子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「愛を読む人」:原作のタイトル「朗読者」のままでは駄目だったのか?

2009年07月11日 22時51分22秒 | 映画(新作レヴュー)
ベルンハルト・シュリンクの原作「朗読者」は,全世界で500万部が売れた大ベストセラーだ。それが当時どのくらい話題になったのかというと,日本で出版された当時(2000年春)には既に文庫か新書しか買えなくなっていた私が,「年上の女性との激しい恋」という惹句に負け,大枚叩いて新潮クレスト・ブックスの単行本を買ってしまったくらいに,センセーショナルな出来事だったのだ。

そんな原作は,発刊当時から映画化が取り沙汰されていたが,今作で3度目のタッグを組んだ今は亡きアンソニー・ミンゲラとシドニー・ポラックの製作,脚本デヴィッド・ヘアと監督スティーヴン・ダルドリーという「めぐりあう時間たち」コンビの再登板に,クリス・メンジスとロジャー・ディーキンスの撮影隊という,どこかの缶コーヒーの宣伝ではないが「何て贅沢なんだぁ!」という呟きが聞こえてきそうなスタッフ達によって,遂にフィルムに定着された。

「めぐりあう時間たち」と同様に時間軸を縦横に駆使しつつも,終始落ち着いたテンポは失われることなく,原作にはないラストシーンまで「ジュンブンガク」の芳しさに満ちた画面が続く。
戦争犯罪に荷担してしまった責任を,30年近くに亘って受け容れ続ける主人公の苦難の人生を,抑制の利いた演技で描き出したケイト・ウィンスレットは,その見事なパフォーマンスでオスカーに輝いている。確かに,怒りと絶望と僅かな希望の絶妙な配分は,これまで積んできたキャリアの集大成と呼ぶに相応しい,素晴らしいものだった。
また,久しぶりの登場ではあったが「蜘蛛女」とは全く位相の異なる迫力で物語を締め括ったレナ・オリンもまた,見事な演技だった。

だが「リトル・ダンサー」という空前絶後の傑作少年成長物語でデビューしたダルドリー作品として,高い期待値を抱いて観た私には不満が残った。

例えば,主人公のハンナ(ウィンスレット扮する主人公)が,嘘の証言をしてまで重い罪を受ける覚悟をした理由が,字を読めないことが知られてしまうことを避けようとしたからなのか,あるいは収容所で犯した罪を償うためには,重罪を受けるしかないと思いこんでしまったからなのか。
また,ハンナがマイケル(少年。のち弁護士)から送られてくるテープによって字を覚え,マイケルに手紙を出し始めた後で,逆に彼の態度が後ろ向きになっていったのは何故なのか。
そして,刑期を終えたハンナが,自由よりも死を選んだ理由は何だったのか。

不満は,こうした部分における解釈が,全て曖昧なまま放り出されている,という印象から来ている。
原作はともかく,映画の中でこういった細部を曖昧にしたまま,「戦争責任の重さ」という一種の概念に寄りかかり,「ハンナ(とマイケル)の悲惨な人生」を英国出身の俳優を起用して,「英語」によって描く,という作品のフレーム自体に抱いた違和感が,鑑賞後も消えることはなかったのだ。

終戦後60年以上を経過した今,こうした題材を掬い上げ,エンターテインメントとして世に問うという敬服すべき試みこそ,細部にこだわり,戦争に翻弄された登場人物の心の動きに対する独自の解釈を示して欲しかった,という我が侭により,星は世評とは真っ向からぶつかるであろう★★★☆ということに。


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