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そういえば、昨日3/10は東京大空襲のあった日だ。
10万人もの方が亡くなったのである。
そしてその年の8月、日本は2発の原子爆弾によるダメージを受け、敗戦を迎えた。
もし戦争を続けていた場合、アメリカは46年3/1に神奈川県湘南海岸に30万人、九十九里海岸に24万人のアメリカ軍が上陸するコロネット作戦を決行したという。
サイパン、硫黄島、沖縄を陥落させたアメリカ最強の海兵隊が上陸し、千葉県東部が焼け野原になっていたかもしれないのである。
写真は大網白里町の国道の下にある防空壕である。岩盤を掘って造った丈夫な構造のもので、中は広く造られている。なかなか骨を折ったことをうかがい知ることができる防空壕である。
防空壕内部①
現在は水が溜まってしまっているが、入り口の穴から少し中に入ると、左右に通路があり、隣の穴とつながっている。この防空壕は個人のものである。平成17年に危険な民間の防空壕は埋め戻し作業が進められて、当時のものはなかなか見られなくなってきているが、ここは強固な岩盤であるから、埋め戻しをしなくても良かったのであろう。
防空壕内部②
近くには旧日立航空機大網地下工場跡もある。岩盤を彫って造られた地下壕である。現在は入り口が網でふさがれていて中には入れない。
旧日立航空機大網地下工場跡①
近隣の方の話だと、ここに水を溜めて、魚を飼っているという。網にカメラを近づけて内部を撮ってみた。このような狭いところで、機械工場が成り立ったいたのだろうかと思う規模である。
旧日立航空機大網地下工場跡②
埼玉の吉見百穴の方がゆったりとした作りである。というよりも急いで工場を地下壕に移さなくてはいけない状況だったので突貫工事になり、大きなものか造れなかったとの見方もある。
戦況は良い話が多かった中、自分の命は自分で守らねばならないという事実が、このような防空壕を造らせたのであろう。
そうでしか「通路坑」でしたか。
以前大雪の日にご案内いただいた某地下壕も
作業を行う所に達する前は細かったり、天井が崩れていたりしたのを思い出しました。
私が大網を訪ねたのは、昨年の陸上競技千葉県選手権大会の後でございました。東金が近かったのでね。
そして大網まで足を伸ばしたのですが、この坑の近隣の方がいろいろと案内をしてくださったのです。
別れ際には、「また、おいでよ」と言って下さったので良い印象しか残っていません。
まあ、いろいろな方々がいらっしゃるのでしょうね。まして役人はね…
しかし、このネタで書いている時から、隊長は絶対にいらっしゃると思っておりました。
いろいろとご指導ありがとうございました。
敬礼!
謹んでお悔やみを申し上げる次第。
掲載写真、地下工場の看板がある入り口ですよね?
今は金網で封鎖されているのですね・・・
大網白里町に、この地下工場について
聞き取り調査をしたことがあります。
(もう10年以上も前の話・・・)
この時、町の反応は非常に冷たく、
地下工場一帯の地域は造成地域に指定されてるので、
知っている人を紹介するから(黒須さん)
現地調査しないでくれみたいなことを言われました。
この時、内部調査してもこの町に情報提供は
一切しないと思った記憶があります。
地下工場の坑道について、1つだけ解説を・・・
くんたさんが撮影されている坑道は、
「通路坑」といいまして、
ここに工作機械が置かれるわけではありません。
工作機械は通路坑間に渡される連絡通路(作業坑)に
置いて作業をします。
したがって、通路坑よりは作業坑の方が幅・高さが
あることが多く、構造も碁盤の目やアミダクジ状を
呈すことが多いのです。
ご清聴、ありがとうございます。