伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

なんで…

2008-04-15 21:21:04 | Weblog

 写真は千葉県野田市にある山崎貝塚である。
良く整備されており、解説板や休憩に使える東屋などがある。
北東の解説板からは、貝塚が一面に広がっている様子を見ることができる。


解説板からの眺め

 
解説板(案内図)である。

 楕円に近い形をしている。長径170m短径145mの大きな貝塚である。
流山街道という幹線道路を挟む形で竪穴式住居があるという話を聞いたので、この管理された場所よりもさらに大きかったことがうかがえる。いたずらに立ち入る者など無く、いつ見てもきれいな史跡だなと感心する。他市では草がボウボウ生えていたり、解説板へのいたずら書きがそのままだったりするのを見たことがある。

 一方、同じ野田市でも清水公園脇にある、「野田貝塚」は場所を示す標柱のある場所が貝塚だったことが分るのに、少し間があった。山崎貝塚のような見栄えのつもりでいたからだ。まして同じ市である。標柱の近くに貝殻のようなものが落ちているが人が平気で足を踏み入れることができる感じなので原型は崩れてしまっているであろう。 


寂しいかな、野田貝塚

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あの頃僕は若かった。

2008-04-14 23:33:38 | Weblog

何でも勢いでできてしまう時。
 何も怖くなかった時。


 若い時というのは、先の見え方が中途半端なものだから、ちょっと頑張れば何でもできるような錯覚をおこすことがある。自信過剰で何でもやりたがる。しかし、周りにいる大人の手のひらの上にいるのに過ぎないことが分かったのは、自分が大人になってからである。
 若い頃に取り組んだことは、常に熱いエネルギーを伴っていた。もちろん暴走はつきもので失敗も数多くした。その失敗を糧として成長するために道を創ってくれたのは先輩であった。
 人生の先輩といえる方々も、若い時を経て今に至っているということを若者は分かっていないのである。それを温かい目で、「まぁまぁ、まだ若いんだから」と許してくれたことに感謝して今を生きているゆきたんくである。


 写真は、友人のY氏の結婚式の二次会で出し物の一つ、ゆきたんくオリジナルの「ひとみ」を歌い終わった時の記念写真です。一番前でギターを持ってピースをしているのがゆきたんくであります。

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辛口

2008-04-13 23:10:29 | Weblog

 昨日は甘口だったので今日は辛口でいく。
たまにはそういうのもいいだろうと勝手に思っているゆきたんくである。
悪しからず
 写真は新宿ミロードの端に立っているドロミちゃんである。
新宿は小田急デパートで行われている友達の個展に行く時のことであった。

 昼食を食べていなかったので新宿駅構内にある立ち喰いそば屋に立ち寄った。そこでの出来事である。

 ゆきたんくが暑さに負けながらおろしうどんを食べていた時、テーブルに器を置こうとしたご婦人に若者がぶつかったのである。ご婦人は手をそばつゆで濡らし、どんぶりの乗ったおぼんにもつゆはこぼれたのである。
 若者は「すみません、大丈夫ですか」と声をかけたのであるが、後はその場で状況を見ているだけであった。そして再び「大丈夫ですか?」との声。

 「あなたがぶつかって手がつゆで濡れているんだよ。拭くものでも出しなさい。」と思いながらウェットティッシュを出した時には、ご婦人は店員さんに布巾をかりて始末をされていた。それを見ていた若者は「大丈夫ですか?」との声。突っ立っているのである。ご婦人が「大丈夫よ」と応えたら、何事もなかったように自分のそばをもらい食べている。
 結局のゆきたんくの出したウェットティッシュは使われなかったので自分の口の周りを吹くことになった。
 先に食べ終えたゆきたんくが帰ろうとしたその時に、ご婦人が「先ほどは、本当にありがとうね。」と声をかけてくれた。この気遣いにうれしい思いを抱いたのだが、先ほどの若者の鈍いこと。そう心の動きが鈍いのだ。過ちはどんな時にもついてまわるが、犯してしまった後はどのようにすればいいのか。この部分が育っていない若者が増えているのではないだろうか。
 そして何回も「大丈夫ですか」と聞いているが、「大丈夫」の返事が欲しかっただけではないだろうか。相手の立場に立って考えてはいないのである。自分中心なんだなぁ。

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にゃんとジロー

2008-04-12 20:27:04 | Weblog

 我が家に住み着いて10年になる猫夫婦、それがにゃんとジローである。にゃんが1歳年上であるから、人間で言えば7歳の姉さん女房である。

 今から書くのは、まだ冬を迎える前、そろそろ炬燵の用意をしなければという頃の話である。

 いよいよ寒くなってきて炬燵の用意を始めたが、まだカバーをかけていないその時、覚えていたのだろうか、こたつの下の敷布の上にジローがやってきたのだ。それを追いかけるようにニャンもやってきた。ジローに体を摺り寄せて暖をとるような感じである。一人でゆっくりしようとしていた時に迷惑な話である。にゃんは満足げ、ジローはどうしようって感じが分る。にゃんは一生懸命体を摺り摺りしながら何かモゴモゴ言っている。


迷惑そうなジロー(キジトラ)

 しばらくしてジローが体の向きを変えた。ニャンの頭に自分の頭を寄せ、組んだ手の上に頭をおいた。するとニャンの動きが止まり、呼吸も緩やかになってきた。あいかわらずにゃんは何かモゴモゴ言っている。なんか文句があるのか。ジローは何も言わずにニャンの好きなようにさせていたが、ニャンの動きが止まるとそっと目を閉じた。そのまま2時間のあいだじっとしていた。(2時間も見ていた訳ではない。この下の写真の姿がそのままだったのだ。)


しょうがないなぁ~byジロー

 その後、少しずつであるが押し競饅頭をしながら向きを変え、写真のような体勢になった。ニャンが「ムゥ~ン」と甘えた声を出すとジローが舐めるのを繰り返している。


まぁ、こんなところでしょうbyジロー

 目をつぶって気持ちよさそうにしているニャンはかわいい。拾われてきた最初の頃、あくびをするときに耳まで裂ける口が怖かったが、今では立派な家族の一員である。次男のつっくんの誕生以来の第一号の家族である。いるだけで心豊かになる瞬間をプレゼントしてくれる我が家のネコたちに感謝。

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ソースせんべい

2008-04-11 23:59:41 | Weblog

 大人には、胸の中にしまってある数えきれないほどの思い出があるだろう。
そして、たわいもないことほど忘れられない思い出になっているものだ。

 小さい頃には、ホームグラウンドになっていた公園があるだろう。そこでの遊びに欠かせないものは、ブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー、土管トンネル、砂場である。

 それ以外の楽しみが一つある。自転車でやってくる紙芝居のおじさんである。紙芝居も楽しいのだが、それとともに売られている水あめや、ソースせんべい、メンコ型抜きも楽しみであった。

 ソースせんべいについては、ソース味だけではなくアンズジャムの味も忘れられない。丸いせんべいをアンズじゃむで貼り付け、半分に割ったせんべいを耳のように貼り付けたうさぎの頭の形をしたせんべいなどが思い出される。 なんてことない思い出なのだが、忘れることはない。
 あの鮮やかすぎるほどのアンズじゃむでベロを真っ赤にしながら食べたソースせんべいの味はおいしかった。しかし、それを二度と味わうことはできなかったのである。

 先日ある店でソースせんべいを買って家で食したのだが、あの懐かしい味はしなかった。 あの時代の、そう一心に遊ぶことができる子供時代にしかない味覚なのかもしれない。だからこそ、いつまでも朽ちない思い出なのだろう。

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ごっくん

2008-04-10 23:54:42 | Weblog

 仕事で鎌倉へ行った時のことである。
鎌倉と言えば、源頼朝が鎌倉幕府を開いた所で、東西北の三方を山に囲まれ、南部は相模湾に面している。攻めにくい地形を利用して都を作るとは頭がいい。
 この日は好天であり、少し歩いただけで汗が出る出る。鎌倉駅から西へ鎌倉市役所を過ぎトンネルを過ぎて少し行ったところを右折する。途中葛きりのうまそうな店や駄菓子屋さんが誘惑するが、どうにかやりすごす。
 目の前に急な坂が姿を現す。「おぉ、これを登るのか。」と思いながらも仕事は頑張らねばならない。靴の中で足が滑ること滑ること。坂が緩やかになるところに隋道が姿を現す。銭洗い弁財天へ続いているのだ。
 銭荒い弁天に着くと、茶店がある。もう我慢ができない。冷たいものが欲しくて店の冷蔵庫を覗いたら、「ゆずジュース(写真)」があったので、迷わず買って飲んだ。
 この世のものかと思うほど旨かった。店の方に「おばさん、これは鎌倉にしかないんですか?」おばさん曰く、「いえいえ、これはね高知県から取り寄せているんですよ。自分で飲んでおいしいと思ってねぇ。」

 神奈川県の鎌倉で高知県の飲み物が飲める。これって今では当たり前のような気がするが贅沢なことである。各地の名産なども駅のキオスクで手に入ることもある。
 しかし。まだこのような形でしかお目にかかれないものに出会えたことは、非常にうれしいものである。
 最後にこのジュースのサイトを載せておく。


ビタミンたっぷり!高知県馬路村のゆず商品「ごっくん馬路村

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恥じらい

2008-04-09 23:56:48 | Weblog
「恥じらい」とは、はじらう気持ち・はじらう態度のことだそうである。
 その「はじらう」とは恥ずかしがることをいうそうだ。
写真を見てくれたまえ。左側の男の子は3歳のゆきたんくである。父親の田舎に行った時にいとことツーショット、それもワンピースを着て笑顔で写っているのである。そしてこの時のことは記憶にも残っていない。自分で着る訳がないのだから誰かが着せたのであろう。そして写真の分析だがゆきたんくは恥ずかしがってはいないのである。何事も当たり前のように受け入れてしまう時期というのはあるものだ。この時期に正しい躾がされて初めて人間になっていくのだと思う。「三つ子の魂百までである。」ちなみにこの二年後に引越しした先で友達ができて、その兄に「ゆきちゃん」と呼ばれていたことがあるのだが、「ぼく、女の子じゃないもん、ゆきくんと呼んで」と言い返したことを思い出した。べつに「ゆきちゃん」でもおかしくと思うのだが、あの時は無性に恥ずかしかったことを覚えている。
 ゆきたんくが思うのは何でも無条件で受け入れていた無垢な時に、
  ピアノを習わせてくれたら…
  英会話教室に通わせてくれたら…
  サッカーのクラブチームに入れてくれたら…
など今となっては欲張りなことを思うのである。
そういえばハンマー投げの室伏選手はこのころ父親の作ったおもちゃのハンマーで遊んでいたというではないか。彼の父親がまだ現役の頃、そう八カ国対抗陸上が国立競技場で開催された時、スタンドで父親の応援をしながら大学生顔負けの四回転ターンをしていた四歳の彼を見たことがある。
もしかしたら人間というのは恥じらいを知る前に生き方の素質が決まっているのかもしれない。
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喪失感

2008-04-08 23:54:21 | Weblog

 誰もが、一回は経験したことのある喪失感。 なくてはならないものを失くしてしまった時。今までは別にに気にしていなかったけれど、なくなって初めて感じる寂しさ…

  身近な者との別れは誰もが避けることのできず、ある程度は覚悟していると思う。

 2001年9月11日、世界を震撼させた米同時多発テロが起こった。
 誰かが「映画を見ているようだ。」と言わしめたWTCビルへの旅客機の突入。
その瞬間はテレビで見た。「大変だ~」というよりも「何?」という感じが先にたった。あまりにも現実離れしていたからだ。

 WTC2への突入時には「Oh my god!」という声がたくさん聞かれた。「Oh my god!」の声は泣き声、叫び声であった。 その感情は肌を通して伝わってきた。   WTC内の人の安否、旅客機の乗員の安否はもとより起こるはずのないことが目の前で起こっている現実。そして追い討ちをかけるように崩壊した世界経済のシンボルたち。 素人目にはあんなに簡単に崩れるとは思っていなかったのであっけにとられてしまった。
 グラウンド・ゼロ。文字通り(実際には何もないということではなく、爆心地という意味だが)その存在が無に帰してしまったWTCビル。いずれはそのビルの屋上からの風景を見たいと思い、その時の感激を思い描いていたがそれも夢になってしまった。あのシンプルだが美しい双子ビルの天辺はもうない。

 ある旅客機機長は長いフライトの終末に二本の直方体が見えてくると嬉しくなると言った。普段意識はしていないが、何がしか心のよりどころになっているものは必ずある。 WTCの存在がよりどころの人たちもいただろう。私にとってもいつかそのようになるのではという予感は現実にはならなかった。逆に言えば、この事件によりかつて、マンハッタンに双子ビルがあったということが永遠に心に刻み込まれたのである。  どうにもならない喪失感と一緒に…。

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冤罪

2008-04-07 23:59:01 | Weblog

 先日千葉県我孫子市の某レストランで食事をしていた時のこと。
 大体メインを食べ終わり、デザートに移った時に、次男が「わぁ、これ便利だねぇ」と言ったその手に持たれていたのは写真にある「先割れスプーン」だった。ここ30年の間お目にかかることはなかったのだが、大変お世話になったこの方を忘れることはなかった。お腹が満たされ、疲れていたゆきたんくは白昼夢の世界に入って行った。

ゆきたんく
 「いやぁ、先割れさん、お久しぶりですねぇ。」

先割れスプーン
 「本当ですねぇ、30年ぶりでしょうか。」

ゆ「そうですねぇ、いつかまたお会いしたいと思っていたんですよ。このような形でお会いすることができると思いませんでした。とにかくうれしいですね。」

さ「そこまで言っていただけるなんて。私は子供の敵として追われた身でしたのでね。」

ゆ「今あなたを使っていたのは私の次男なんですよ。中学生です。その次男があなたを使ってみて便利だねぇと感嘆していたのですよ。」

さ「えっ、それは嬉しいですねぇ。もう学校給食の場では再就職は無理だと思い、レストランのデザートスプーンとして隠れて生きてきました。」

ゆ「そう、あの時はあなたにとって大変な時期でしたね。」

さ「学校給食の場で犬食いをする子供が増えているのはお前のせいだと面と向かって言われましたものね。
1年365日として、当時は日曜だけが休日だったので6/7かけて313日、夏休みを40日として273日、冬休みを15日として258日、当時の祝日を10日くらいとして248日ですね。そして給食は昼だけだから3で割って、」

ゆ「そうすると学校での食事は83食じゃないですか。1年で365日×3食で1095食、83/1095で単純計算で0.076、約8%」

さ「その通り、1/10弱ですよね。それなのに犬食いだとか、はしが持てなくなるとかを私のせいにされたんですね。」

ゆ「もっとも、あの頃の給食の主食はパンでした。副菜が洋風でしたから、あなたは必要な存在だったと思います。もっとも、現在では米食とか麺類も出るときがあり、その時にははしの方が適していると思いますが…。批判を受けた部分についてもあなたに原因があるのではなく、家庭での躾に原因があったと思います。」

さ「先ほど学校給食の場での再就職は無理という話をしましたが、実は日本中を見ていると公立学校の三割くらいは私の仲間を使ってくれているところもあるようです。文部科学省の調査結果です。」

ゆ「ねぇ、あなたは悪くないですよ。その証拠に先入観を持っていないうちの息子が喜んでいるじゃないですか。あなたは大変優れた食事用品だと思いますよ。名古屋で有名なすがきやのラーメンは先割れスプーンで食べるそうですね。そして赤ちゃんが離乳食を自分で食べるようになる時、また体の不自由な方や機能障害がある方には重宝なものなんですよ。」

さ「そうですか。私の仲間はそのように役に立っているのですね。」

ゆ「そうです、世の中が様々な変化を遂げている時に、スケープゴートにされてしまったのだと思いますよ。犬食いやはしが上手に持てなかったのは他に原因が・・・。」

「お父さん、帰るよ。」
の声に割れに、いや我に返った。
先割れスプーンとの白昼夢から覚め、現実の世界に戻された。白昼夢の中でえらそうにしゃべっていた私だが、私自身先割れスプーンを蔑視していたことがあったはずだ。それは自分の判断ではなく、世間一般が言っていることを物差しにして、価値観を決めていたからであろう。その判断が多数になれば、実際には違うことでもいつの間にか事実になっている怖さ。先割れスプーンへの評価は冤罪であると思っているのである。実に申し訳なかったと思う。

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ゆきたんKって…

2008-04-06 23:29:23 | Weblog

写真はゆきたんKバッグ

 

さぁて、今日は敬体で書いてみます。

 さて、伝えたんくを訪れていただいた方の中には、親サイトの「幸たんく」に来ていただけた方もいらっしゃると思います。ありがとうございます。コンセプトもはっきりしていないヨロズサイトでございますからね。それじゃいけないってんで、幸せの詰まっているタンク達だというコンセプトにしてありますが…。
 しかし、なぜ「しあわせ・たんく」でなくて「ゆきたんく」なのかと聞かれた方もいらっしゃいます。 実は、私のハンドルネームは「yukitankゆきたんけー)」というのです。面白い名前でしょう。インターネットを始めるに当たってアカウントを決めなくてはならないのですが、本名の「yukihiro(ゆきひろ)」はもう使われていてだめ。ふざけて「yukitan(ゆきたん)」というので確かめたら誰も使っていない(笑)とのこと。
 これに名字の頭文字のKをつけて「yukitank(ゆきたんけー)」で申し込んだらOK。そしてネット上の友達も段々に増え、オフ会などというものにも顔を出すようになります。最初のうちは、お会いした方に「なんでゆきたんくっていうの?」とよく聞かれましたが、そのたびにゆきたんけーと訂正していたんですが・・・

そして・・・「ゆきたんく」という固有名詞が勝手に一人歩きを始めたんですよ。
極めつけは、オフ会で実際に会った時、「あっ、ゆきたんくさんですね。初めまして、大きな方だったんですね。それでゆきたんくさんなんですね。」とおっしゃる・・・。
 「おいおい、私の体はタンクかい。」(怒)
 まぁ、私は180cmで93Kgありますからね。タンクに見えてもそりゃあしょうがないですよ。体つきをハンドル名にする人は。まずいらっしゃらないと思いますが、名は体を現すっていうのを、体現したような結果を招いてしまいました(笑)。
 まぁ、そんなことから、「ゆきたんく」という言葉が頭に残ったんです。そして時期を同じくして、友達に勧められたホームページ作りに挑戦したかったんです。
 しかし、主題設定もしないで作ってもしょうがないし、人に受けるHPを作ろうとしても性格上、長続きしないことは分かっていたんです。
 「よし、自分本位のHPを作ろう。」と思い立ち、自分の尺度で測れるものを考えていたら「幸せ」に行き着いたんです。そこで「ゆきたんく」という言葉を思い出し、幸せのつまったタンクということで、「幸たんく」が生まれたんです。

 人様とのかかわりが物事を始める動機付けになったり、方向性を決めたりすることってありますが、私の場合はホームページ作りのきっかけになりました。
 この「幸たんく」は自分を表現する手段として非常に気に入っています。「幸たんく」というHPを作れて本当に幸せです。                                                      

                                          ゆきたんK

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ランドマーク

2008-04-05 23:21:16 | Weblog

 ゆきたんくが小さい頃に好きだったことがあった。
東京都品川区大井町にあった当時の自宅の屋上から見ることのできる東京タワーである。
周囲に高い建物が無く、赤く尖がってそびえているのが素敵だった。

 近頃よく使われている言葉の一つに「ランドマーク」がある。意味は①山や高層建築物など,陸上の目標。②土地の境界標識。 となっているから、東京タワーは①に入るだろう。

 初めて東京タワーの150m展望台に登ったのは小学校4年生の時だった。
東京湾に船が浮かび、遠くの方まで見えたことにびっくりした。とにかく普段見ることのできない遠方の景色を目で追っていた。当時あったかどうかは記憶にないが、どの方向に富士山が見えるとかのシルエット表示(プラネタリウムでも下端に建物のシルエットがある。)さながらの景色が見えていた覚えがある。

 今回使っている写真は今から5年前のものになる。知人との待ち合わせが東京タワーの近くだったので行ってみることにしたのだ。正式に登るのはこれで2度目、足は何回も運んでいる。小学校の仲間と、そう高学年の時に自転車で来たのだ。

 恐る恐る登ってみた(いつなったのかは定かではないが、高所恐怖症)。
あの子供の頃の記憶が消し飛んでしまいそうな様が目に飛び込んできた。 


ご存知森ビル、六本木ヒルズ


お台場、フジテレビの球体が見えている。


レインボーブリッジ

 ゆきたんくが子供の頃に、こんなもの達は存在しなかった。東京タワーが、都心唯一のランドマークとして存在感があったのはもう40年も昔になるのか。まあ東京タワーも御年50歳になられるのであるから、しょうがないのか。

 もっとも今回は250mの特別展望台まで登った上での写真であるから、周囲には背の高い建築物が増えた訳である。


タワーイルミネーション

 今度来たら、子供の頃の記憶がゆがんでしまうかもしれない。仕事でもなければもう行かないことにしよう。そして第二東京タワーの話もあるが、行かないで思い出を大切にしておきたいと思う。

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味って

2008-04-04 23:13:04 | Weblog

 今年オリンピックが開催される北京。
その北京へツアーで旅行に行ったことがある。ツアーと言えば目玉は世界遺産とか、名物料理になる。

 その北京で一番ゆきたんくに口にあった食事が刀削麺(たおしゃんめん)である。食べ物の味は、舌だけでなく、目でも耳でも味わうのだ。という話を聞いたことがある。

 旅行での食事は北京ダックだ、上海料理だ、飲茶だ、四川料理だと北京という土地柄を無視した構成になってはいたが、特に思い入れのある地域がないのであれば、ノープロブレム、楽しんでしまえば良い。

 ゆきたんくが楽しみにしていたのが山西料理の刀削麺である。麺帯(めんたい)を肩にかかえて、金属のヘラでシュッシュッと削りながら沸騰する湯に落としていくのを見たことはないだろうか。今では都内の刀削麺レストランなどで売り物にしているパフォーマンスでもある。
 中国の土地で、初めて食べる刀削麺の妙技を見ることができるんだと日本を立つ前にワクワクしていた。

 さて、北京観光旅行もあと一日を残すのみ、故宮博物院で、ラストエンペラーになり、景山公園で悲劇の皇帝を演じながら(日本人の恥だろ)茶室で休み、いよいよ昼食である。

 中国は漢字圏の国なので、何とかなるだろうと思っていたのだが、あの簡体字というやつは読めない。まだ英語の方が良いと思った。入った店の名が順潮龍大酒楼だと後で分ったのだが、看板を見た時には「順潮龙大酒桜」とあった。「龙→龍」だなんて全く分らなかった。帰国してから調べたのである。

 店の外には物売りのおじさんがいた。一つ100元のローレックスが値切る度に値段が下がり、1つ20元になり、2つで20元になり、一つでも良いよとなり、いったい原価はいくらなんだろう。


ローレックスおじさんである。
三輪車の荷台に売り物が入っている。

 いよいお昼のスター刀削麺のパフォーマンスを見れると思いきや、案内されたのは店の奥にある個室。ツアーのメンバーが一同に会して食べるのは分った。周囲を見回してみる。そこに鍋や麺帯はなかった。北京ダックの時のようにワゴンで運んできて料理人がパフォーマンスをしてくれるのか…。

 待つこと5分、ワゴンがやってきた。しかし、そこに載っていたのは、人数分の丼。それを給仕さんが一人ひとりの前に運んでくる。


これが山西料理の刀削麺だ

 そこでガイドさんの一言。「刀削麺が来ました、召し上がって下さい。」
パフォーマンスは無しであった。訪中前から楽しみにしていたのでがっかりした。しかし、この旅行で、一番口にあったメニューでもあった。目でも味わえたら美味しさは倍になっていただろうに…

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食いしん坊には…

2008-04-03 23:52:50 | Weblog

海外旅行は何度か経験があるが、やはり楽しみは食べ物である。

しかし、悲しいこともある。味はもちろんだが、量が少ない時である。
渡英した夜、友人の家でのパスタの料理、おいしゅうございました。
デザートは脂肪分たっぷりのアイスクリーム、おいしゅうございました。

翌朝、たっぷりのブランにミルクをかけて、おいしゅうございました。
昼は、イギリス版道の駅でキングバーガー、おいしゅうございました。
夜はヘレフォードのインディアンレストランでカレー料理、おいしゅうございました。

3日目の朝は、B&Bのパンディ・インでのモーニング、おいしゅうございました。大満足でございました。

 


B&Bパンディ・インのモーニング

昼はコツウォルズのボートン・オン・ザ・ウォーターでフィッシュ&チップス、おいしゅぅございました。おなか一杯でございます。


たっぷりのチップス
じゃがいも4個分くらいあるのでは?


大きなフィッシュ君
鱈のフライです

てなことをくりかえして、ロンドンのホテルの朝食。
きっとボリュームたっぷりのモーニングだろうと思っていたら写真のやつ。
コンチネンタル・ブレークファストというのだそうだ。
隣のテーブルにいた渋谷の古レコード店の店員の常宿だそうだが、旅費を少しでも浮かすために朝はここのモーニングだそうだ。
ベイクド・エッグ、ベイクド・ビーンズ、マッシュルームのソテー、ハッシュポテト、トースト、紅茶である。まずくはないのだろうが、今までの食べ物がドラマチックであった分割を食ったかもしれない。

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つながり…

2008-04-02 23:52:49 | Weblog

 今ゆきたんくは「PHP新書」、「PHPビジネス新書」に凝っている。あまり本好きでもないのに、自発的に興味を持って本を読んでいるのだ。最近では「伝える力」、「今すぐ使える!コーチング」である。

 唐突だが、ゆきたんくの悪い癖を紹介しよう。車に乗るようになってからの話である。普通の人は、車で目的地に向かう時には、間違いなく着くことのできる広い道を通って行くという。ゆきたんくは、どうも狭い道が好きで、寄り道をしてしまう。こういうと格好悪いので、目的地までの近道(ではないだろうか…という希望的観測)を求めてと言いなおそう。
 まあ、それで何度も行き止まったり、かえって時間がかかったりするのである。よせばいいのに、出かけるたびにそれである。ところが、ある時にした寄り道が以前行き止まった道につながることがある。「あれ、ここには来た事がある。」
 そして、そういうことが増え、抜け道の王者になっていたゆきたんくである。
「これってシナプス(神経回路)が枝を出してつながっていくのに似ている。」と思ったゆきたんくである。運動神経然り、勉強然り(できなかった問題が、ある日突然解けることがある。)である。

 写真はイギリスはロンドンのヴィクトリアコーチステーションの行き先表示コーナーである。このコーチステーションは日本で言うバスターミナルである。なんで「コーチ」というのかは分らなかったし、追求もしなかった。
 そこで「PHPピジネス新書…今すぐできる!コーチング」の登場である。
 冒頭のところに、コーチの語源である自家用馬車が、人を思い通りのところへ連れて行ってくれること家庭教師(19世紀になってからコーチと呼ばれた)が相手に合わせて個別指導し、その人の学習目標を達成させることからコーチと教師が同義語になった流れが記してあった。
 そしてヴィクトリアコーチステーションがかつて馬車駅だったことが分ったのである。

 関係あることって、いつかどこかでつながるのだ。無駄なことなんて本当はないのかもと思ったゆきたんくである。


ヴィクトリア・コーチ・ステーション案内所

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この時期一番好きなもの

2008-04-01 22:58:29 | Weblog

 昨年は見損なってしまったので、一年間待った千葉県は流山市の「千草稲荷」の桜の花を見に行った。なんと言ってもゆきたんくがこの世の中で一番きれいだと思っている桜である。もちろん他と比べてなんて代物ではない。完全な主観である。小さなお稲荷様の上に、ピンクの綿菓子のように膨らんでいる桜が見れるかと思って流山に急いだ。風は強く、いつ花びらが散ってもおかしくはない。ところが、「あ~ぁ、散っちゃったぁ。」桜の木を見た第一声である。散った花びらが道路を舞い、枝にはピンクよりも緑の割合が多い。「あぁ~、がっかり」である。


千草稲荷の桜

 せっかく来たので、写真を撮るだけは撮ろうと思い、1枚目の写真を撮った。この時の気分も、1年も待ったという思いに支配されて満足はしていなかった。家に帰り、見直すと、思いのほか綺麗に撮れていた。淡い桃色と緑の取り合わせが、なかなか良い感じである。満開の桜が撮れなかったことは本当に残念ではある。しかし、それが撮れていたら、今回の桜には出会わなかった訳である。自分の思い入れのある桜の新たな表情を見ることができたことで今年は良しとしようと思うできである。1年も待ったのに、タイミングを逸してしまったゆきたんくをかわいそうに思った神様がプレゼントをくれたのかもしれない。


桜の花のアップ

 今年の開花で初めて気がついたこと。それは桜の花は、斜め下を向いてこちらを見ているということ。ひまわりは太陽しか興味がない花なのだが、桜の花は咲いている間はこちらを見ているのである。

 満開の桜を見るばかりが桜の見方ではないことを、千草桜は教えてくれた。一つの樹に思い入れを持つことで、今まで気づかなかったことを、自分では花として咲くことのできない哀れなゆきたんくに教えてくれたのだ。考えてみれば、花が咲くときしかもてない桜も、気の毒な樹木なのだ。桜祭りでもてはやされる桜の大木達よりも、大きな建物の隅っこで健気に咲く、千草稲荷の桜がゆきたんくは一番好きなのである。

※千草稲荷   千葉県流山市流山9丁目800番地21号
           流山のデニーズ横

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