Music Mania

No Music No Life

伏見へGO!

2017年05月13日 | 日常
先週のゴールデンウィークにちょっと京都へ行ってきた。
行先は伏見の稲荷大社とその他もろもろ。

伏見の稲荷大社というと、千本鳥居と言われるくらい、赤い鳥居がいくつもいくつも並んでるところだ。
ほとんどの場合、千本ナントカと言われるところは、実際には千本もなかったりするのだが、ここは千本どころか3万本くらいあるらしい。
だったら万本稲荷に改名したらいいのにって思うのは僕だけ?
で、この鳥居をあまく見ていた。
よく考えたらわかることだけど、万単位の鳥居をくぐるというのは、すごい距離を歩くということなのだ。
入り口からビッシリと隙間なく鳥居が立ち並び、ところどころ空白もあるけれど、基本的にずっと鳥居の中を歩く。
いや、歩くというより登る。
途中階段になったり坂道になったりしながら、山をぐんぐん登るのだ。
1時間くらいかけて山頂まであがり、下りは下りでまた別のルートを降りる。
これはいい運動になった。



ちょうど昼食時なので、屋台や飲食店が立ち並ぶところで、適当な店に入る。
稲荷に来たらやはりイナリを食べなきゃいけないだろうと、稲荷セットなるものを注文する。
これはキツネうどんといなり寿司のセットだったが、味は普通。
それはいいとして、僕の周りでは焼き鳥みたいな串焼きを食べてる人がチラホラ。
そこへ隣の席に座ったOL風の女子2人組がスズメ2つと注文してるではないか。
スズメってあのチュンチュン鳴く雀か?
よく見るとメニューには「伏見名物スズメの丸焼き」と書いてあった。
そうか、だからここへ来る人の多くはスズメを食べてるのか、と納得した。
僕は以前鈴鹿の焼き鳥屋でスズメの丸焼きを食べたことがある。
物珍しさで注文したんだけど、まあ一回食べたら次また食べたいと思う味でもなかった。

その後、京阪電車に乗って、寺田屋へ行く。
寺田屋といえば、幕末に坂本龍馬が教われたところとして有名だ。
ちなみに、龍馬が殺されたのは近江屋、新選組が突入したのは池田屋、ちょっとややこしいよね。
まあ、龍馬うんぬんは置いといて、古い建築物を見るのは好きなので、じっくり見学する。
出てからは、近くの月桂冠大蔵酒造という古い酒造所へ行く。
受付でクルマの運転はしてないかと聞かれる。
してないと答えると、小さな日本酒をプレゼントされた。
さらに、利き酒にチャレンジというコーナーもあったんだけど、お酒を飲まない僕にとってはあまり楽しくないところだった。





伏見から再び京阪線に乗り、四条へ行く。
夕飯までまだ時間があったので、お気に入りのレトロカフェ「築地」へ行く。
前にも書いたことがあったけど、ここはウインナーコーヒー発祥の地と言われていて、それを注文するのがデフォなのだが、暑いのでバナナジュースを頼んだ。
なかなかフレッシュな味わいで美味しかった。
相変わらず流れる音楽はオーナーの趣味であるクラシック。
前オーナーのときはバッハなどバロック音楽が多かったのだけど、今のオーナーはロマン派がお気に入りのようだ。



最初の稲荷大社での山登りがこたえて、ちょっと体力的にしんどくなってきたので、祇園界隈の散策はやめて、にしんそばを食べに行く。
よく行くのは京阪祇園四条駅近くの「やぐ羅」というお店。
創業明治33年という老舗だけど、わりと普通に入れる普通のおそば屋さんというイメージで、最近はたいていここだ。
いちおうにしんそばが売りだけど、それ以外なら湯葉あんかけそば(うどん)もおすすめ。
トロットロの湯葉が美味しいですよ。
昼間は行列が出来るそうなので、行くなら夜がおすすめです。

帰りは四条河原町からバスでJR京都駅へ向かう。
日本を代表する観光地だけあって、大型バスは満員である。
こういうときくらいしかバスに乗らない僕だけど、つくづくバスの料金支払いって面倒だな、と思う。
小銭があればいいけど、ないときは運転席近くの両替機で札を崩さなければならない。
満員状態のときなど、うんざりする。
地元の人は定期とか、カードとか使うからいいのかな。

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若いときのリア充は買ってでもしろ

2017年05月06日 | 日常
今、リア充じゃない人は肩身が狭い。
ここでいうリア充というのは、人からみてリア充に見える人である。
例えば、青空の下で友人たちとビール片手に焼肉を頬張ってるとか、友人たちとUSJで「2時間待ち!」と叫ぶとか、友人たちと潮干狩りで採れたアサリを焼いてるとか、そういうのがリア充なのだ。
なので、休みの日に前から読みたかった本を一日中読むとか、好きなワインを飲みながら自慢のオーディオセットで音の洪水に浸るとか、空母赤城の精密模型製作に明け暮れるとか、そういうのはリア充に入らない。
なぜなら、それは「お一人様」だから。

SNSで、いかにも友人関係に恵まれていて、充実したアウトドアを楽しんでるかをアピールするわけだけど、そこには一種の強迫観念があるように思える。
リア充でなければ人ではない、みたいな。
そこまで極端ではなくとも、休日に1人で過ごすなんてのは、寂しい負け組人生みたいでカッコ悪いのだろう。
そして、出来るだけたくさん友人がいて、「昨日は明け方までカラオケ歌って、今日はディズニーシーだから、睡眠時間たったの2時間よ」と寝てないアピールもする。
最近ではなんと、リア充代行サービスなるものまで存在し、お金を払って一日友人を雇って、一緒に写真を撮ってSNSに投稿するらしい。

バブルの時代は、恋愛至上主義が蔓延っていて、恋人がいないと肩身が狭い想いをした。
今は若者の恋愛離れが進み、恋人のいるいないはさほど重要ではない。
その代わり、どれだけリア充なのかどうかが問題となった。

とくにリア充アピールしなければ負け組になってしまうのが、クリスマスや年末年始、そしてゴールデンウィークなどの連休である。
もちろん、そんなもの気にしない人には関係ない。
家で一人で過ごしてたってぜんぜん問題ない。
でも、リア充代行サービス使ってアピールする人もいるって、なんか面白い現象だなって思う。
それをSNSで見た友人なのか知り合いなのかよくわからない人達は、「この人ってリア充なんだな」と善望の眼差しを向けるのだろう。
それは、一人で充実した休日を過ごすより、人から充実してると思われることのほうが満足度が高い、ということなのだ。
それこそ、「若いときのリア充は買ってでもしろ」なのだ。

そんな表面だけのリア充なんてなんの意味があるの?と思う僕は古い価値観に縛られているのかもしれない。
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