父もね。
親孝行できなかった。
ずっと喧嘩をしていてね。
自分も親父もどちらも頑固だから譲らなかったんだね。
ある時、ようやく話せる時が来た感じがした。
それからしばらくして、松戸の自宅に病院から電話がきた。
夜中に駆け付けた。
世間話をした。
取り合えず入院加療。
疲れたんだろう、すぐに良くなるといいなぁ。
処置室に運ばれた後、医者と話す。
「普通に話ができているように思ったでしょう。しかし、本人は意識レベルが低い状態です。」
「精密検査をしなくてはいけませんが、厳しい状態かもしれません。」
それから8か月。
最後の最後まで洗濯屋職人として仕事をし、自分で救急車を呼んで入院した。
それが2月のこと。
その前にゆきたんくに電話があった。
「入院する。」
それから4日後に亡くなった。
10月だった。
一緒に温泉に行くのが夢だった。
かなわなかったね。