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昨年末のことだが、友人から百田尚樹「永遠の0」は素晴らしい作品だから是非読んでほしいと言われた。
ちょうど、これの映画版が話題になっており、僕のまわりでも絶賛されていたから、読んでみたいとは思った。
しかし、戦争小説、それも第二次大戦ものというと、僕はちょっと気が進まない。
他にも読みたい本があったので後回しにしていたら、昨日LINEで「永遠の0どうだった?良かったでしょ?」と入ってきたので、半分仕方なく小説を購入した。
150ページほど読んだ。
これは、もしかすると、かなり面白いかもしれない。
僕が思っていたのと違っていて、残り430ページを読むのが楽しみになった。
ここまでの内容は、現代人の青年が、戦死した祖父がどういう人間だったのか、どう戦ったのか、を知るために調査をするというもの。
そういえば、僕の祖父も戦死しているのだが、どういう人物だったのか、ほとんど知らない。
写真が数枚残っているくらいだ。
僕も「永遠の0」よろしく、ちょっと祖父について書いてみよう。
子供の頃、家の仏壇には、祖父の写真と奇妙な石ころが置いてあった。
その石ころは、戦死した場所にあったものとのこと。
そのほか、形見らしいものは何もなかった。
いつだったか忘れたが、昭和の終わりごろ、80年代後半くらいだった気がする。
一人の老人が家を訪ねてきた。
なんとその人は、祖父の戦友で、死に様を伝えにきたという。
なんで今頃?と思ったが、家族でその人の話を聞いた。
陸軍の通信兵だった祖父は、フィリピン戦線で戦っていた。
フィリピンの戦いは壮絶なもので、日本軍は大敗し、昭和20年の初め頃には全滅に近い状態だったという。
そんな中、祖父はまだ生きていて、ジャングルの中でゲリラ戦をしていたそうだが、終戦間近の7月、通信のためのケーブルを張るため木に登っていたところを、軍艦からの艦砲射撃で跡形もなく吹っ飛んでしまったという。
もし、終戦があと1ヶ月早かったら、祖父は生きて帰ってきた可能性が高い。
そうなると、祖母や父の生活、人生は大きく変わっていたかもしれず、それは当然、僕にも影響していただろう。
僕自身が存在していないかもしれないが。
モンスターとかも読んでみたいですが、活字に手を出すのが億劫でいけません(汗)
にゅーめんさんのお爺さまは戦死されたんですね…
波乱に満ち足た人生だったと思います。
私なんぞではとても想像つきません。
残された家族も戦火の中、生きて行くことは大変だったと思います。
私の祖父は結核で兵役は逃れましたが、鳥小屋を改装して住み、かなり貧困だったようです。
永遠のゼロは350万部の大ベストセラーということで、売れに売れてるようです。
今日で半分近く読みましたが、なかなかのものです。
戦争物ですが、あまり専門的な用語も出てこず、軍ヲタとかそういう人じゃなくても読めるものです。
僕の祖父はフィリピン戦線ということで、なんとか昭和20年のには夏、生き残っていたようです。
WIKIによると、このときの戦いでは、40万人もの大軍が投入されたのに、33万人もの死者が出たとのこと。
あまりの被害の大きさ、というか、そこまで死者が出てるのに撤退しないのもどうかと思いました。
戦後はどこもかしこも貧困で、大変な思いをしたようですね。
その頃の人はたくましいというか、よくここまで復活できたものだと感心します。
ラストで、今のお祖父さんが、誰であったのか、がわかったところでは、感動しました。
読んだ時、感想を2008年10月09日の日記に書きました。今、読み返してみたら、にゅーめんさんからもコメント、いただいていましたね。
ただ、最近の百田尚樹さんの言動には、ちょっと違和感を感じます。
那由他さんの以前の日記を遡って読んできました。
お父さんは戦争には行ってないけど、パイロットの服を着て写真を撮られてたのですね。
僕はまだ半分までしか読んでませんが、とくにイデオロギー臭くもなく、サクサク読めてます。
全部読んだらまた感想も書きたいと思います。
百田氏の政治に関する発言は、ぜんぜん賛同出来ません。
僕は見てませんが、「ここまでいって委員会」に右派の論客として出演されてるくらいなので、相当な保守派のようですね。
父は、予科練に行った友達が帰省した時、父やほかの友人たちが、飛行服を借りて記念写真を撮ったのですが、学生の時、グライダー部に入っていたので、多分、ゼロ戦パイロットに憧れがあったのでしょうか。
祖父は戦争には行ってませんが、祖父の兄は職業軍人で戦死、また祖母の従兄弟たちも戦争に行って戦死した人、無時帰ってきた人といます。また戦争未亡人になった人もいるということを、問わず語りに聴いた記憶があります。
「京都は空襲を受けなかった」という話を聞いたことがありますが、実際には空襲があったというのを、報道で見たことがあります。
この碑だったかも。→http://tekutoko.com/rekishi/%E8%A5%BF%E9%99%A3%E3%81%AE%E7%A9%BA%E8%A5%B2/
時間がたつにつれ、事実がわからなくなったり、誤って後世に伝えられることもあるのでしょうね。
「戦争を知らない子供たち」という歌がありましたが、「戦争を知らない子供たち」を知らない子供たちが、大人になってる時代なんでしょうね。
学校での平和教育も、実際に知っている人がだんだん少なくなっているので、難しくなっているのでは、と思います。
それだけ、長い期間、日本が戦争をせず、また戦争に巻き込まれずに来れた、ということなのでしょう。
このまま平和な日本であってほしいです。
祖母は戦後、苦労してたそうですが、遺族会のメンバーと靖国神社とかいってたようです。
基本的に昔の男子は、飛行機や戦車、軍艦などが好きなんだと思います。
メカというか、強くてカッコいいというか、惹かれるものがあると思います。
僕らくらいの年代になると、それがクルマやガンダムに変わっていきました。
京都も空襲の被害がありましたか。
東京や名古屋ほどではないにしても、被害があったということは、火が燃え広がると貴重なお寺が焼けてたかもしれませんね。
戦争を知らない子供たち、僕らも戦争を知りませんが、歌は知ってますよね。
外交問題を武力で解決しようとする、もうそういう時代じゃないと思いますが、世界を見れば、まだまだ戦争がなくなりません。
僕に出来ることはなんでしょう?
とりあえず、隣国の人たちとは仲良くしたいものです。