欧州の各国の帝国主義は、有色人種に白色人種の高い文明を広める
「白人の責務」を根拠に、世界進出を正当化するものだった。
しかし、日露戦争を通じて、欧州は、そうした帝国主義の公式は
もう妥当性がないと思ったに違いない。
文明の相対主義を受け入れ始めたのだ。
また、戦争は帝国主義とアジアのナショナリズムという二つの政治的潮流を残した。
後者はアジア人が自分自身で統治し、
西欧の干渉を排除して国を統治できるという考えだ。
これがアジア全体に送られたメッセージだった。
日露戦争で日本が勝つと、
近隣アジア諸国を始め、遠くインドやエジプトの植民地の民族主義者も、
「日本人が成し遂げたことをやろう」
と奮い立った。
世界の民族主義運動に日本が大きなエネルギーを
注ぎ込んだことは間違いない。
日本はこうした状況にどう対応するか問われたが、
日本は結局、帝国主義者として歩む悲劇的な道を選んだ。
(聞き手・国際部 遠藤富美子)
以上が記事の全てである。
私は無知なことが多いと、改めて考えさせられた。
特に日露戦争が終った後、エジプトまで影響を及ぼした点は、
考えていなかった。
私の家の近くに墓地があるが、
旧家のお墓に故人、故人に独立したお墓があり、
ひときは大きいのは、この日露戦争で戦死された方のお墓である。
その横にあるのは、ひと回り小さい太平洋戦争で戦死したお墓だった。
国益をかけた外交が最悪になると、
戦争が起きるケースが多いが、やむ得ず戦争になったならば、
どのような形であれ、勝利しなければならない。
どのような国家間の条約でも、戦争という自体のまえには、露草と消えてしまうのだから・・。
「白人の責務」を根拠に、世界進出を正当化するものだった。
しかし、日露戦争を通じて、欧州は、そうした帝国主義の公式は
もう妥当性がないと思ったに違いない。
文明の相対主義を受け入れ始めたのだ。
また、戦争は帝国主義とアジアのナショナリズムという二つの政治的潮流を残した。
後者はアジア人が自分自身で統治し、
西欧の干渉を排除して国を統治できるという考えだ。
これがアジア全体に送られたメッセージだった。
日露戦争で日本が勝つと、
近隣アジア諸国を始め、遠くインドやエジプトの植民地の民族主義者も、
「日本人が成し遂げたことをやろう」
と奮い立った。
世界の民族主義運動に日本が大きなエネルギーを
注ぎ込んだことは間違いない。
日本はこうした状況にどう対応するか問われたが、
日本は結局、帝国主義者として歩む悲劇的な道を選んだ。
(聞き手・国際部 遠藤富美子)
以上が記事の全てである。
私は無知なことが多いと、改めて考えさせられた。
特に日露戦争が終った後、エジプトまで影響を及ぼした点は、
考えていなかった。
私の家の近くに墓地があるが、
旧家のお墓に故人、故人に独立したお墓があり、
ひときは大きいのは、この日露戦争で戦死された方のお墓である。
その横にあるのは、ひと回り小さい太平洋戦争で戦死したお墓だった。
国益をかけた外交が最悪になると、
戦争が起きるケースが多いが、やむ得ず戦争になったならば、
どのような形であれ、勝利しなければならない。
どのような国家間の条約でも、戦争という自体のまえには、露草と消えてしまうのだから・・。