風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色⑫ 台風13号…1

2009-05-22 | 生い立ちの景色
1953年9月。7歳の秋。

夕べは台風13号による強風と激しい雨の音で夜中に何回も目が覚めた。夜が明けるのを待ちかねたようにおっ母といっしょに起きた。昨日の夕方から停電になっていてラジオが使えないので、その後の台風情報がわからないが、風は少し収まっているようだ。

着替えて外に出たら、もう近所の人が何人も堤防の上にいた。オレも急いで駆け上がった。淀川の水嵩がえらく上がり、土色した濁流が轟々と流れていて、向こう岸の堤防がかすかに見えるほどにもなっていた。こんなことは生まれて初めてのことだ。

昼過ぎに、村の役をしているおっちゃんが慌てた様子でやって来た。「危険水位を突破し、まだどんどん上がっとる。このままだと危ない。今、いろいろと連絡を取っている」というと、すぐ隣の家に走って行った。

おっ母は、朝から何回も家の裏手から田を眺めてはため息をついている。実りかけた稲が昨夜の風雨で全部倒れ、水に浸かってしまったからだ。
台風は遠ざかり、雨も止んだというのに、昼になっても淀川の水嵩は一向に下がらず、まだ、少しづつ増えている。夕方には、堤防にしゃがみ込んだら手が届くくらいまでになった。

ろうそくの火で晩飯を食っていたら、隣組の組長さんが息を切らして飛んで来た。「避難命令が出た。年寄りと子どもは避難ということです。役所が手配したトラックが来ますよって、すぐ準備を」と。オレんとこは結局、足の悪いおっ父と小学生のキョウコ姉ちゃんとオレの3人ということになった。

「トラックが来ました。早く乗ってください」と役場の人と村の人らが走りながらメガホンで叫んでいる。集会所に行くとすでに2台のトラックの荷台には多くの人が乗っていた。オレも尻を押してもらって乗ったが、荷台はぎゅうぎゅう詰だった。
「何処に行くんや!」とひとりのおばあちゃんが役所の人に聞いた。「とりあえず、磐手小学校に行きます」と答えると、「あそこなら安心だ。山手だし、少々のことでは水は来ん」とおばあちゃんがいった。

ブルルンとエンジンを始動したトラックはヘッドライトを灯して動き出した。堤防のでこぼこ道をトラックは左右に揺れながらゆっくりと走った。暗くて何も見えないのに、大人も子どもも、みんな黙って遠ざかっていく村の方を見ていた。

振り落とされないように荷台の縁をしっかり掴んでいたら涙が出そうになった。オレは鼻をすするようにして、涙の落ちるのを我慢した。