夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の愛用している『お気に入り』・・♪  《初出2006.11.15.》 

2008-05-05 21:48:09 | 定年後の思い
私はインターネツトを個人として自宅で利用したのは、
定年退職の三ヶ月前であった。

どなたも同じようと思われるが、現役時代は多忙で、
個人としては電子メールの交信などに余裕がなく避けていたのである。

会社の業務と違い、個人としてインターネットを利用すると、
最初の時はWebの世界に仰天した。

私は昭和44年にコンピューターの専門学校でソフト科を専攻し、
システム分析、プログラム作成、オーペレーションなどを学んで、
ある企業に中途入社したのが25歳の時だった。

企業で20年間前後、専任者としてコンピューター分野に携わったが、
1990年頃から他部門に異動したので、パソコンに関しては玄人(くろうと)ではない。

このような軌跡で定年退職の前後、インターネットの世界に若葉マークの初心者用の本を買い求め、自己流で学んだりした。


インターネットで私は検索しているが、色々と便利で、教示されたりして折、
日常生活には欠かせない知識の源泉のひとつとなっている。

私は毎朝、NHKのニュースを視聴して、読売新聞を読んだ後、
【調布市の天気】、【NIKKEI NET】を見たりしている。

そして、【調布市の公式HP】、【日本文化いろは辞典】を見たりしているが、
やはり長年勤めてきた業界のことも気になるので、
【日本レコード協会】、【Musicman NET】に於いて業界の動向を知り、
【ORICON STYEL】では曲のヒット、流行などを識るのである。

私達夫婦は、国内旅行が好きなので、【旅行会社のHP】を3社ばかり登録していて、
興味のある企画の場合、詳細としてインターネットで、ホテル、観光協会のホームページなどを検索し、
『お気に入り』に登録している。

家内はこれに基づいて、好いかしら・・、など呟(つぶや)いて、
あらゆる角度から検索しているので、長い。
最も家内は、この程度しかパソコンに触れることはないのであり、
私は笑って場所を離れたりしている。

私は映画などを参照として【キネマ旬報DB】を見たり、
或いは【古今集歌選】、【なつかし童謡・唱歌・わらべ歌・・・】なども、
必要時に見たりする。

余談であるが、当然として、【gooブログ】、この【goo簡単ホームページ】の自身のは登録しているし、
敬愛している男性、女性の20数名のお方の【簡単ホームページ】は登録している。

尚、インターネットの検索は便利であるが、
専門分野の深層に関しては相変わらず、辞書で調べたり、本を読んだりしているのが、
私の現状である。



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ときには、独(ひと)り住まい時は・・♪   《初出2006.11.15.》

2008-05-05 21:45:47 | 映画・テレビ
東京の郊外は、昨日は南風が吹き、のどかな日中となり、
ぽかぽかの陽気で、23度前後となった。

今朝は澄み切った快晴で、ときおり北風が吹き、日中は18度前後が予測され、
先程、庭先で煙草を喫たりすると、少し寒さを感じる。
居間に戻ると、ガラス戸越しに陽がさんさんと差し込んでいるので、
温室のようになって折、暖房は不要となっている。

昨日から家内は、家内の母の所に行っている。
家内の母は、独り住まいなので、家内は一ヶ月のうちに4泊5日前後で、
掃除、衣変え、部屋の模様替え等で行っている。

今回は、冬支度のなるので、家内なりに多忙となる。

私の方は、独り住まいとなり、家内が作ってくれていた料理を温めたりして、
夜のひとときはビデオテープ、DVDをビデオケース棚から取り出し、
映画などを鑑賞している。

昨夜は黒澤 明の『影武者』を観たりした。
この作品は10回程度鑑賞しているが、観るたびに監督への思いが深まってくるので、
良質な作品である。

今晩はどの作品を観るか、ビデオ棚の前にたたずむと思うが、
作品の選定も楽しいひとときである。


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ふるさとの錦繍の想いで・・♪    《初出2006.11.14.》

2008-05-05 21:43:29 | 幼年・少年時代の想いで
私の住んでいる調布市では、昭和30年頃までは、
晩秋になるとサクラ、モミジ、ドウタンツツジなどが朱色に染められ、
ケヤキ、イチョウ、ウメ、コナラ、クヌギ等が黄色の色合いとなっていた。

小学生の私は、知り合いの旧家の十軒のお宅を訪れたが、
殆どこの程度の樹木は数多くあった。
私の生まれた家の庭先でも、サクラ以外はこのような情景であった。

特に私は、コナラ、クヌギの樹木の四季のうつろいが好きで、
そしてサクラよりウメが好きであるので、
親戚の叔父さんから、変わった子だよねぇ、
と父に話していたのを微(かす)かに覚えている。
昭和27年の頃である。

今の時代は、公園など私のふるさとの樹木を見つけ、しばらくたたずんだりしている・・。

ナナカマドの朱色、そしてダテカンバの黄色に染め上げられるのは、
美しい日本の光景のひとつであるが、
残念ながら私のふるさとにはなかった。

私は北国を旅する時、ため息をして、これ等の樹木のうつろいを眺めたりしている。

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昨年の今頃は・・♪    《初出2006.11.14.》

2008-05-05 21:41:32 | 旅のあれこれ
私は旅行などに行った時は、一冊のノートを持参する。

旅行先で心に寄せたことをメモ書きにし、デジカメで撮れなかった心情、
その時に感じたことなどを書き殴っている。

先程、このノートを見ていたら、昨年の今頃は、
家内の母と3人で岩手県の小岩井牧場に近い繋(つなぎ)温泉に5泊6日で滞在と記(しる)されていた。

団体観光ツアーのような形で、現地まで送り迎えてくれるだけの格安プランであった。

昨年のこの随筆に綴っているので、心情などは省略するが、
おもしろいメモ書きがあった。

宿泊先のホテルの部屋の中に、
大きな座卓の隅に、館内案内書と共に、

【宴をさらに盛り上げるお手伝いに】(消費税込み)

☆お酌・・・・・・・14、700円
☆コンパニオン・・・14、700円
☆郷土芸能・・・・・42、000円
☆ストリップショー・・36、760円
☆通信カラオケ・・・10、500円

2時間ばかりをお楽しみ下さい、と付記されていたので、
笑ってしまった。

私は61歳の身であり、好奇心を失くしたら人生は終わりだ、
と人生の信条を持っているひとりであるが、
ここまでは元気がない。

旅先でゆっくり風呂などに入り、のんびりしたいわけである。

しかし、いずれの時、家内に先立たれた場合、
私はお酌して下さる中年の女性と、
他愛無くおしゃべりしながらも、家内の生前の面影に思いを馳せ、酒を呑むだろう、
と思っている。


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東京の郊外も錦繍がはじまり・・♪    《初出2006.11.13.》

2008-05-05 21:39:18 | 定年後の思い
先程、買い物に出かけてきたが、秋日和の中、行く時に少し遠回りをした。

東京の郊外は、『文化の日』の3日頃から樹木、草花の葉が色付きはじめ、
『勤労感謝の日』の23日頃まで錦繍につつまれる。

中にはハナミズキの朱色、イチジク、紫木蓮などは黄色に染まり、
早くも落ち葉となったりしている。

欅(ケヤキ)の大木は、少し黄色に染められ、
公園の雑木林の樹木が陽射しの中で黄色に色合いとなってきた。

もうしばらくすると、銀杏(イチョウ)は黄色となり、モミジは朱色の艶(あで)やかな色合いとなる。

秋日和の静寂の中で、このような贅沢なひとときを過ごせ、
私は晩秋の陽だまりの中、甘受している・・。



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朝夕は寒さが増して・・♪    《初出2006.11.13.》

2008-05-05 21:17:16 | 定年後の思い
東京の郊外は、おだやかな秋日和の朝を迎えているが、
6時に戸を開け放つと、6度前後の寒さとなってきた。

私はこうした時は、北国の寒さを思うと、まだ贅沢と思ったりしている。

晩秋の夕暮れも早く、つるべ落とし、と古人達から伝えられているように、
急速に陽が沈み、暗くなり、少し侘しさが伴なってくる。

日中は晴れ間の一日となり、18度前後となる。
温暖な地域だから、とも思ったりしている。

主庭をも見つめて綴っているが、
小鳥達は先程から飛来して、黒土の上を小躍りしている。
朝の陽射しが差し込んできて折、新たな週のはじめである。


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私の住んでいる街では・・♪    《初出2006.11.13.》

2008-05-05 21:14:55 | 時事【社会】
私は東京の郊外に、農家の子として、敗戦の1年前の昭和19年に生を受けて、
結婚前後の5年を除き、調布市に住んでいるが、
実質57年間の歳月を共に過ごしている。

世田谷区と三鷹市、そして狛江市に囲まれた小さな市である。

私は故郷でもあるこの街は、複雑な思いを持っている。

愛着心もさることながら、余りの変貌に驚いたり、ため息をついたり、
或いはこれ以上の物質的な利便性は止めて欲しい、とも思っているのである。


過日、読売新聞の武蔵野版で、我が町の小さな歴史が掲載されていた。

題して【京王線が変えた調布】として、
『森の中の小さな街』から『遊園地のある行楽地』、
そして『ベットタウン』の変貌記事であった。

大正初期に開通した京王線が、調布の街をどのように変えたかを紹介する写真展『京王線が通った!』が
開催されることに伴なって、新聞記事で紹介されている。

無断であるが引用させて頂きます。

調布~笹塚・駅間(12.2キロ)が開通したのは、1913年(大正2年)。
2年後の1915年には、新宿まで延長され、
新宿まで1時間34分で行き来出来るようになった。

京王電気軌道(現・京王電鉄)は、線路の施設と同時に沿線に電力の供給も開始。
『それまでランプや囲炉裏の火しかなかった住民の生活は大きく変わった』

街の雰囲気も変わり始めた。
電車に乗って、都心部の住民が調布周辺に行楽に訪れるようになると、
多摩川沿いにはアユを出す料亭や屋形船が並び始め、
今はない遊園地『多摩川原遊園』も整備が進んでいった。

現在は競輪場としてのみ名前が残る『京王閣』は、
開通の14年後に建てられた遊技場で、
大浴場やカフェ、ビリヤード場、食堂などをそろえた人気施設だった。

昭和初期には、実業家や高級官僚などの別荘も立ち並ぶように。
『別荘と言えば今では軽井沢だが、
当時はちょとした《武蔵野ブーム》に。
郊外の住宅地としての原点は、このころ築かれたようだ』

以上、読売新聞の記事を引用させて頂きました。


最近で我が街は、京王線の地下化工事が始まって折、
更に大きく変貌をしょうとしている。

私の実家は徳川時代以前から、この地に住み始めたと伝えられているが、
私は敗戦後からの状況しか知らないので、
私の心身が健全まで果たしてどのような変わりをするのか、
楽しみでもあるが、憂いていることも本心である。





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木枯らし、吹きはじめて・・♪    《初出2006.11.12.》

2008-05-05 21:12:21 | 音 楽
東京の郊外は、澄み切った秋晴れとなっているが、
10時過ぎから、ときより強い風が吹き、樹木の枝葉がしなったりしている。
枯葉に空中に舞いながら、庭の隅に吹き寄せとなったりしている。

先程のテレビの天気情報を観ていたら、
木枯らし一号が吹き、昨年も今頃であった、
と報じていた。

私はショパンの『木枯し』をセットし、聴きはじめたが、
やはりポーランドの風土を思い馳せると、
東京の秋の陽射しが射す温暖な晩秋とは・・感じる差異がありすぎると思ったりした。

尚、ショパンのこの曲は、
私の大好きなピアノ練習曲のひとつで、『12の練習曲 作品25』の第11番であり、
ピアニストは若き頃のポリーニが1972年に録音した名曲のひとつである。

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熟年離婚ブーム・・!?    《初出2006.11.12.》

2008-05-05 21:02:31 | 時事【社会】
昨今、テレビ、新聞、雑誌などで熟年離婚に関して、取り上げることが多い。

来年の四月より、離婚した場合は夫の厚生年金を妻と分離できる年金分割制度が実施される。

その上、団塊の世代の人々が第一線を退かれるので、
マスコミがネタに困り、これさいわいと国民を煽(あお)っている感がある。

最近では、この年金分割についての問い合わせが、
社会保険庁にこの一ヶ月間に6000件を超えた、
とニュースを視聴すると私は笑ってしまう。

多分、ご婦人方が多いと思われるが、何も解かっていない、と私は思っている。

単なる経済面にしても、今朝の読売新聞で私の意見と合致している記事があった。

【スキャナー】というコーナーで、今回は熟年離婚の特集記事があった。

この中の一部を無断であるが引用させて頂きます。

・・・夫婦・家族問題コンサルタントの池内ひろ美さんは、
「年金分割は、貧乏を分け合えと言っているような制度。
離婚した主婦の生活水準は、ほぼ確実に下がることを覚悟する必要がある」
と話す。
住居費なとが必要になる上に、
熟年女性の就職も容易でないからだ。

以上、引用させて頂きました。


経済面もさることながら、全般として私は、
長年苦楽を共にし、お互いの長所、短所を知り尽くした夫婦が、
何で・・・と思っている。

結婚前の仲睦まじいカップルは、
結婚すれば日常生活で色々と嫌なこともあり、世間の風もあるが、
そうした中で相手に思いやりながら夫婦の形となり、
家庭が出来てくると確信している。

私も退職後の身であるが、
『月が綺麗だわ・・』と家内が言ったりすると、
私は外に出て、
『そうだよね・・』と家内に答えたりしている。

私達夫婦は、欠点が多いので、お互いに認め合った上で、
お互いに思いやりを持って、やっと一人前の夫婦と思っている。

ある程度の高齢になった時、
いずれ独りとなるので、返事のない会話の寂しさは、
お互いに暗黙の上、解かっている。

『XXちゃん、買い物に行ってくるよ・・』
と私は家内に言ったりしている。

『貴方・・お願いね・・』
と家内は掃除している手を休み、返事をする。

こんな形の夫婦の日常であるが、私はこうしたことが長く続けられれば良いと思っている。

昨今の熟年離婚などは、マスコミが煽って、世の中の妻達を惑わしている、
と私は思ったりしている。



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朝の陽射しの中で・・♪    《初出2006.11.12.》

2008-05-05 20:59:21 | 時事【社会】
東京の郊外は、おだやかな秋日和の朝を迎えている。

剪定を済ませた樹木の枝葉に陽射しが射し込んで折、
微風を受けると葉が揺れて、柔らかな陽射しに反射してきらめいている・・。

私は庭に下り立ち、煙草を喫いながら見つめている。

過日から、アメリカの中間選挙で共和党が民主党に敗れる、
というニュースをテレビのニュースを視聴したり、
新聞などで読んでいた。

昨夜でもNHKの衛星第一で『~ワシントンを奪還せよ~ 帰還兵たちの中間選挙』のドキュメンタリーを視聴したりした。

この中のひとりが、以前違ったドキュメンタリー番組でも観たが、
イラクの戦場に派遣されたひとりの女性パイロットの方が、
撃墜されて両足を失った人であった。

帰還した後、軍事委員会の聴聞会などを得て、
自分達が置かれた状況に疑問を持ちはじめた、と証言されていた。

私ひとりでも、発言しなければ国は変わらない、と云うメッセージを私は視聴していた。
このお方は、民主党の地方の看板候補者となったが、
私はこの人以外の候補者の発言を聞いたりした。

アメリカは異民族の結晶の国であるが、
改めて複雑な権益を絡んでいる中、
国民ひとり、ひとりのが意思を持った力強い国・・と思ったりしている。

日本は国家の主権は、実質アメリカに半分ほど握られているが、
温和な国民であるがゆえに、かえって保護下に置かれた今日でも、しあわせを甘受できる、環境かしら・・
とも思ったりしている。

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幼年期、心に秘めた歌・・♪   《初出2006.11.11.》

2008-05-05 20:48:54 | 音 楽
今朝、歯を磨き、顔を洗い終えた後、
何となく鼻歌を唄っていた・・。


♪君に逢ううれしさの 胸に深く
 水色のハンカチを ひそめる習慣(ならわし)が
     【『水色のワルツ』作詞・藤浦 洸 】


このような歌を唄いながら、居間に戻り、晩秋の雨を見つめていたら、亡くなった母のことを想い出した・・。

8年前に亡くなったが、私の幼年期の昭和27年の秋の頃、
井戸のポンプを手でこぎながら、バケツに満たそうとしていた。

風呂桶に入れるために、つるべ落としのたそがれ時だった。


♪あなたのリードで 島田もゆれる
 チーク・ダンスの なやましさ
 みだれる裾も はずかしうれし
 芸者ワルツは 思い出ワルツ

        【『芸者ワルツ』 作詞・西條 八十 】


母が小声で唄っていた。

私は男ばかり続いて生まれた三男であったので、何かしら期待されていないように幼年心で感じて折、
可愛げのない屈折した子供であった。

母の唄っている歌を聴きながら、華やかさの中に悲しみも感じていたが、
みだれる裾も はずかしうれし、
聴いたりすると子供心に色っぽい感じをしたりしていた。

母の実家は、明治の中頃、国内有数のある企業の創設に関わった富豪であるが、
跡継ぎの長兄が結婚前に遊び果てていた時、ある著名な芸者との交遊との結果、
母が生まれた。

この頃は当然として、ある程度の富豪の家としては、家柄に関わるので、母は里子に出された。

親戚の家をワンクッションして戸籍の経路を薄れた後、
私の実家に貰われてきたのは、一歳前で大正10年であった。

私の祖父は、農家を程々手広くしていて、使用人、小作人を使って折、
男4人、女も4人の子を設けていた。


母は祖父の子供と一緒に幼年期、少女期を過ごした。

母の実家からは、いくばくかの金銭、品物が絶えず送られてきて折、
祖父としても母を粗末には出来なかったが、
母の級友の何人かは上級の中等高校に行ったのに、
母は家の手伝いとして使われた。

今の歳で云うと、13歳であり、祖父は村役場の要職を兼ねていたので、
書生のようなことも手伝い、田畑も駆りだされていた。

私が高校生になった時、感じたのであるが生前の母の筆跡は綺麗な部類に入っている。

この時、母の級友であったひとりが議員となった折、
『あの方・・あたしの小学校の同級生なの・・
家柄も良かったけど・・大学まで行けたのだから・・』
と母は私に言った。

私は母が上級の学校、少なくとも中等高校、希望が叶えられたら大学の勉学をしたかった、
と初めて解かった。

母の尋常小学校の卒業しかない学歴を私達子供の前で、
ため息をついたのを私は忘れない・・。


母は祖父の子供達に負い目とひけ目の中で過ごされたと思うが、
祖父からしてみれば、母の実家から金銭の贈り物で田畑、金融資産を増やしたことも事実である。

こうした環境の中で、祖父の子供の長兄と母が17歳の時、結婚した。
母は義理の弟、妹と共に家の屋根の下で生活を共にするのだから、
何かと大変だったと、改めて思ったりした。

後年、母は看病の末、亡くなった父の弟、父の妹の婚姻などで、冠婚葬祭はいろいろあって、
親族、親戚の交際は気配りが・・と、
と私に語ったことがある。

昭和28年になると、前の年から肝臓を悪化させ、寝たり起きたりした父は、42歳で亡くなった。

祖父も跡継ぎの父が亡くなり、落胆の度合いも進み、
二ヵ月後に亡くなった。

農家は一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
家の没落は、急速となった。

こんな折、母の実家の方が家に来た・・。

母からしてみれば、実の父の正規な奥方になった人であり、
家柄も気品を秘めた人柄であったが、思いやりのある人であった。
この方の娘を同行してきた。

ツーピース姿でハイヒール、帽子と容姿で、
私は小学3年の身であったが、まぶしかった。
あれが東京のお嬢さんかよ、と子供心でも直感した。

この人は、幼稚園の時から、人力車、自動車でお手伝いさんが同行し、
送り迎えをされてきたと聞いたいたからである。

私は日本水仙を10本前後を取ってきて、母に手渡した。

『何も差し上げられなく・・御免なさい・・』
と母は言った。
『お義姉(ねえ)さん・・悪いわ・・』
とこの人は言った。

そして『この子・・センスが良いわ』
と私に言った。

私は汚れきった格好であったので、恥ずかしさが先にたち、
地面を見つめていた。

私にとっては、このお方を想いだすたびに、
『水色のワルツ』の都会風のうら若き女性の心情を思い浮かべる。

母は結婚後の労苦の時、鼻歌を唄いながらその時を過ごされたのだろう、
と思ったりした。

『水色のワルツ』も母にとって、歌のひとつであるが、


♪みだれる裾も はずかしうれし

【『芸者ワルツ』 作詞・西條 八十 】


私にとっては色っぽさもさることながら、
少し物悲しく聴こえたのも確かである。

この歌のふたつは、私にとっては血は水より濃い、
と古人より云われているが、
切り離せない心に秘めたひとつの歌となっている。



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秋日和の昼下り・・♪    《初出2006.11.10.》

2008-05-05 20:35:28 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、秋日和に恵まれた日中となり、
午前中に一軒のスーパーに行き、
午後も買い物を兼ねて、写真のプリントを依頼しに出かけた。

家内が旅行の折り、インスタント・カメラで撮影したもので、
近くの『フジカラープラザ』の支店に持ち込み、一時間後に完了する、と云われ驚いていた。

私は家内も早く写真を見たいと思い、付近の古本屋で時間つぶしをすることにした。

結果として、この古本屋は私なりの心の収穫があった。

私は古本屋も好きである。

昨今のように本の新刊本が大量に発刊された上、流通のスピートが早く、
またたくまに本屋の店頭から消えうせてしまうことが多い。

本屋に於いて、新刊本を探したり、或いは文庫本も見たりしているが、
40代の頃までは古本屋まで追い求め、探したりしていた時代もあった。

退職後の今は、散歩の折りに立ち寄ったりしている。

本屋から淘汰され、私なりに欲しかった本、
或いは私が知らなかった本にめぐり逢うのは、望外の喜びとなる。

陳列棚には様々なジャンルの本があるが、2冊の本を買い求めた・・。

吉田武三・著の『~武四郎つれづれ~北の風土記』(北海道新聞社)で、
昭和50年に発刊されたが、私は無知だった。

帯の解説文に寄ると、

     異色の風土記
北海道の名付け親、松浦武四郎の偉大な足跡をたどり、
道内をくまなく踏査した著者が折に触れた北の風土と人情をユニークな筆致で語る。

と綴られて折、日本の風土を愛してやまない私としては、
迷わず購入することにした。


別の陳列棚を探していると、
野呂希一、荒井和生の共著の『言葉の風景』(SEISEISHA)で、
平成12年に『文字の風景』の姉妹篇として発刊された本と明示されていた。

写真と写真にかかわる文章を野呂希一・氏が担当され、
言葉に関する文章を荒井和生・氏が担当され、
写真とことばのビジュアル・ブックである。

帯の解説の綴りには、

四季折々のことばを自然写真で紡ぐ

残ってほしい言葉がある。

忘れたくないことば、
つかったいきたいことばを、
四季の光景に見つけました。

ほほえみ、きざし、このめおこし、
たけなわ、のどか、なごり、
こもれび、たまゆら、
つるべおとし、ひとしお、
うつろい、しぐれ、ゆきしまき、
しばれ、はるとなり---。

と紹介されて折、丁重に装填された中味の濃い本である。

私にとって、もっとも好ましい本であり、こうした本にめぐり逢うのは、十年に一冊あるかないかである。

この2冊とも発刊されたのは無知であったが、
古本屋に埋もれた中、前者は80円、後者は250円の値札シールが貼られて折、
日本文化の一端としては余りにも安すぎる、
と悲しくなったのも事実である。

秋日和の中、私はこの2冊の本を大切に持ちながら、家路に急いだりした。


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退職後の私の日常生活の多くは・♪    《初出2006.11.9.》

2008-05-05 20:32:55 | 定年後の思い
私は定年退職後、ますます活字人間になっている。

日常生活に於いて、音楽を聴いたり、映画をビデオテープ、DVDを居間で観たりしているが、
テレビは殆どNHKのニュースが主体であり、ときたまNHKで放映されるドキュメンタリーの番組を視聴したりする。

読売新聞を読み込んで、興味を持った記事などはインターネットで詳細記事の検索をしたり、
別の発表元の切り口の記事を読んだりしている。

この程度であれば、傲慢な見方であるが、政治・外交、軍事、経済、社会のうわべが解かる、と思ったりしている。

こうしていても解からないのは、少なくとも文化の側面がある。

こうしたことに関しては、街まで歩いて、途中の風景を眺めながら、四季折々の情景を見るに限ると思う。

そして思考を深化させる為に、それなりの本を買い求め、つたない脳で読み込む。

そして、ときたま庭の手入れをしながら、樹木、草花のうつろいを実感したりしている。

こんな風な日常生活を送っているが、政治、外交、軍事、社会の出来事に、
ため息が多く、興味を薄れたりしている。

退職後の誤算としては、時間はたっぷりあり自由自在にと思っていたが、
私なりの日常生活では睡眠不足となることもあり、
やむえず昼寝のひとときを甘受することもある。

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晩秋、衣変え・・♪    《初出2006.11.9.》

2008-05-05 20:30:30 | 定年後の思い
東京の郊外は、この1週間近く秋日和の日が続いているが、
朝夕は寒さが増してきたので、スリー・シーズンから薄手の冬物に替えた。

ストレッチ・パンズを穿いて、スポーツシャツとセーターを着込んだ。
足元も素足から、靴下を穿いたりした。

真冬の時は、厚手となり、足袋を履いたりしている。

こうした姿で、買い物に出かけたり、家の中でうろちょろしている。

このようなズボン、スポーツシャツ、フィールド・ジャケット、そして靴は、ほとんど登山専門店で買い求める。

登山は過酷な地域、寒暖の厳しい処に対応した製品なので、少し高価であるが、耐久性と軽快感があり、快適と思っている。

こうした身で都心に出かけたり、或いは旅行などに行ったりし、
三年間を過ぎると、私の普段着となる。

中には気に入ったスポーツシャツなど、少しほころびのあるものがあるが、
捨てがたいのである。

私はイギリスの紳士と同様に、良い品はつぎを当てても、愛着する精神が好きである。

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私の神、仏の代(かわ)りに・・♪    《初出2006.11.9.》

2008-05-05 20:22:22 | 定年後の思い
私は宗教には無関心である。
生家に於いては、仏教の曹洞宗であるが、特に私の人格形成には影響はない。

私は神社、仏閣に日常接したり、旅先でめぐり逢った時は、手を合わせる程度である。

私が毎朝、手を合わせ、自己の教訓、心のいさしめているのがある。
居間にあるビデオテープ棚の上に、ひとつの立替えた日めくり厚いカレンダーのような物を置いている。

トイレ用日めくり『ひとりしずか』と題され、
みつをと署名されている。

10年前頃、家内の両親と4人で伊香保温泉に滞在旅行に行った時、買い求めた品である。

書家、詩人として知られられている相田みつを・氏の作品のひとつである。

例えば本日の九日には、


この我執の強さ
そして この気の弱さ

共にほとけ佛さまが
わたしに 授けて
くれたもの


と綴られている。

私は拙(つたな)心しか持ち合わせしてないが、
日常生活でときには強く明言する断定癖がある。

裏打ちされた専門学問を学んでもないし、単たる独学でいい加減な発言をしたり、
文章に綴ったりしている、

後で学んだり、独りで恥たりしている。。

かといって、言葉や綴りをしたりしていて、自己形成が未達かしら、と思ったりしている。

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