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映画「ブリッジ・オブ・スパイ」:銃弾の代わりに飛び交う視線

2016年01月24日 11時13分02秒 | 映画(新作レヴュー)
SFやファンタジーから歴史物まで,実に幅広いスティーヴン・スピルバーグのフィルモグラフィーの中でも,第1次世界大戦を扱った「戦火の馬」から,冷戦真っ只中のアメリカとソ連の駆け引きを描いた本作まで,「戦争映画」にジャンル分けされる作品は実に6作を数える。その内容もリアルな戦闘シーンをフィーチャーしたビッグバジェットの作品から,銃弾が飛び交うことのない本作まで多岐に亘るが,共通しているのは,一人の二等兵を救うために奮闘する中隊を描いた「プライベート・ライアン」に代表されるように,戦争の犠牲者を「数」ではなく,常に国家に翻弄される「個」で見るという姿勢だ。それが貫かれた本作もまた,国家という得体の知れない大きなフレームの横暴に抗う,個人の尊厳を描いて見事だ。

物語を一言で括ってしまえば「敵対する大国が自国領土で拘束したスパイ同士の交換交渉を成立させるため,ひとりの民間人が身体を張る話」ということになる。ただしその修羅場で飛び交うのは,銃弾や迫撃砲ではなく,同胞愛と意地と思惑と敵愾心とプライド,その他諸々の感情とが複雑に混ざり合った「視線」という武器だ。更にその視線が交わされるのも,敵国同士の間だけではない。ソ連側スパイのアベル(マーク・ライランス)の弁護を引き受けることになる主人公の弁護士ジム(トム・ハンクス)は,ソ連および東ドイツを相手に丁々発止とやり合うだけではなく,自国においてさえ列車の中で同胞から非難の眼差しを受けた上に,仕事を依頼した事務所の上司(アラン・アルダ)からも冷たい視線を浴びせられることになる。

そんな言葉を介さない視線のやり取りを,時にスリリングに,時にユーモアを交えながら描く脚本は,ジョエル&イーサン・コーエン兄弟(マット・チャーマンと共同)の仕事。交渉場所であるベルリンから家に電話をして「私がいないということに子供たちは気付いているか?」と訊く何気ない台詞や,アベルの偽の家族に扮した妻のわざとらしい演技で笑わせる小技が,国家の安全保障の面からはリスクしかないように見える学生の解放を強硬に主張する,ジムのヒューマニズム溢れる行動を,柔らかく補完する。

この役をこなせるのは彼しかいないと思わせるトム・ハンクスの王道を行く演技も,マーク・ライランスの最後まで尊厳に満ちた佇まいも,スパイを解放する場面でアメリカ人のスパイの帰還をハグで迎える姿を手前に,抱擁もなく淡々と迎えられるアベルの姿をロングで,ひとつのショットに収めて見せたスピルバーグの映画的節度のいずれもが,大人の映画の風格に満ちている。ジムさん,お疲れさま。
★★★★☆
(★★★★★が最高)



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