♪淀川三十石船歌♭
先日、自転車で京・伏見に行った。
桂川を上り少し東へ、家から1時間半もあればゆっくり行ける。
連休が過ぎた後だったので比較的観光客は少なかった。
遊覧十石船が、酒蔵を背景にした濠川の枝垂れ柳の下をゆっくり往来していた。
濠川を一番下ったところの三栖閘門際に資料館があった。中に入ると人は誰もいないのにラジカセから「淀川三十石船歌」が流れていた。
淀川三十石船歌の源流については、「船頭衆は小豆島を初め西瀬戸内海の島から千人を越える出稼者だけで結束していて、淀川流域の人達は欠員補充程度しか職につけなかった。従って歌も瀬戸内海一円で広く艪漕ぎ歌として伝わっていきた」ものといわれている。(郷土摂津いにしえ通信)
傍に「船歌」の歌詞19節(写真参照・これで全部?)が展示されていた。いくつかは聞いたことがあったが、順番に見ていくうちに、何と、オレの実家の地名(村の名前)が歌われているではないか。
“此処は前島お捨の墓よ さてもさびしき浪の音”と。ここにある「前島」がオレが生まれ育ったところだ。それにしても、“お捨の墓よ さてもさびしき”とはいったい体どういうことか…。
あまりいいように歌われていない?ことに少しがっかりしたが、この歌が歌われていた頃の「前島」はどのようなところだったのか、ここに住んでいたオレの先祖はどんな人でどんな生活をしていたのか、いろいろ興味は尽きなかった。
先日、自転車で京・伏見に行った。
桂川を上り少し東へ、家から1時間半もあればゆっくり行ける。
連休が過ぎた後だったので比較的観光客は少なかった。
遊覧十石船が、酒蔵を背景にした濠川の枝垂れ柳の下をゆっくり往来していた。
濠川を一番下ったところの三栖閘門際に資料館があった。中に入ると人は誰もいないのにラジカセから「淀川三十石船歌」が流れていた。
淀川三十石船歌の源流については、「船頭衆は小豆島を初め西瀬戸内海の島から千人を越える出稼者だけで結束していて、淀川流域の人達は欠員補充程度しか職につけなかった。従って歌も瀬戸内海一円で広く艪漕ぎ歌として伝わっていきた」ものといわれている。(郷土摂津いにしえ通信)
傍に「船歌」の歌詞19節(写真参照・これで全部?)が展示されていた。いくつかは聞いたことがあったが、順番に見ていくうちに、何と、オレの実家の地名(村の名前)が歌われているではないか。
“此処は前島お捨の墓よ さてもさびしき浪の音”と。ここにある「前島」がオレが生まれ育ったところだ。それにしても、“お捨の墓よ さてもさびしき”とはいったい体どういうことか…。
あまりいいように歌われていない?ことに少しがっかりしたが、この歌が歌われていた頃の「前島」はどのようなところだったのか、ここに住んでいたオレの先祖はどんな人でどんな生活をしていたのか、いろいろ興味は尽きなかった。