夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

第0次世界大戦~日露戦争~  最終

2005-06-08 12:24:34 | 時事【政治・経済】等
欧州の各国の帝国主義は、有色人種に白色人種の高い文明を広める
「白人の責務」を根拠に、世界進出を正当化するものだった。

しかし、日露戦争を通じて、欧州は、そうした帝国主義の公式は
もう妥当性がないと思ったに違いない。
文明の相対主義を受け入れ始めたのだ。

また、戦争は帝国主義とアジアのナショナリズムという二つの政治的潮流を残した。
後者はアジア人が自分自身で統治し、
西欧の干渉を排除して国を統治できるという考えだ。
これがアジア全体に送られたメッセージだった。

日露戦争で日本が勝つと、
近隣アジア諸国を始め、遠くインドやエジプトの植民地の民族主義者も、
「日本人が成し遂げたことをやろう」
と奮い立った。
世界の民族主義運動に日本が大きなエネルギーを
注ぎ込んだことは間違いない。

日本はこうした状況にどう対応するか問われたが、
日本は結局、帝国主義者として歩む悲劇的な道を選んだ。

            (聞き手・国際部 遠藤富美子)

以上が記事の全てである。
私は無知なことが多いと、改めて考えさせられた。
特に日露戦争が終った後、エジプトまで影響を及ぼした点は、
考えていなかった。

私の家の近くに墓地があるが、
旧家のお墓に故人、故人に独立したお墓があり、
ひときは大きいのは、この日露戦争で戦死された方のお墓である。
その横にあるのは、ひと回り小さい太平洋戦争で戦死したお墓だった。

国益をかけた外交が最悪になると、
戦争が起きるケースが多いが、やむ得ず戦争になったならば、
どのような形であれ、勝利しなければならない。

どのような国家間の条約でも、戦争という自体のまえには、露草と消えてしまうのだから・・。
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第0次世界大戦~日露戦争~  ②

2005-06-08 11:44:41 | 時事【政治・経済】等
また、日露戦争では、両国とも大量の兵員を動員。
武器や弾薬、そして食糧、制服、軍靴まで、前例にない規模で使用した。
供給路を確保するためには、制海権を獲得する必要があった。

2005年の2月~3月の奉天会戦に勝利した後は、
日本軍はそれ以上、撤退するロシア軍を追撃し、
戦争を続行する国力はなかった。
これも近代産業を背景とした20世紀の総力戦の一面である。

武器などの準備には、資金ん゛必要だった。
ロシアは、フランスやドイツを頼った。
一方、日本は日英同盟にもかかわらず、
ロシア嫌いで日本への財政支援に関心を寄せるアメリカの銀行家を頼った。
戦争の資金をめぐっても、国際性を持つ世界大戦だったといえる。

日露戦争は、植民地戦争として、アメリカとスペイン戦争、
南アフリカのボーア戦争と関連づけられることが多いが、
これらの戦争とは分けて考えたい。
日露戦争には、単なる植民地戦争以上の意味があるからだ。


《続く》
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第0次世界大戦~日露戦争~  ①

2005-06-08 11:05:15 | 時事【政治・経済】等
昨日の読売新聞の朝刊で、タイトルの記事がおどっていた。
歴史学者はこうして展望したのか、と興味をもった。

歴史に興味のある方と私の勉学の為に、転記させて頂きます。

日露戦争100周年を機に国際学術会議「第0次世界大戦」が先月、
東京・三田の慶応大学で開催された。
同会議に参加した歴史学者に、今日から見る日露戦争の意味などについて
インタビューした。

ジョン・スタインバーク氏
   米ジョージア・サザン大 準教授

   米ミズーリ州生まれ。オハイオ州立大博士号。
   専門はロシア軍事史。48歳。

「日露戦争=第0次世界大戦」という考えはまだ新しく、
我々が呼び始めてからまだ数年だ。
私は共同編者の一人として、このテーマで、
新著「グローバルな視点からみた日露戦争 第0次世界大戦」を
まとめた。


なぜ第0次世界大戦なのか。
20世紀は総力戦と地球規模の紛争の世紀であり、
日露戦争は、その最初の戦争と言えるからだ。

日露戦争と、その十年後に起きた第一次世界大戦とは類似点が多い。
類似点とは軍事技術が決定づけた戦場の様式である。

日露戦争の戦いは、
①海戦
②機動力を利用する作戦
③包囲戦
の三つの側面を持つ。
約五ヶ月間続いた旅順攻撃はこのうち、包囲戦に該当する。

この戦いは、第一次世界大戦でのドイツ軍による
フランス軍の防衛拠点ベルダン要塞への攻撃に似ている。
旅順もベルダンも、敵陣営の要塞を破壊するために、
度重なる攻撃を強いられて多くの死傷者を出した。


《続く》
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