久しぶりにミニカーネタを。
オークションサイトを見ていて気になったクルマがありました。
1972年のル・マン24時間レースに出場したポルシェ908/2の6号車、シャシー番号022。
908/2というのは、908の進化したモデルでドイツ語の別名でFlunder(ひらめ)。
オープンモデル(スパイダー)のクルマで、その名の通りのっぺりとした形をしています。
908の全盛時代は1969年で、ポルシェにマニュファクチャラーズ・チャンピオンをもたらしています。
今で言うとWECの総合チャンピオンに当たるでしょうか。
1972年になると、すでにポルシェのファクトリーチームは参加しておらず、プライベートチームが戦っているだけでした。
この年からマトラの三連覇が始まるのです。
前置きが長くなりましたがこのクルマ、一見ガルフカラーかなと見間違うばかりのライトブルーですが、Hans-Dieter Weigelというドイツ人の方のチームから出場しています。
「Weigel」というのは英語ではウェイジェル、ドイツ語ではワイゲルとでも読むのでしょうかね。
この6号車、予選は12位、決勝では一時7位を走っていたのですが、終盤事故を起こして惜しくもリタイヤしています。
ドライバーはワイゲルとクラウゼのドイツ人コンビでした。
ボディに「TEAM AUTO USDAU」と書かれているのはスポンサー名ですね。
で、この908/2-022、記録をたどってみると...。
908/2-022のデビューは1969年のセブリング12時間レースです。
このときにハンドルを握ったのは俳優のスティーブ・マックイーンとピーター・レブソンでした。
当時マックイーンはル・マンを舞台にした映画を取ることを計画していて、自身の映画プロダクションでこの908/2を購入し、自らハンドルを握ったのです。
結果は何と総合2位。
という話を聞くと、映画通の方は察しが付くかもしれません。
翌1970年のル・マンでレースカーと一緒に走り迫真のシーンを撮影したあの「カメラカー」がこのクルマなのです。
残念ながら、フィルムの交換のためにピットストップを繰り返したため周回数が足らず、完走扱いにはなりませんでしたが、この「カメラカー」は9番目くらいで24時間を走り切ったのです。
ちなみに、保険会社がウンと言わず、マックイーンはル・マンを走ることはできなかった、ということです。
ボンネットなどにカメラを積んだ「カメラカー」のミニカーは人気が高く、なかなか入手することができません。
このモデルはその代り、の意味もあります。
いつか並べてみたいものです。
さて、908/2-022に話を戻しますと、1973年にはエクアドルのチームに売却されル・マンに出場します。
エクアドルのドライバーによって運転された908/2-022は予選33位、決勝では大健闘と言ってもいい総合7位に入賞します。
そして、1974年再び同チームからエントリーされた908/2-022は予選13位、決勝では一時は7位を走っていましたが、レース開始10時間過ぎに事故のためリタイヤしてしまいました。
これをもって、908/2-022のレース記録は途絶えています。
解体されてしまったのか、あるいはどこかでひっそりと余生を送っているのでしょうか。
このモデル、私のコレクションとしては初のベストモデルというイタリアのメーカーの製品です。
スケールは1/43。
スパークやミニチャンプスなどと比べるとお世辞にも精細なモデルとはいえません。
何せ、落札価格が送料よりも安かったのですから。
が、ときどきこうした珍しいクルマに出会うことができるメーカーなのかな、と思います。
オークションサイトを見ていて気になったクルマがありました。
1972年のル・マン24時間レースに出場したポルシェ908/2の6号車、シャシー番号022。
908/2というのは、908の進化したモデルでドイツ語の別名でFlunder(ひらめ)。
オープンモデル(スパイダー)のクルマで、その名の通りのっぺりとした形をしています。
908の全盛時代は1969年で、ポルシェにマニュファクチャラーズ・チャンピオンをもたらしています。
今で言うとWECの総合チャンピオンに当たるでしょうか。
1972年になると、すでにポルシェのファクトリーチームは参加しておらず、プライベートチームが戦っているだけでした。
この年からマトラの三連覇が始まるのです。
前置きが長くなりましたがこのクルマ、一見ガルフカラーかなと見間違うばかりのライトブルーですが、Hans-Dieter Weigelというドイツ人の方のチームから出場しています。
「Weigel」というのは英語ではウェイジェル、ドイツ語ではワイゲルとでも読むのでしょうかね。
この6号車、予選は12位、決勝では一時7位を走っていたのですが、終盤事故を起こして惜しくもリタイヤしています。
ドライバーはワイゲルとクラウゼのドイツ人コンビでした。
ボディに「TEAM AUTO USDAU」と書かれているのはスポンサー名ですね。
で、この908/2-022、記録をたどってみると...。
908/2-022のデビューは1969年のセブリング12時間レースです。
このときにハンドルを握ったのは俳優のスティーブ・マックイーンとピーター・レブソンでした。
当時マックイーンはル・マンを舞台にした映画を取ることを計画していて、自身の映画プロダクションでこの908/2を購入し、自らハンドルを握ったのです。
結果は何と総合2位。
という話を聞くと、映画通の方は察しが付くかもしれません。
翌1970年のル・マンでレースカーと一緒に走り迫真のシーンを撮影したあの「カメラカー」がこのクルマなのです。
残念ながら、フィルムの交換のためにピットストップを繰り返したため周回数が足らず、完走扱いにはなりませんでしたが、この「カメラカー」は9番目くらいで24時間を走り切ったのです。
ちなみに、保険会社がウンと言わず、マックイーンはル・マンを走ることはできなかった、ということです。
ボンネットなどにカメラを積んだ「カメラカー」のミニカーは人気が高く、なかなか入手することができません。
このモデルはその代り、の意味もあります。
いつか並べてみたいものです。
さて、908/2-022に話を戻しますと、1973年にはエクアドルのチームに売却されル・マンに出場します。
エクアドルのドライバーによって運転された908/2-022は予選33位、決勝では大健闘と言ってもいい総合7位に入賞します。
そして、1974年再び同チームからエントリーされた908/2-022は予選13位、決勝では一時は7位を走っていましたが、レース開始10時間過ぎに事故のためリタイヤしてしまいました。
これをもって、908/2-022のレース記録は途絶えています。
解体されてしまったのか、あるいはどこかでひっそりと余生を送っているのでしょうか。
このモデル、私のコレクションとしては初のベストモデルというイタリアのメーカーの製品です。
スケールは1/43。
スパークやミニチャンプスなどと比べるとお世辞にも精細なモデルとはいえません。
何せ、落札価格が送料よりも安かったのですから。
が、ときどきこうした珍しいクルマに出会うことができるメーカーなのかな、と思います。