1960年6月 14歳の夏
世間は、新安保条約反対の運動が高まり騒然としていた。テレビや新聞では、機動隊が国会議事堂正門前で大規模なデモ隊と衝突し、デモに参加していた大学生が死んだと伝えている。
誰かが昼休憩の時間に黒板に「安保反対」と書きよった。午後の授業にきたH先生が、「誰だ、これを書いたんは。よくわからんくせに書いたらアカン」と怒った。
新聞を読むのが好きで毎日1面から読んでいた俺だったが、「安保」のことはよくわからんかった。7月になり、岸首相がやめて池田首相に代わり、世の中は少し静かになった。
進学するか就職するか、少し悩んだが俺は働くことにした。近所ではまだ少なかったが、ここ数年で高校へ進学する人もぼちぼち出てきたが、まだまだ就職する方が多かった。そんなんで、「俺、就職するで!」といった時も、親も兄弟もそんなに驚くこともなかった。
どの会社を受けるかは、募集人数など決まらないとはっきりしないので、もう少し先になるということだった。
俺のクラスでは3分の1くらいの17、8人が就職組だった。6月からは就職組と進学組に別れて授業することもあり、進学組は英語や数学の授業時間が俺らより多かった。
クラスでは、それぞれの組の奴らが別れて話しすることが多くなり雰囲気がちょっと悪くなった。特に進学組の奴らは、進学校のことやら塾の話ばっかりだった。一方、就職組はのんびりしたものだった。
勉強が好きでなく、だからといって赤点を取るほどでもなかった俺だったが、「就職したら、もう勉強しなくてもいいんや」と思うと、ほんまに心が軽くなった。
世間は、新安保条約反対の運動が高まり騒然としていた。テレビや新聞では、機動隊が国会議事堂正門前で大規模なデモ隊と衝突し、デモに参加していた大学生が死んだと伝えている。
誰かが昼休憩の時間に黒板に「安保反対」と書きよった。午後の授業にきたH先生が、「誰だ、これを書いたんは。よくわからんくせに書いたらアカン」と怒った。
新聞を読むのが好きで毎日1面から読んでいた俺だったが、「安保」のことはよくわからんかった。7月になり、岸首相がやめて池田首相に代わり、世の中は少し静かになった。
進学するか就職するか、少し悩んだが俺は働くことにした。近所ではまだ少なかったが、ここ数年で高校へ進学する人もぼちぼち出てきたが、まだまだ就職する方が多かった。そんなんで、「俺、就職するで!」といった時も、親も兄弟もそんなに驚くこともなかった。
どの会社を受けるかは、募集人数など決まらないとはっきりしないので、もう少し先になるということだった。
俺のクラスでは3分の1くらいの17、8人が就職組だった。6月からは就職組と進学組に別れて授業することもあり、進学組は英語や数学の授業時間が俺らより多かった。
クラスでは、それぞれの組の奴らが別れて話しすることが多くなり雰囲気がちょっと悪くなった。特に進学組の奴らは、進学校のことやら塾の話ばっかりだった。一方、就職組はのんびりしたものだった。
勉強が好きでなく、だからといって赤点を取るほどでもなかった俺だったが、「就職したら、もう勉強しなくてもいいんや」と思うと、ほんまに心が軽くなった。