子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「マイ・ファニー・レディ」:「胡桃にリスをあげる」のどこが名台詞なのか?

2016年01月16日 12時51分45秒 | 映画(新作レヴュー)
ピーター・ボグダノビッチ。フライヤーには「巨匠」という冠が付いているのだが,「ラスト・ショー」「おかしなおかしな大追跡」「ペーパー・ムーン」という映画史上に残る作品を30代前半に連発しながら,ほぼ40年以上に亘って「雌伏しっぱなし」という印象しかないシネアストが巨匠なら,堺正章はどうなるのかと思ってしまったりしたのだが,忘れた頃にやって来るのが天災と「マイ・ファニー・レディ」。ウェス・アンダーソンとノア・パームバックという泣く子も黙る当代きっての若手に推されて撮り上げた新作は,「おかしなおかしな大追跡」の夢よもう一度とばかりに挑んだスクリューボール・コメディだった。

ブロードウェイの演出家であるアーノルドから「3万ドルあげるから人生を変えなさい」と言われたことをきっかけに,コールガールから女優に華麗なる転身を果たしたイジーの告白という体裁を取って語られる,複数の男女の恋模様。
ひとつのシークエンスの断片を切り取って観たなら,ところどころ「調子の上がらないウディ・アレンか?」と思わされる部分もある。オーウェン・ウィルソンのちょっと鼻にかかったエロキューションは,いつも通りおとぎ話を語るためには最適の響きをまとっているし,ヒロインを演じるイモジェン・プーツのまさに「ファニー」な可愛らしさは,本作同様に年齢を問わず世の男性(勿論私も含めて)を惑わす魔法を持っている。

だが肝心の物語が弾けない。登場人物が期せずして一堂に会してしまうことで,複数の人間関係が明らかになるレストランのシークエンスがその典型だ。アレン作品なら間違いなく驚きと怒りと嫉妬と復讐が絡まって,「なんてこった!」と嘆くアレンの姿でフェイドアウトするまで,阿鼻叫喚の罵り地獄と化すであろうシークエンスが,単なる人間関係の説明に留まりドラマへと昇華していかない。若い女に執着し続ける高齢者や人の話を聞かないセラピストなど,大人のコメディに相応しい素材を幾つも用意しながら,ほとんどまったく笑えない台詞も,本作が目指したはずの「ソフィスティケイト」されたコメディからはほど遠い水準に落ち着いてしまった大きな要因だ。

前述した作品でスターダムにのし上がったシビル・シェパードやテイタム・オニールが,端役で出ていたこともクレジットを観るまで気付かなかったが,そんな姑息なネタがなくとも,初見の観客の腹をよじらせるような笑いを観たかった。これがボグダノビッチの「ラスト・ショー」にならないよう,ウェスさん,ノアさん,よろしく。
★★☆
(★★★★★が最高)


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