伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

常識

2007-11-30 21:41:04 | 言いたんく

ゆきたんくは常識的な人間か?
自己評価はノーである。
常識的な言葉を操って、常識的に振舞うことは良いことなのだろうが、自分にとっては居心地が良くない空間が生まれるからである。

人に合わすことが余り好きではない。人に合わすことは自分を殺すことだと考えている。もちろん我(が)を殺すこととの違いは分かっているつもりだ。

このあいだ美味しんぼの第百巻で青森県の蕎麦について書かれていた。

 江戸前の蕎麦は三立て(挽きたて、打ちたて、茹でたて)が旨い。

ゆきたんくは東京の出身で親父が連れて行ってくれた蕎麦屋での話を思い出すと同様のことを言っていた覚えがある。
美味しんぼでは「津軽蕎麦」の美味しさについて書かれていた。
 食べる前の日に打ち、朝茹でて、午後過ぎに食べるという。
昼過ぎではない、午後過ぎである。と言うこと昼から夜にかけて食べているということだ。
 小麦の栽培の少ない青森県では、そばを食べるために二つの工夫を考えた。
 一つ目はソバガキを作って一晩寝かせた「コネリ」を使うこと。
 2つ目は栽培の多かった大豆を使うこと。
コネリと大豆のグルテンで蕎麦のコシを出そうとした訳である。
そして津軽そばの美味しさは出汁の素晴らしさにあることも書かれている。

そういえば、蕎麦通の振りをして出雲蕎麦を食べたことがある。
出雲市の北部にある「そばの加儀」である。割り子に蕎麦が入っていて、だし汁をかけて食べるというので変な蕎麦だと思っていた。
いざ店で注文し、出てきた蕎麦は色は黒っぽく、ザラザラしているように見えた。
しかし、だし汁をかけて一口すすろうものならば、あっという間に割り子3つを食べてしまった。斜め向かいの席にかけていた初老の男性が言っていた「割り子は5つにすることもできるんだよ。」を聞いておけばよかった。
きっとゆきたんくと長男のおーちゃんの体を見て、デフォルトの3つじゃ足りないと思って親切心で言ってくれたんだろうなあ。出てきた蕎麦は黒く、色から想像できる味とは違い、香りが立ち、出汁も蕎麦の味を引き立てる濃さで割り子を何枚でもおかわり出来そうだった。

青森と島根。本州の両極ともいえるこの県と中央に位置する東京で蕎麦の作り方や味が違うことは当たり前である。それぞれの好さがあり、それがその土壌に適した環境が作った味とも言えよう。触れ幅の大きい人間の感情よりも、郷土料理という普遍的なものを通してこそ常識は見えてくるのではないのだろうか。常識的と常識は違うのだ。

コメント
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