1997年10月に発売したGLAYのベスト盤が、CDとして空前の売り上げをしていた頃、
12月にX JAPANの『Forever Love』が発売された。
これ以前に、グループ解散、と新聞記事をにぎ湧かせていた。
私としては、GLAY『HOWEVER』を年末近くに発売するので、最も勢いのあるGLAYに目がいっていた。
私の母は、この頃に入退院を繰り返していた。
年末に、X JAPANはラスト・ライブを東京ドームで行なう、と聴いたいたが、
母のこともあるので、見送った。
年末の『紅白歌合戦』には、GLAYとライブを終えたX JAPANが出演していた。
私としては、初めて観るX JAPANだった。
ひどく疲れきった表情が伺えた・・。
この年の後半期は、GLAYの勢いに音楽業界は染められていた・・。
お正月を過ぎて、母は亡くなった。
1月30日の夜、NHK『X JAPANの軌跡 感動のドームライブ』が放映された。
歳末の東京ドームのラスト・ライブを中心にグループの結成から解散まで、
各アーティストのメンバーのインタビューも交えていた。
こうしてX JAPANの全貌を知ることとなった。
バラードにしろハードの曲は、すんなり心に沁みてきた。
これまでハード・ロックのグループは、
横浜アリーナでボン・ジョヴィ等の三つの洋楽のライブを観にいったが、
言葉の壁はあつかった・・。
X JAPANの曲も良いが、生命線は作詞である。
こうしてこのライブのビデオを帰宅後、半年間にわたり、毎晩観た。
そして、過去のCD作品を次々と買い求めて、深まっていった・・。
この数年後、『Rusty Nail』は心身のビタミンです、と友人等に綴った。
12月にX JAPANの『Forever Love』が発売された。
これ以前に、グループ解散、と新聞記事をにぎ湧かせていた。
私としては、GLAY『HOWEVER』を年末近くに発売するので、最も勢いのあるGLAYに目がいっていた。
私の母は、この頃に入退院を繰り返していた。
年末に、X JAPANはラスト・ライブを東京ドームで行なう、と聴いたいたが、
母のこともあるので、見送った。
年末の『紅白歌合戦』には、GLAYとライブを終えたX JAPANが出演していた。
私としては、初めて観るX JAPANだった。
ひどく疲れきった表情が伺えた・・。
この年の後半期は、GLAYの勢いに音楽業界は染められていた・・。
お正月を過ぎて、母は亡くなった。
1月30日の夜、NHK『X JAPANの軌跡 感動のドームライブ』が放映された。
歳末の東京ドームのラスト・ライブを中心にグループの結成から解散まで、
各アーティストのメンバーのインタビューも交えていた。
こうしてX JAPANの全貌を知ることとなった。
バラードにしろハードの曲は、すんなり心に沁みてきた。
これまでハード・ロックのグループは、
横浜アリーナでボン・ジョヴィ等の三つの洋楽のライブを観にいったが、
言葉の壁はあつかった・・。
X JAPANの曲も良いが、生命線は作詞である。
こうしてこのライブのビデオを帰宅後、半年間にわたり、毎晩観た。
そして、過去のCD作品を次々と買い求めて、深まっていった・・。
この数年後、『Rusty Nail』は心身のビタミンです、と友人等に綴った。