今日は「ちょい旅」だが,東京都立秋川高等学校がらみでもあるのだ。
時は2010年8月3日。
ココフカの旅で訪れた,北海道函館である。
初日に五稜郭タワーに寄った。
五稜郭タワー
入場券は穴あきパンチをしてくれる。星型の穴だ。
最上階からの眺め。五稜郭公園を見ることができる。
時刻は五稜郭公園とタワーと両方じっくりと見る時間はない。
ということで五稜郭タワーをとった。
で,何が秋川高等学校がらみなのか。
後で知ったのだが,ここの経営者が秋川高等学校の卒業生なのである。
今日は「ちょい旅」だが,東京都立秋川高等学校がらみでもあるのだ。
時は2010年8月3日。
ココフカの旅で訪れた,北海道函館である。
初日に五稜郭タワーに寄った。
五稜郭タワー
入場券は穴あきパンチをしてくれる。星型の穴だ。
最上階からの眺め。五稜郭公園を見ることができる。
時刻は五稜郭公園とタワーと両方じっくりと見る時間はない。
ということで五稜郭タワーをとった。
で,何が秋川高等学校がらみなのか。
後で知ったのだが,ここの経営者が秋川高等学校の卒業生なのである。
お気に入りの店の1つ。
今日は職場の若手と話をする。
まぁ,飯を食いながらね。
場所は魔乃巣。
喪黒福蔵氏はいないけれどね。
松戸のカレーラーメン専門店である。
魔乃巣のカレーヌードル。
で,辛旨だった。
で,また糖質を摂ってしまった・・・
覚えていらっしゃるだろうか。
そう,あの方だ。
役目を終えたのだ。
ゆっくりとお休みいただきたい。
お辞儀をしていたヒマワリくんだ。
今日は友人とお茶の日。
いや,休日出勤の関係で食事と相成った。
場所はジョナサン。
食べたのは酸辣湯麺。
けっこういける。
ジョナサンの酸辣湯麺。
腹にしっかりとたまった。
糖質オフ麺もあったが,たまの糖質は良いだろう。
お話はそこそこにして帰宅した。
そういう日はたくさんある。
そう,毎日がそんな日である。
〇.〇〇なんて呼び名がついている日も象徴的な日である。
9.11もその一つだ。
その日は出張で群馬の公的施設にいた。
夜の9時ころ,施設内を見回って自分の部屋に戻ってテレビをつけた。
その瞬間に見た映像がこの場面だった。
本当にリアルな映像だと思った。
映画にしてはリアルだなと思った。
ウルトラマンを観て育った世代である。特撮には慣れているのだ。それにも関わらず,すっげぇリアルだと思った。感心してしまったほどである。ほどなく,解説を聞いて現実だと知る。 たくさんの方が亡くなった。テロだということも知った。いたたまれなかった。 そしてこれは事前に察知されていた出来事だったのだろうか。なぜこんなことを書くのか。真珠湾攻撃と,9.11のテロが不意打ちという括りで同一の扱いを受けているからだ。果たしてそうなのか。 はっきりとした事実として残っているのは,このテロに関わる事件では2977人(ハイジャック犯を除く)もの方が亡くなったことだ。あれから,17年が過ぎた。あらためて,ご冥福をお祈りしたい。いやぁ,立ち仕事厳禁・・・
なのだが無理だな。
で,できるだけ早く上がるようにしている昨今。
のりたんが,いつもより早く退勤できるようなので千菓進(ちかしん…松戸市竹ヶ花西町の喫茶店)で一服。
タンパク質の補給だ。
トマトジュースと糖質だが,まぁいいか。
カウンターに座り,他にお客さんがいないのをいいことに右脚を隣の椅子に載せる。
足のことはマスターとママには伝えている。
少しの時間でも高い場所に載せておこうということだ。
トマトジュース。
ママ特性のちょっと甘い玉子焼き。
これらをつまみながら,ママやマスターとお話。
これだけで命の洗濯になる。
マスターは随分と大人しくされている。
また元気になってほしいと会う度に思うゆきたんくである。
ママは娘さんたちとマスターを助けて千菓進を続けている。
いつまでも続くといいな。
そして千菓進を出る時には,「行ってらっしゃい。」と声をかけてくれる。
家族のようだね。
そう,長崎の生月島は現在の平戸市だ。
そこの市議会議員がFBの友達にいる。
「自分が議員でいる間に来てくださいね。」
なんて言われているが,現在4期目を務めておられるからまだ大丈夫だろう。
今年6月末に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。
ゆきたんくの旅につきものの勉強不足により,生月島は塩俵断崖の見学が中心になってしまった。
生月島「塩俵断崖」 → Map
登録された世界遺産に含まれている中江ノ島はかつての 隠れキリシタンの処刑場所だったのは有名な話である。
場所は,平戸島と生月島の間に位置する。
そして隠れキリシタンの聖地にもなっている。
一般人は上陸することはできないので,生月島か,平戸島からの写真撮影でしかデータを残せない。
生月島に行ったのは2011年だ。
その時は福岡,佐賀,長崎と旅行したのだが,長崎県で撮った写真の枚数が,1707枚。
うち,中江ノ島は0枚。
と,ずっと思っていた。
2年後に中江ノ島が写っている写真を1枚発見した。
生月漁業共同組合の港から撮った写真だ。 → Map
上の写真の一部を拡大した。堤防の切れ目から中江ノ島が見えていた。
ここ数年で「明治日本の産業革命遺産」を追いかけたが,この「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」も位置的には同時に追いかけることができるのではないだろうか。
あっ,足を治さなきゃ(´;ω;`)ウッ…
今日は土曜日。
自宅から5分のところにある両親の墓に,体のことを報告に行く。
あと30年くらいかな。
一緒に入るのはね。
それまでは精一杯生きないとね。
ゆきたんくの報告を聞いて,安心してくれたのではないかな。
ところで墓は田んぼに囲まれている。
その帰りの写真である。
白いもの発見。
おお!
丁度一日前は,とても不安な気持ちで過ごしていた。
この光景を明るい気持ちで見ることができたことに感謝したい。
今日は入院の日。
一日だけどさ。
リンパ管造営検査をする。
あ,そうそう蜂窩織炎で入院し,自宅療養をへて職場復帰した。
退院後1か月の検診で,退院時よりも足が腫れあがっていたのだ。
右脚が左脚の倍にね。
セカンドオピニオンというか,最初の病院のお医者様に紹介状をいただき別に病院で診てもらった。
一目見て「リンパ浮腫ですね,ちょっと酷いなぁ。」と言われた。
問題はどこから漏出しているかだった。
まずは,皮膚科。
10年ほど前に皮膚疾患を患った。
これも感染症なので,リンパ管に悪い影響をもたらすらしい。
念入りに見ていただいた。
感染症は綺麗に治っていて,今回のリンパ液漏出とは無関係である。
退院後の過ごし方に問題があったようだ。
造影剤を注射し横になる。
ゆきたんくは,この造影剤を点滴の要領で時間をかけていれるものだと思っていた。
片足2か所を計20秒で終わった。
後は横になって造影剤が体の中心まであがってこなければならない。
トイレは行って良し,飲み物も飲んで良し,あとは飯時以外は横になっていなければならない。
注射後30分経過。
前に入院した時に,友人がウィルキンソンのジンジャエール辛口を持ってきてくれたことを思い出し,買物をしておいた。
平日の1日入院なので,職場以外には知らせていない。
家族も来ない。
自分で楽しまなければならない。
ウィルキンソン。旨い。
主治医の先生も,手術が立て込んでいるようだ。
元々手術で時間が空いてない時をゆきたんくのために予約を入れてくれたのだ。
いくらでも待つさ。
間に脚部の血管エコー検査があった。
血管は綺麗だという。
いよいよリンパ管に絞られてきた。
先生の見立ては凄い。
16時半に声がかかった。
造影室に行く。
暗闇の中で,足に蛍光を当て,モニターを見る。
左足のリンパ管は筋になって並んでいる。
鼠径リンパ節の方までしっかりと造影剤が入っている。
いよいよ浮腫んでいた右脚である。
つま先からくるぶしまでOK。
くるぶしから膝の途中で,夜空に花火が開いたように放射状に白い線が広がっていた。
先生が,「リンパ管が破裂していますね。」と
大きなけがとかぶつけたこともなかったので,腫れ始めた7月初旬から2週間の過ごし方がリンパ管に圧をかけ破裂したのだという。
「あれか・・・」
思い当たることはあった。
そして膝から右脚鼠径部へ・・・
造影剤は流れていた。
ここで流れが止まっていたら,手術の可能性があったのである。
今度映像をいただこうかな・・・
ゆきたんくが見たような映像は,ぐぐっても見つからなかったのである。
それほど見事な大車輪の花火であった。
基本的には医療用ストッキングで圧をかけて,静脈血やリンパ液が上のように流れるように。
立ち仕事NG,座り仕事も足首を腰の高さまで挙げて・・・
その通りしないと治らないというし,仕事にもならない。
次の診察で,リンパ管からの漏出がなくなっていなければ手術の可能性があるという。
まぁ,CTやレントゲンを初めとする検査をこの機会にということで再び受け,頭部,胸部,腹部には病変がなかったというだけでも明るいニュースである。
またしばらく杖が友達である。
北海道胆振東部地震が起こった。
震度が一番強かったのは7の厚真町。
テレビニュースに写った航空写真は未だかつてと目にしたことがない形状だった。
オレンジの筋がたくさん入っている山々。
その筋は山崩れのだった。
あわててiPadを開く。
厚真町
元々がどうなっていたか確認することで,現状を知ることがてきると思ったからだ。
あまりにも変わり果てていた姿がテレビに映ったのだった。
いつも思う。人間はなんだかんだ言って自然の力には勝てないのである。
被災された方々のご無事を祈り,筆を擱く。
ドクペ。
これだけだとなんじゃそらだろう。
ゆきたんくの通っていた全寮制高等学校,東京都立秋川高等学校ではよく飲まれていたやつだ。
ドクターペッパーのことをドクペと呼んでいたのだ。
ドクペ
おやつといえば,ドクペにポテチ。
ポテチは分かると思う。
ゆきたんくの退勤から自宅までの途中にドクペがケースの中に並んでいる自販機がある。
それも,数ある自販機の中で一か所だけ。
まあ,清涼飲料水は糖分が多いのだが,疲れている時には補給して良いだろう。
という訳で,ドクペを楽しむことが帰宅コースに追加されたのである。
いやいやいや,3回も行っているのに写真データがなかった新潟県。
2017年12月の訪問で,写真データという証拠を元に47県巡りをコンプリートしたゆきたんくである。
目的は同行のY氏の好きな理科関係。
フォッサマグナの路頭を見ようというのである。
飛行機で富山きときと空港に飛び,そこからレンタカーで移動である。
さすが冬の北陸,周囲は真っ白である。
そしてゆきたんくはフォッサマグナを土地に入った亀裂状のものと考えていた。
そうしたらとんでもなく広い,地域にフォッサマグナが広がっていることが分かった。
その路頭を見ることができるのが,新潟県糸魚川市なのである。
おお,大断層見学地。 2017.12.26
断層路頭。胸がおどる。
大糸線,根知駅の電車の灯りを見るだけで温かみを感じる。
そして,大ショックが訪れる。
寒いのを通り越して痛くなってしまった。
レンタカーの鍵を確認たゆきたんくに先んじて歩いていたY氏が戻ってきた。
工事中とのこと。
行きに気づかなかった「工事中」の看板。
がんばろう糸魚川の字は目に入っていたのだけれどね。
気分がウキウキしている時は,自分にとって障害になる情報はスルーしてしまうのか・・・
という訳で,リベンジの旅が増えた訳だ。
今日から仕事が始まる。
この日にはお楽しみがある。
ただ,素直には喜べないな。
自分から人にあげる物がない。
そう,旅のおみやげである。
ゆきたんくは,今夏法事以外は大人しくしていた。
遠出はしなかったのである。
珍しいことであるが,足が腫れあがっていたからしかたがない。
うんうん,これが楽しみなのね。
今度は上げる側になりたい。
まず,どこに行こうか・・・
職場に休日出勤して,仕事を済ませてしまう。
誰もいないから仕事が進むね。
帰りにフラワーデポ(ゆきたんくお気に入りに花屋さん)に寄ってお墓の花を買うか。
途中献血の車とすれ違った。
日本赤十字社の献血
血の気の多いゆきたんく。
少し抜いていこうかな。
いや,9/7にリンパ管造影検査をするし,血液検査の結果も出ていないから・・・
と諦めた。
調子あげたいんだけれどね。
ゆきたんくと同い年の防災の日。
そう,1960年に閣議了解された。
近年,大きい災害が続きその名前も忘れかけている関東大震災。
関東地震により,多くの方が亡くなられた。
死者行方不明者の数は,10万5千(理科年表2006年版)と言われている。
昼食時で火を使っていたことから,火災による死者が多いと聞いてきた。
能登半島付近に位置していた台風で,関東地方全地域で風が吹いていた。
大規模な火事により火災旋風がおこり,15kmも吹き飛ばされた人もいた。
火災旋風は1000℃の高熱を伴う。
これは建物の溶解した鉄柱が証明している。
その他,津波,土石流など様々な要因で人が亡くなっている。
結局子どもの頃のゆきたんくに耳に入ったのは火災による死者が多かったということだ。
災害のポイントを見誤ると,その後の国の動向に大きな影響を与える。
3.11により亡くなった方の原因ってなんだろうか。
あらためて振り返ってみた。
90%以上が津波による溺死であった。
5%弱の圧死・損傷死等も津波による瓦礫が原因だ。
1%未満の焼死は,関東大震災では死因のトップだった。
しかし,メディアは原発のことを中心に取り上げてきた。
原発が止まり,国の経済に影響が出たことは歴史が示す通りである。
地震で原発が壊れたのだろうか。
津波による交流電源喪失による冷却装置の作動が得られず,原発を冷却できなかったことによる二次被害ではなかったか。
全国の原発を停めるのではなく,交流電源を喪失する可能性について検証すべきではなかったか。
福島第一原子力発電所事故と命名されたこの事故により,避難する方たちの多かったこと。
そして,その大部分が戻ることのない状況になっている。
戻れないのではない。
ここを細かく書くことは,その方たちの心情が絡んでしまうので避ける。
3.11がもたらした被害は地震と,二次的災害によるものだけではなかったはずだ。
休日と防災の日が重なったことで,ボゥとこんなことを考えていたゆきたんくである。
ランチを友人ととり,ざっかけない話ができることで気持ちがリラックスした。
焼肉ランチね。「くいどん 南流山店」