスピードと密度が,いつの間にか茨城仕様に変わっていく様も楽しい。ワンシーンだけの出演ながら,伊藤沙莉がさらうスナックのシーンもしっかりと映画の厚みを構成する要素となっている。
夏帆の虚無とウンギョンの柔らかな大らかさが,厳しい現実にサバイブするための武器にも見えてくるラストに聞こえてくるのは,NHKの「ドキュメント72時間」のエンディングテーマを歌う松崎ナオの歌声。
「勝手にふるえてろ」の大九明子に続く期待の星の登場だ。
★★★★
(★★★★★が最高)


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