Music Mania

No Music No Life

YouTubeで誹謗中傷コメント入れる人

2021年08月21日 | 日常
今に始まったことではないけど、youtubeは面白い。
そんなことは誰でも知ってるし、いくつものyoutubeチャンネルを登録してる人も多いだろう。
これだけ面白いと当然、依存症のようにyoutube中毒になる人もいる。
スマホ依存症という言葉があるけど、スマホ依存症の中には、ゲーム依存だったりSNS依存だったりポルノ依存だったりいろいろあり、youtube依存もその一つだ。
それで、youtube動画のコメント欄も見る。
毎回ではないけど、その動画に対して、人々はどういう反応をしてるんだろうか、と確認するのだ。
そして当然のごとく、誹謗中傷コメントも見受けられる。
この誹謗中傷コメントだけど、きちんと論理的に反論してる人はいいとして、悪意しか感じられないコメントをする人もいる。
そういうのを見かけると、これはいったいどういう人物なのだろうかと、その人のアカウントページを見てみる。
すると、僕が見た限り100パーセント、自分では全く動画投稿をせず、誹謗中傷するためにアカウントを持ってるような人である。
今日はそれについて考えてみたいと思う。

自分自信は動画投稿をしていない、というのがポイントだ。
なので、人の投稿に対してボロクソなコメントをしても、自分は叩かれる心配はないのである。
これはヤフコメなどで誹謗中傷コメントを繰り返し、挙げ句の果て自殺に追い込むような人と同じということだ。

自分で動画投稿をしている人は、それなりに責任感もあり、荒唐無稽な誹謗中傷コメントをする人は少ない。
どちらかというと、自分の動画も見てもらいためのヨイショコメントが多いくらいだ。
たとえ社交辞令のヨイショコメントであっても、それがあまりにあからさまな場合をのぞいて、そんなには気を悪くすることはないだろう。

お互いの顔が見れる一般社会の中では、よほど態度の悪い人ややサイコパス気味の人ではない限り、基本的には社会人として普通の会話が出来る。
いきなり「おまえ、よくそんな顔で道歩けるよな、一回死んだら?」みたいなこという人はいないし、ライブでも「おまえヘタクソすぎ、恥ずかしくないの?」みたいなことをいう人もいない。
それがyoutubeになると、自分ではいっさい動画投稿をせず、ひたすら誹謗中傷コメントを入れる。
こういう人は臆病者であり、はっきり言ってクズである。

なので、意味のない誹謗中傷コメントなどまったく気にする必要はないのは言うまでもなく、むしろこういうクズがつまらないコメントをしてる時点で、このクズに勝っているのである。
なにか動画に対して、あるいは動画投稿者に対して、むかつく、気に入らない、と思わせてる時点で、こいつに勝っているのだ。

ちなみに僕の数少ない再生回数の動画に対してもアホなコメントする人もいます。
アホは相手にしない、これにつきます。

モンテクリスト伯

2021年08月21日 | 日常
僕は基本的に民放のドラマは見ないんだけど、少し前はまったドラマがあった。
2018年に放送されたディーン・フジオカ主演の「モンテクリスト伯」だ。
途中から見たけどストーリーが斬新で最後まで毎週楽しみに見ていた。
出来れば第一話から見たいと思っていて、ようやく全話見ることが出来たのだ。

原作は古いフランスの小説で、今もミュージカルなどで何度も上演される人気作である。
それをうまく現代の日本に設定を変えている。
とある港町で一人の青年は結婚式を迎える。
幸せの絶頂のなか、仲間の裏切りにあい地獄へ突き落とされてしまう。
10数年後、大富豪となった男は再び港町に戻ってくる。
そして自分を陥れた人間への復習が始まる、というストーリーだ。

このドラマは役者の演技がとてもいい。
ディーン・フジオカのクールな演技がとてもはまっている。
その他、高橋克典の悪辣でありながらどこか滑稽な演技もいいし、伊武雅刀のほとんど目だけの演技もすごいし、山口紗弥加の狂気じみた雰囲気は怪演そのものだ。

第一話で、主人公がプロポーズに成功したときのPVとしてKANの「愛は勝つ」が流れる。
その後も何度かこの曲が流れるんだけど、この「最後に愛は勝つ」というのがポイントだ。
大富豪になって復讐劇を繰り広げるも、最後の最後は、愛が勝ってしまうのである。
ほとんど救いようのないストーリーのなか、それでも一つの希望のように、静かに愛は勝つというのがテーマになってるのが面白い。