ゆきたんくのあるあるである。
旅行から帰って来て、
「あぁ、あんな近くに・・・」
「となりの道に・・・」
と残念がる話。
ただ、自分の予習が足りなかっただけの話だ。
今回の旅でどうしょうもなかったのは、「ブラウナウ・アム・イン」である。
あのヒットラーの生まれた町なのだ。生家もあるのだが、市の意向で史跡にはしたくないということで地図には表示されていなかった。
泊まっていたホテルから300mほどのところなので、事前に知っていたら行っていただろうなと思う。
今回は「ペスト記念塔」である。
今回泊まった宿はウィーンの中心部にあった。
もちろん、周囲の散策はした。
帰国後、ウィーンの中心部にある史跡として「ペスト記念柱」のことを知った。泊まっていたホテルからは400mの所にあった。
「あぁ、見逃した・・・」
悔しい思いを何度も味わっているのに繰り返すゆきたんく。
次こそは・・・
行って帰ってきたばかりで、次はいつ行くんだ・・・
そんなくやしさも少しして薄れかけてきていたころ、写真の整理をしていた。
そうしたら、偶然写っていたペスト記念柱があった。
声が出ないほど嬉しかった。
のりたんとグラーベン通りを歩いていたのだ。右奥に記念柱が見える。 → Map
皇帝レオポルド1世がペスト流行の終焉に作らせた塔だという。
最近ではコロナがパンデミックを起こした。
累積死亡者数は553万弱であった。
ペストは14世紀の流行では、2億人が亡くなっている。
レオポルド1世の頃だと、17世紀である。その時にも「17世紀の大疫病」としてペストが流行している。
死者数1位~9位までのパンデミックを見ると、5つ入っているほど流行している。つまり感染力が強いのだ。コロナはこの中には入っていない。
この地ウィーンでは、17世紀の大疫病として10万人の命を奪ったという。
気にしていなかったことが分かる写真。
全体像が入っていない。
予習は大切だ。