ミノル・テルヤさん(80歳)も、ハワイ生まれの日系二世・米国人だ。
『日本の心を学ばせたい』という沖縄生まれの祖父と共に、
10歳の時、那覇のそばに移り住んだ。
『当時の私は、二重国籍だった』
中学校の教室で、真珠湾攻撃の一報を聞き、
わきかえる級友達をよそに、
ハワイの家族を気遣った。
『日本が戦争に勝ったら、ハワイに帰れる』
そう信じたから、18歳の時、日本海軍に入隊し、
滋賀海軍航空隊などを経て、横須賀の基地にあった特殊潜航艇部隊に所属した。
沖縄の戦況が、いつも気になった。
『ハワイを攻撃したのは日本人で、
沖縄を焦土させているのは米国人。
何故、二つの故郷が戦火に遭わなければならないのか。
両国の血を持つ私は、この先どうしたらいいのか』
たが、沖縄に出撃することなく、横須賀で玉音放送を聞いた。
かって、沖縄からは、多くの人が国外に新天地を求めて船出した。
沖縄の資料によると、1940年の時点で、
ハワイには約1万3000人の沖縄出身者がいた。
正反対の道を歩んだヒガさんとテルヤさん。
戦後、ハワイに戻り、ヒガさんは米財務省の所得税調査官。
テルヤさんは、物産関係の仕事に励んだ。
今、二人ともオアフ島の郊外で、静かに暮らす。
互いの面識はないが、願いは同じだ。
『愛する沖縄で、悪夢が繰り返されてはならない』
第二次大戦中、日本が唯一、住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた沖縄。
亜熱帯のリゾートとして、多くの人々が訪れる『美(ちゅ)ら島』には、
60年を経ても、なお、深い悲しみと傷跡が残る。
以上が記事の全文である。
☆私のコメント☆
戦争とは、かくも残酷に人々を翻弄させる。
戦争の知らない我々の世代も目を見開き、
逃げることなく過去の歴史の真実を認識しなければならない。
何よりに重要な事は、過去の歴史を教訓に、
今後の政治・外交・軍事・経済の諸問題に生かせなければ、
多大に亡くなった方は浮ばれない・・。
外交が破綻した時、最悪の戦争となるので、
粘り強い外交の手腕も必要不可欠である。
『日本の心を学ばせたい』という沖縄生まれの祖父と共に、
10歳の時、那覇のそばに移り住んだ。
『当時の私は、二重国籍だった』
中学校の教室で、真珠湾攻撃の一報を聞き、
わきかえる級友達をよそに、
ハワイの家族を気遣った。
『日本が戦争に勝ったら、ハワイに帰れる』
そう信じたから、18歳の時、日本海軍に入隊し、
滋賀海軍航空隊などを経て、横須賀の基地にあった特殊潜航艇部隊に所属した。
沖縄の戦況が、いつも気になった。
『ハワイを攻撃したのは日本人で、
沖縄を焦土させているのは米国人。
何故、二つの故郷が戦火に遭わなければならないのか。
両国の血を持つ私は、この先どうしたらいいのか』
たが、沖縄に出撃することなく、横須賀で玉音放送を聞いた。
かって、沖縄からは、多くの人が国外に新天地を求めて船出した。
沖縄の資料によると、1940年の時点で、
ハワイには約1万3000人の沖縄出身者がいた。
正反対の道を歩んだヒガさんとテルヤさん。
戦後、ハワイに戻り、ヒガさんは米財務省の所得税調査官。
テルヤさんは、物産関係の仕事に励んだ。
今、二人ともオアフ島の郊外で、静かに暮らす。
互いの面識はないが、願いは同じだ。
『愛する沖縄で、悪夢が繰り返されてはならない』
第二次大戦中、日本が唯一、住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた沖縄。
亜熱帯のリゾートとして、多くの人々が訪れる『美(ちゅ)ら島』には、
60年を経ても、なお、深い悲しみと傷跡が残る。
以上が記事の全文である。
☆私のコメント☆
戦争とは、かくも残酷に人々を翻弄させる。
戦争の知らない我々の世代も目を見開き、
逃げることなく過去の歴史の真実を認識しなければならない。
何よりに重要な事は、過去の歴史を教訓に、
今後の政治・外交・軍事・経済の諸問題に生かせなければ、
多大に亡くなった方は浮ばれない・・。
外交が破綻した時、最悪の戦争となるので、
粘り強い外交の手腕も必要不可欠である。