夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の私、至福のひとときは、本屋で買い求める作品を選定する時・・。

2012-06-24 16:21:42 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

そして年金生活は、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
たまたま定年後にブログの世界を知り、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このような年金生活をしているが、日常の大半は、
随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

私は若き20代の前半に映画・文学青年の真似事をした為か、
退職した直後には、小説、随筆、歴史書、現代史など本は5000冊前後、
映画作品としてビデオ・DVDが1000本前後あったりした。

そして現役時代に音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
製作畑ではなく、管理畑の片隅に勤めていたが、
少しづつ買い求めた結果として、レコード、カセット、CD、DVDの総数として
3000枚前後となった。

昨年の2011年の3月11日の東日本大震災後、
老後のことも配慮して自宅の本棚、押し入れを整理し、大幅に処分をしたりした。
そして2000冊ぐらい処分し、3000冊前後が愛着を秘めて保管している。


私は小学4年生の頃から、独りで映画館に通ったりした映画少年であったが、
高校の時に遅ればせながら読書の魅力に取りつかれたりした。

創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
心の深淵まで綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力に引きづり込まれた。

こうした高校生活を過ごしたりし、映画は相変わらず映画館に通い鑑賞していたが、
脚本家の橋本 忍さんの『切腹』(監督・小林正樹、1962年)を観て、圧倒的に感銘させられ、
やがて大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。

そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をした。

その後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、小説に転じ、
文學青年の真似事をして、契約社員などをしながら、小説の習作をしたりした。

純文学の新人賞に投稿していたが、三回ばかり最終候補6作品の寸前で敗退し、
落胆していた時、親戚の叔父さんから、
今は良いが、30歳を過ぎた時、妻子を養って家庭を持てるの、
と私は諭(さと)されて、
確固たる根拠もなく独創性があると自信ばかり強い私は、あえなく挫折した。

そして、やむなくサラリーマンに転職する為に、コンピュータり専門学校で一年ばかり学び、
何とか大手の民間会社に中途入社して、まもなくレコード会社が新設され、
私も移籍の辞令を受けて、35年近く勤め、定年退職を迎えたのは2004(平成16)年の晩秋であった。


定年後の年金生活を始めて、予期せぬ出来事があった。
あれほど熱愛してきた映画の作品のDVD、音楽の作品のCD、DVDは、
私の感性が衰えてきたのか、或いは作品自体が劣化した為か解らないが、
殆ど購入する意欲まで至らくなったりことである。

やむなく居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴く程度となった。

しかし本だけは相変わらず本屋に寄ったりして、単行本、新書本、文庫本などを買い求めたりし、
魅了された本に出逢えなかった時、ときおり古本屋まで行ったりしている。

そして特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、阿川弘之、高峰秀子、
各氏の作品に深く魅了され、この著作された人たちを主軸に購読してきている。


たまたま昨日の午前中、家内から駅前のスーパー、ドラッグ・ストアーで販売している品の買い物を依頼されて、
最寄駅のひとつの京王線の仙川駅の商店街を目指して、15分ばかり歩いて到着したが、
今朝、新聞に出版会社の本の広告で魅了された本があったので、本屋に寄った。

雑誌の文芸関係のコーナーを見たりした後、単行本のコーナーに行き、
新聞に掲載され魅了させられた高峰秀子・著作の『私のインタヴュー』(新潮社)を探し、見つけた。
http://www.shinchosha.co.jp/book/331613/
☆【新潮社 公式サイト】<== 高峰秀子・著作の『私のインタヴュー ☆

私は若き映画青年の真似事をしていた時、
ときおり寄っていた東宝撮影所の宣伝関係部署で、たまたま高峰秀子さんがおいでなっていて、
宣伝部のひとりから紹介されて、わずかながら言葉を交わした体験があった。

その後、私は50代の頃から、高峰秀子さんがつづられた随筆を読むようになって、
少なくとも20数冊を購読してきたので、やはり《 幻の名著、遂に復刻! 》を読みたかったのである。


そして、この本の近くに貴田 庄・著作の『高峰秀子 ~人として女優として~』(朝日新聞出版)があり、
初めて見る本であったが、購読することに決めた。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13924
☆【朝日新聞出版 公式サイト】<== 貴田 庄・著作の『高峰秀子 ~人として女優として~』 ☆

私は映画青年を敗退した身であるが、やはり映画界の女優としての高峰秀子さんの足跡を
改めて思考したく、買い求めた。


この後、単行本のコーナーで何かしら読んで見たい本を探して、
ひとつの本に思わず微笑んだりした。
曽野綾子・著作の『自分の財産』(産経新聞出版)である。

私が初めて作家・曽野綾子さんの作品を読んだのは、
講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた文学全集からであった。

この文学全集は、確か1965(昭和40)年の頃から毎月一巻発刊され、全22巻であり、
大江健三郎(おおえ・けんさぶろう、江藤 淳(えとう・じゅん)の両氏による責任編集の基で刊行され、
この当時の老成家した作家を除外した斬新で新鮮なな全集であった。

私はこの以前には、中央公論社から、
確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいであったと思われる文学全集を読んでいたが、
この『われらの文学』は、この当時に最も勢いのある大江健三郎、江藤 淳の両氏による責任編集に寄り、
選定された28名の作家の作品を私なりに精読していた。

そして、この全集の中で、第16巻として『曽野綾子、北 杜夫』が、
1966(昭和41)年5月に発刊されて、
私は初めて曽野綾子さんの『たまゆら』、『遠来の客たち』を含む8作品を初めて精読した。

これ以来、ときおり読んできたが、私はサラリーマンの多忙時期に重なったりし、
ここ5年は見逃してきた曽野綾子さんの作品を購読し、
一か月前に『堕落と文学 ~作家の日常、私の仕事場』(新潮社)を買い求めて精読していたので、
今回の本も私にとっては必読書のような感じたりした。


この後、文庫本のコーナーを見たりしたが、魅了される本はなく、
新書本のコーナーに廻り、読みたい本はないかしら、と探したりした。
そして、『驚きの英国史』と題された本を見つけて、
帯の背文字には《イギリスは何を捨て、何を守ってきたか》に瞬時に魅了され、
本を手に取りば、コリン・ジョンズ・著作、森田浩之・訳『驚きの英国史』(NHK出版新書)と解った。

私は今後の日本を思考する時、特にイギリス、オランダ、スペイン、ポルトガルなどの盛衰史に、
関心があり、読んで見たくて、購入することに決めた。


こうして今回は、たまたま単行本が三冊、新書本が一冊を買い求めて、
心の中は早く読んでみたい、と少年のような高揚した心情であった。
その後、家内からの依頼品を購入し、スキップするように足取りも軽やかに帰宅した。

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