伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

けじめ

2008-02-06 18:55:20 | Weblog
大人と子供の境目って、よく考えるとはっきりしない。
子供は経験が浅いので、先見が利かない。よって無邪気である。
大人は経験則から判断することが多いので、面白みに欠けるところがある。

ところが、こと趣味や嗜好の範疇になると子供に帰ることがある。
自分の物差しで楽しむ時である。
そしてものさしの長さが同じ者で集まって楽しむこともある。

仕事の時に大人の顔、遊びの時に子供に戻ると考えて良いだろうか。

今、日本にどれだけの公的なものさしが存在するだろうか。
厳密に法的な根拠に照らし合わせれば、しっかりしたものがあるのだろうが、日常の中では、その存在が薄れているのだと思う。

写真はロンドンはビクトリアにあるパブである。
ビクトリア・コーチ(大きなバスの発着場)の横にある店で、とても雰囲気が良い。
このすぐ近くの通りにある宿イブリーハウスに泊まった。毎日の気温が熱波で35度を超していたので、面倒くさいことは避け、毎日の夕食をここで食べたのである。

写真は正面入り口で、横にもう一つの入り口がある。店内に入ってみると、大きなついたてが有り、店内を二つのスペースに区分けしてあった。その区画にはそれぞれの入り口からしか入れないのだ。管理者階級やホワイトカラーと労働者階級とが、それぞれ利用するスペースを分離しているのが理由だそうだ。
日本だと差別だと騒がれるようなことだが、客はゆったりとビールや食事を楽しんでいた。席を指示される訳ではなく、自分で選択する訳だが、ゆきたんく一家(この時は奥方ののりたんと次男のつっくんがいた。長男のおーちゃんは合宿中で日本にいた。)は外の席に出るように指示された。黄色人種だからではない。ここはパブである。子供の入店は認められていないのだ。それが分かったのは、つっくんがチップス(フライドポテト)追加をしに、店内に入った時に外に出るよう言われたことで分かったのである。日本では居酒屋に酔客に混じって子供が食事をしていることがあるが、パブでは許されないことなのだそうだ。

店員は愛嬌があり、ゆきたんくも遊ばれてしまった。しかし、けじめだけは揺るぎないことを知った。

今の日本は、だんだんと「たが」が緩んできているような気がする。
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