夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

その後の私は、五輪真弓の唄声と共に・・♪

2008-02-10 16:57:00 | 定年後の思い
私は偶然に五輪真弓の『少女』をラジオで聴いた後、
レコードのアルバムの発売日に待ち焦がれ、
『五輪真弓/少女』を買い求めたのは昭和47年(1972年)の10月の下旬であった。

この頃の私は、個室にレコード・プレイヤー、プリメイン・アンプ、そしてスピーカと、
この当時の普通の音楽ファンの機器構成で聴いていた。
しかし、この頃の機器は、私の基本給の月収より数倍高く、
私はローンで返済していた。

そして、私は帰宅後、このアルバムに夢中になり、殆ど毎日聴いていたし、
次兄にも賞賛をしたりしていた。

翌年の7月に『風のない世界』が発売されて、
特にこの中の一曲『煙草のけむり』にはこの人の才能が満ち溢れている、
と友人らにも絶賛していた。

確か数年後であったと記憶しているが、
虎ノ門ホールで五輪真弓のコンサートがあり、
この頃に交際していた女性と観たのである。

この女性はある音楽大学を卒業したばかりで、先生に師事しながら、
ピアニストを熱望する人であり、
私はピアノを専攻する人に気後れしながらも、
ピアノを弾きながら自分の作詞・作曲され歌を唄う五輪真弓のコンサートに、
誘い出したのである。

この女性とは、コンサートの終了後に食事をしていた時、
虎の門ホールの音響、そして五輪真弓に関して才能のある人ね、
と私は聴いて、デビュー以来才能を認めていた方に同意されたので、
私の心は小躍りのような状態であった。

この人とは、渋谷、新宿で度々待ち合わせ、夕食を共にした後、自宅に送り、
この方の母親に可愛がって頂だき、親愛の情をしぐさを見せてくれたりした。

私の住んでいる所にも来て貰ったり、
私の実家にも連れて行ったりしていた。

このような時、有数なソプラノ歌手のコンサートが東京文化会館の小ホールで開催され、
伴奏としてのピアノを弾く担当に選ばれ、
私は当然として、このコンサートを観たのである。
ただ私が今までの人生で体験したことのない、特有な雰囲気につつまれていた。

私は結婚したい、と申し込んだ夜、
『貴方が思っている・・サラリーマンの良い奥さんには・・なれないわ・・』
と言った。

確かに毎日10時間前後はピアノ弾いているので、
サラリーマンの普通の生活ペースは無理であるので、
私は承知の上だ、とも言葉を重ねたりした。

数ヵ月後、貴方に負担をかけたくないの、
と私は言われ、
私は失恋をしたのである。

私は五輪真弓に関しては、スターとなった今、
何となく遠ざかり、シャンソンなどに夢中になり、深めていった・・。


私は数年後、妹の嫁ぎ先の親から、ひとりの女性を紹介され、
この人と結婚した。

私が家を建て始めて、ローンの負担が重苦しく感じ、
数年続いた折、私は懐かしい歌声を聴いたのである。


♪枯葉散る 夕暮れは
 来る日の寒さを もの語り
 雨に壊れた ベンチには
 愛をささやく 歌もない

【『恋人よ』 作詞・五輪真弓 】


私は思わず、真弓ちゃんだ、と心の中で叫んだのである。
そして、相変わらず、才能を発露させ、確固たるスターの五輪真弓さんに、
しばらくぶりだったけれど、凄い詞を書いたよね、
と心の中で祝杯したりしていた。


♪恋人よ そばにいて
 こごえる私の そばにいてよ
 そしてひとこと この別れ話が
 冗談だよと 笑ってほしい


私はピアノニストに熱望した人は、今はどうしているかは知らないが、
私にとっては若き日の貴重な苦い想いのひとつである。


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五輪真弓の『少女』を聴いた頃の想いで・・♪

2008-02-10 11:07:00 | 定年後の思い
私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事を4年ばかり過ごし、
コンピュータの専門学校で一年学んだ後、
遅ればせながら昭和45年(1970年)の春に、
ある大手企業に中途入社ができた・・。

その後、この企業の音楽事業本部の中のひとつが、
レコード専門会社として独立した。

私はこの中小のレコード会社のコンピュータ専任者として配属され、
音楽に関しては、文学、映画の次の程度に関心がある程度であった。

昭和47年の初秋、私は日曜日で自宅でラジオを聴きながら、
身のまわりの整理をしていた。


♪あたたかい陽のあたる
 真冬の縁側に
 少女はひとりで
 ぼんやりと座ってた

【 『少女』 作詞・五輪真弓 】


私は思わず手を止めて、ソファに座り、
煙草に火を点(つ)けた・・。


♪つもった白い雪が
 だんだん とけてゆくのを
 悲しそうに 見ていたの
 夢が大きな音を
 たてて 崩れてしまったの


私は専門外の音楽好きなの身であったが、
感性の鋭い人と直感し、初めて作詞・作曲し唄っている人が、
五輪真弓と知ったのである。

翌朝、会社で、たまたま私が朝礼の当番であった。

本社の営業本部、同じフロアーの営業所の数多くいる社員の前で、
私は前に立ちながら、一通り業務関係を言った後、
『・・CBSソニーさんから、凄い感性のある人でデビューします。
10月に発売されますが、五輪真弓という若い女性が・・
「少女」という曲で・・感性と感覚が際立って・・』
と私は他社のアーティスであったが、半分得意げで言った。

たまたま営業の本部長の所に、邦楽の制作本部長が打ち合わせて来ていたのを、
後で知った。

この後、一時間後に、私は制作本部長とエレベータの中で、
偶然ふたりとなった。
『・・お前さんねぇ・・よく言うょ・・』
と微苦笑された。

私は中小のレコード会社で、コンピュータ専任者の身であったが、
怖いもの知らずの27歳の時であった・・。


このようなことを庭の雪どけを見ながら、ふと想いだしていたのである。




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東京の郊外は、雪晴れの朝を迎えて・・♪

2008-02-10 07:28:00 | 定年後の思い
東京の郊外の調布市に住む私は、
昨日からめまぐるしい冬の情景が移り変わった。

午前中のひととき、玄関庭にある白梅が二輪ばかり咲き初じめ、
明るい曇り空の中で、私は喜んだりした。

昼過ぎにひとひら、ふたひらと雪が降りはじめ、
気象庁の予測どおり、と私は微笑したのである。

30分した後、ときおり霙(みぞれ)、霧雨が降ったり、止(や)んだりした。

夜の7時過ぎに雪が降り、
遅くてご免なさい、といったように、限りないほど降ってきたのである。

10時過ぎになると、霙(みぞれに変わり、
その後は止(や)んだ。

私は玄関庭の軒下で樹木、地表の雪化粧を見ながら、
わずか数センチの積雪であったが、
この程度が良いと微苦笑したのである。

雪かきは、門扉から玄関まで、洗濯の干し場などすればよい、
と考えたからである。

雪は清冽な情景をみせてくれるが、一面おぼつかない足元となるので、
私の住む付近は、日常生活としてはこの程度の積雪が、適当と思われる。


先程から主庭を眺めながら綴っているが、樹木、地表は雪化粧となっている。
朝の陽射しをまぶしげに見ているが、まもなく庭に射しこみ、雪化粧を染めるが、
これなりに美のひとつかしら、と私は喜んでいる。

日中は10度の陽気に恵まれ、
残り雪を眺めながら散策にふさわしいかしら、
と思ったりしている。




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