9月22日放送の歴史探偵は、戊辰戦争での土方歳三はなぜ強かったのか、というテーマだった。
箱館戦争の二股口の戦いでは、5倍の兵力を持つ政府軍を打ち破った。
土方たちは五稜郭を守るべく街道沿いの山のいたるところに胸壁と散兵坑を設けて迎え撃つ。
では実際どれくらいの胸壁を作ったのかを上空からレーダー照射して赤色立体地図を作って確認してみると、山の尾根沿いに13箇所、それも十字砲火が出来る配置に設けられていた。
天然の地形をよく読んで、山全体を要塞にしたいたと思われる。
土方は剣豪のイメージが強いが、銃の重要性に気づいていた。
新撰組の武力を時代遅れにさせないため、大砲や銃の訓練も行なっており、近代化を進めていたが、鳥羽伏見の戦いでは惨敗してしまう。
これは旧式の銃と新式の銃の違いが大きいとされる。
番組では、新政府軍は銃身にライフリングを施したミニエー銃を使っていたのに対し、新撰組は旧式のゲベール銃を使っていたと解説していた。
幕府軍は部隊によっては新式銃を使っていた説が有力だけど、新撰組は違っていたのだろう。
このため嫌いだった外国人の下で近代戦を学び、剣は役に立たないと判断するという柔軟性をもっていた。
土方という人物は合理的な人で、勝つためならなんでも取り入れた。
そのため、一般の武士が嫌った伝習隊に合流した。
この伝習隊というのは、火消しや博徒など荒くれ者が多かったが、土方は近代戦の指揮官として彼らを上手に扱った。
土方歳三は鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争を各地で戦い生き延びてきた。
しかし、元々明治の世に生き続けるつもりはなかったのだろう。
この辺の感覚は西南戦争時の西郷隆盛と似ているように思うのだった。
箱館戦争の二股口の戦いでは、5倍の兵力を持つ政府軍を打ち破った。
土方たちは五稜郭を守るべく街道沿いの山のいたるところに胸壁と散兵坑を設けて迎え撃つ。
では実際どれくらいの胸壁を作ったのかを上空からレーダー照射して赤色立体地図を作って確認してみると、山の尾根沿いに13箇所、それも十字砲火が出来る配置に設けられていた。
天然の地形をよく読んで、山全体を要塞にしたいたと思われる。
土方は剣豪のイメージが強いが、銃の重要性に気づいていた。
新撰組の武力を時代遅れにさせないため、大砲や銃の訓練も行なっており、近代化を進めていたが、鳥羽伏見の戦いでは惨敗してしまう。
これは旧式の銃と新式の銃の違いが大きいとされる。
番組では、新政府軍は銃身にライフリングを施したミニエー銃を使っていたのに対し、新撰組は旧式のゲベール銃を使っていたと解説していた。
幕府軍は部隊によっては新式銃を使っていた説が有力だけど、新撰組は違っていたのだろう。
このため嫌いだった外国人の下で近代戦を学び、剣は役に立たないと判断するという柔軟性をもっていた。
土方という人物は合理的な人で、勝つためならなんでも取り入れた。
そのため、一般の武士が嫌った伝習隊に合流した。
この伝習隊というのは、火消しや博徒など荒くれ者が多かったが、土方は近代戦の指揮官として彼らを上手に扱った。
土方歳三は鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争を各地で戦い生き延びてきた。
しかし、元々明治の世に生き続けるつもりはなかったのだろう。
この辺の感覚は西南戦争時の西郷隆盛と似ているように思うのだった。