□ 夏のバラ、こんなにさわやかな朝を迎えられました。
◇ 明け方にお湿り程度のにわか雨、そこかしこに朝露のような雨の雫、折しもツクツクボウシの初鳴きに「秋」の漢字の「ノ」くらいの秋の気配が感じられるようです。
とは言え蝉の大合唱は現在進行形、「シャワシャワシャワ…」がそのうちに「ワシャワシャワシャ…」と聞こえては、永遠の次に長そうな音にも思えます。
梅雨が明けてから3週間、猛暑に熱帯夜の夏は、球児たちの甲子園の開幕でいよいよ佳境に入って来ました
もうしばらくしたら約1週間のお盆休み、この夏の暑さにいささか参り気味で、どうしてもカレンダーにぼんやりと目をやってしまうこの頃です。
□ ウィンチェスター・キャシードラル (Winchester Cathedral S 1988 D.Austin England)
このバラ、この夏一番の柔らかい花の姿に、思わず目を見張りました。
□ プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント
(Princess Alexandra of Kent S 2007 D.Austin England)
やあ、久しぶり ~ そう声をかけたくなるような「顔」でした。

2010年8月7日
□ ワイルド・エドリック (Wild Edric S 2005 D.Austin England)
遅咲きの一番花、この花がその「最終」でした。

2010年8月7日
□ ヤング・リシダス (Young Lycidas S 2008 D.Austin England)

2010年8月7日
□ あやめの花びらのような網目模様が、ゆかしさを与えているようです。
2010年8月6日
□ 「好み」でしょうが、蕾も美しい花だと思います。

2010年8月7日
□ チャールズ・レニー・マッキントッシュ
(Charles Rennie Mackintosh S 1988 D.Austin England)
何度も載せて恐縮ですが、復調して庭の中心を占めて…うれしい限りです。
その向こうには、咲き続けるエグランタインが見られます。

2010年8月4日
□ カラミンサの中で、涼しげに咲いているようにも見えます。

2010年8月6日
□ スカボロ・フェア (Scarborough Fair S 2003 D.Austin England)
蕾が多くて、いつも咲き始めるとしばらく楽しめます。

2010年8月6日
□ 引いて撮るとまぶしくて、このとおりです。

2010年8月6日
□ パット・オースチン (Pat Austin S 1995 D.Austin England)
暑さの中を健気に咲いて気の毒なのですが、このバラの季節と錯覚しそうです。
2010年8月4日
□ この季節、パット・オースチンの見頃は「朝」です。
2010年8月5日
□ あまり憶えのない(!?)花が咲いています。

2010年8月7日
□ 待ちわびた「ノコギリソウ」が咲き始めました(初咲き)。
□ 「暦の上では秋」 もっとも、こんなことしていると年中秋になりますが…。

(due posie di oggi)
『古今集』は「夏歌」の最後を凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の次の歌でしめくくっている。
みな月のつごもりの日よめる
夏と秋と行きかふ空のかよひぢは かたへすずしき風やふくらむ
夏と秋とがすれ違う情景を空に一筋の季節の通路を想像して詠んだ歌である。夏の終りの日(旧暦6月30日)に、
片側の道から夏が過ぎ去るとその反対側からは涼しい秋風が吹き始めてすれ違ってゆくだろうかと空想している
歌であるが、現実の季節はまだ暑さの中にあったろう。しかし、暦の上ではすでに秋がやって来ている。
『古今集』の「秋歌」の最初はそれを受ける形で、藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)の次の歌で始まる。
秋立つ日よめる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
立秋だからといって急に秋風が吹くわけではない。しかしこの「夏」の巻の最後と「秋」の最初の二首をつなげて
読むと、『古今集』の季節は、夏から秋へ、まず一筋の風が吹きぬけてゆくことがわかる。目に見えない風が、目
に見えない秋を運んでやって来たのである。この歌は、実感をうたうよりは、むしろ「時の流れ」をうたっている。
人間がからだの内側で感じとっている時間の微妙な変化を鋭敏にとらえる感性、その感性そのものをうたっている
とさえいえよう。
※ 大岡 信「名句 歌ごよみ 秋」より
◇ 明け方にお湿り程度のにわか雨、そこかしこに朝露のような雨の雫、折しもツクツクボウシの初鳴きに「秋」の漢字の「ノ」くらいの秋の気配が感じられるようです。
とは言え蝉の大合唱は現在進行形、「シャワシャワシャワ…」がそのうちに「ワシャワシャワシャ…」と聞こえては、永遠の次に長そうな音にも思えます。
梅雨が明けてから3週間、猛暑に熱帯夜の夏は、球児たちの甲子園の開幕でいよいよ佳境に入って来ました

もうしばらくしたら約1週間のお盆休み、この夏の暑さにいささか参り気味で、どうしてもカレンダーにぼんやりと目をやってしまうこの頃です。

□ ウィンチェスター・キャシードラル (Winchester Cathedral S 1988 D.Austin England)
このバラ、この夏一番の柔らかい花の姿に、思わず目を見張りました。

□ プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント
(Princess Alexandra of Kent S 2007 D.Austin England)
やあ、久しぶり ~ そう声をかけたくなるような「顔」でした。

2010年8月7日
□ ワイルド・エドリック (Wild Edric S 2005 D.Austin England)
遅咲きの一番花、この花がその「最終」でした。

2010年8月7日
□ ヤング・リシダス (Young Lycidas S 2008 D.Austin England)

2010年8月7日
□ あやめの花びらのような網目模様が、ゆかしさを与えているようです。

2010年8月6日
□ 「好み」でしょうが、蕾も美しい花だと思います。

2010年8月7日
□ チャールズ・レニー・マッキントッシュ
(Charles Rennie Mackintosh S 1988 D.Austin England)
何度も載せて恐縮ですが、復調して庭の中心を占めて…うれしい限りです。
その向こうには、咲き続けるエグランタインが見られます。

2010年8月4日
□ カラミンサの中で、涼しげに咲いているようにも見えます。

2010年8月6日
□ スカボロ・フェア (Scarborough Fair S 2003 D.Austin England)
蕾が多くて、いつも咲き始めるとしばらく楽しめます。

2010年8月6日
□ 引いて撮るとまぶしくて、このとおりです。

2010年8月6日
□ パット・オースチン (Pat Austin S 1995 D.Austin England)
暑さの中を健気に咲いて気の毒なのですが、このバラの季節と錯覚しそうです。

2010年8月4日
□ この季節、パット・オースチンの見頃は「朝」です。

2010年8月5日
□ あまり憶えのない(!?)花が咲いています。

2010年8月7日
□ 待ちわびた「ノコギリソウ」が咲き始めました(初咲き)。

□ 「暦の上では秋」 もっとも、こんなことしていると年中秋になりますが…。

(due posie di oggi)
『古今集』は「夏歌」の最後を凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の次の歌でしめくくっている。
みな月のつごもりの日よめる
夏と秋と行きかふ空のかよひぢは かたへすずしき風やふくらむ
夏と秋とがすれ違う情景を空に一筋の季節の通路を想像して詠んだ歌である。夏の終りの日(旧暦6月30日)に、
片側の道から夏が過ぎ去るとその反対側からは涼しい秋風が吹き始めてすれ違ってゆくだろうかと空想している
歌であるが、現実の季節はまだ暑さの中にあったろう。しかし、暦の上ではすでに秋がやって来ている。
『古今集』の「秋歌」の最初はそれを受ける形で、藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)の次の歌で始まる。
秋立つ日よめる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
立秋だからといって急に秋風が吹くわけではない。しかしこの「夏」の巻の最後と「秋」の最初の二首をつなげて
読むと、『古今集』の季節は、夏から秋へ、まず一筋の風が吹きぬけてゆくことがわかる。目に見えない風が、目
に見えない秋を運んでやって来たのである。この歌は、実感をうたうよりは、むしろ「時の流れ」をうたっている。
人間がからだの内側で感じとっている時間の微妙な変化を鋭敏にとらえる感性、その感性そのものをうたっている
とさえいえよう。
※ 大岡 信「名句 歌ごよみ 秋」より