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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

されど、パソコン用の『プリンター』・・♪

2008-02-28 16:00:00 | 定年後の思い
私は日中のひととき、最寄のパソコン量販店に行き、
プリンターを新たに購入した。

現代の主流はプリンター、コピー、スキャナの複合機であるが、
我が家ではコピー、スキャナも殆ど使うことがないので、
従来型のプリンター専用機としたのである。

結果として、キャノンの『iP4500』であるが、
何より驚いたのは、店頭価格の廉(やす)さで、12,700円であった。

私が従来使用していたのは、2001年の晩秋、
定年退職後に備え、パソコンを一新した時に、
プリンターはキャノンの『BJ F900』と決めたが、
この頃の店頭価格は、42,700円であった。

いずれもキャノンのある程度高級品であるが、技術は遥かに向上した上、
購入価格が下落しているのである。


それ以前は、1998年の秋に、ノート・パソコンを通販で購入した時に、
おまけのようにキャノンの低価格のプリンターが付き、
機種名は忘れてしまったが、表計算のプリントなどに結構愛用していた。


私は1969年にコンピュータの専門学校のソフト・コースを1年間学び、
この習得で企業に中途入社ができた。

まもなく専門職として、汎用の大型コンピュータ、
そしてオフィスのコンピュータのソフトの開発、運用に従事していたので、
プリンターなどの周辺機器は企業が使える最新鋭のライン・プリンターを使用していたりした。

個人としてのパソコンは、1980年代にNECのPC-8801を購入し、
プリンター、フロッピー・ディスクも追加購入したのであるが、
漢字対応のロムを付けたりし、年収の2割前後となり、
私としては余りにも高価格なので、驚きながらため息もしたのである。

私は個人のパソコンは4台目、そしてプリンターの4台目となったが、
いずれもハードの世界は、夢のような飛躍に驚いている。

私は現役時代は、1970年から20年間は情報専門部門に属していたが、
1990年頃から退職時まで他部門に所属していた為、
最新の情報はうとくなったが、何より驚いているのは、ソフトのWeb環境である。

この中の一端として、ブログの世界でも、
文字情報、写真の画像情報、そして動画情報となってきているので、
年金小父さんとしての私は、本音のところ付いていけないのが実情である。

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『清く貧しく美しく』・・♪

2008-02-28 08:54:00 | 定年後の思い
私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職し、
私の趣味の時間が欲しくて、働くことをやめて、年金生活に入った。

私は昭和19年生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに人生の信条を掲げた。

このサイトに加入する以前は、【goo簡単ホームページ】にも投稿した。

定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。

このようなことも年賀状にも明記したのである。

野に咲く花のようにの発想の語源は、
茶人の利休の『花は野にあるように・・』の名言からヒントを得た言葉である。

『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三・脚本・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したのであった。

このような、ささやかな年金生活後の信条で4年目を迎えているが、
昨夜は驚き、ため息を吐(つ)いたのである・・。

嵐山光三郎・著の『人妻魂』(マガジンハウス、2007年に発刊)を読み残した章を読んでいたら、
情熱的な天才俳人と著作者が明記した杉田久女の章で、


「清き貧しく美しく」というのは理想の人妻像として広くいきわたっておりますが、
ここのポイントは「貧しい」ところにあって、
どれほど清く美しくても、その人妻が成金であると、
ワンランク落ちてしまうのです。

清純で美しく、「貧しい」人妻であってこそ、
男心はモヤモヤくすぐられる。
どうもそのようです。
しかし、あまりにも貧しいすぎてもいけない。
そのころあいが難しい。・・



私の敬愛する作者・嵐山光三郎・氏が綴られていたのであり、
私なりに渾身の言葉として発露し掲げた人生信条は、
既に近世の世情よりあったのである。

そして深夜、布団に正座し、私の無知にしばし呆然とため息を吐(つ)いたのである。
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