夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

たかが『あんぱん』されど『あんぱん』、齢ばかり重ねた私でも、こよなく愛食して・・。

2012-06-04 15:16:27 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

こうした中で、私は年金生活を始めて以来、自主的に平素の買物担当となり、
殆ど毎日、最寄りのスーパーとか駅前のスーパー、専門店に行ったりしている。

本日もいつものように私が買物を行く前に、家内がスーパーのチラシにサインペンで、
必要な品を赤丸の印を付けている。

この赤丸の印が付いた品は必須の購入する品で、これ以外は私が店内で魅せられた品を買い求めてくるのが、
我が家の暗黙のルールとなっている。

私は最寄りのスーパーに行って、チラシの赤丸の印された品を探し求めて、
スーパーの指定籠(かご)に入れた後、なぜかしらパンのコーナーに寄り、菓子パン棚で、
あんぱんの二種類を入れたのである。

帰宅後、私は台所で洗い物をしている家内に、買い物したすべてを手渡したりした。

その後、まもなくして家内は、
『あなた・・こしあん、つぷあんのあんぱん・・好きねぇ』
と微苦笑しながら、私に言ったりした。

本日は早朝から晴れ渡り、快晴の日中を迎えているので、
家内は入梅前に、衣替えの整理に最適だと思いながら、朝の10時過ぎから押し入れにある衣装ケースなどを
孤軍奮闘している。

こうした状況を見て買い物に出かけた私は、
昼食はかまってくれない、と思いながら私はあんぱんのふたつを買い求めたのである。

そして、私は煎茶を淹れた後、このあんぱんを食べたりした。
あるメーカーの品の袋の明記された文面を私は読んだりした・・。

《・・
 こしあんぱん
    絹のような舌触りの
    なめらかなこしあんを
    しっとりして生地で
    やさしく丁寧に包みました。

  つぶあんぱん
    すっきりとした甘さの
    粒あんをしっとりした
    生地でやさしく丁寧に
    包みました。
・・》
このように明記された文面を読みながら、この世で贅沢な食べ物のひとつかしら、
と私は微笑みながら頂いたのである・・。


私は東京の郊外に1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となり、程ほど広い田畑を小作人だった人のご厚意に助けられながら耕したり、
竹林、雑木林を維持管理していた。

そして、この実家から一キロぐらい歩いた先に駅があり、その付近に小学校がある。
1951〈昭和26〉年の春に私は小学校に入学して、
確か3年生の頃だったと思われる。

小学校の校門の近くに文房具屋さんがあり、
私たち学童は、鉛筆、ノート、ゴム消し、下敷きなどを親から買って貰ったりしていた。
この文房具屋さんが、ある日、店の一角にパンを置きはじめたのである。

『こっぺパン』と命名され、紡錘形で底の平たいパンで、
厚みを半分に切って、バター・ピーナッツ(通称・バターピー)、
或いは(イチゴ・・?)ジャムが塗られていたのである。

この当時の私の実家は、農家だったので、
殆ど毎日、米の白いご飯、ときには小麦を混ぜて頂いていた。
或いは、ときおり小麦を精米し、粉状にしたのを父が『うどん』にし、母がゆで上げて、
家族そろって頂いていた。

父は私が小学2年の3学期に病死され、
祖父もまななく他界されて、成人は女手ばかりとなり、我家は没落しはじめた。

このような時、文房具屋さんで、
『こっぺパン』のバターピー、確か15円だった、とおぼろげに脳裏に残っている。

私としては、初めて見たパンでもあり、
香(かぐわ)しいバターピーに魅了され、
親がサラリーマン、商店の店主している同級生が、頻繁に購入しているのを見かけたりしていた。

やむなく私は誘惑に負けて、
母親に懇願して、お金を貰い、文房具屋さんに行ったが、
売り切れで失望し、とぼとぼと自宅に向かい歩いたりした。

翌日、早めに文房具屋に行き、待望の『こっぺパン』のバターピーが買えて、
私は食べながら、この世にこのような美味しい食べ物があったか、
とほうばりながら、実感したりした。

その後、色々な菓子パンが店内の一角に置かれ、
私が小学校を1957〈昭和32〉年3月に卒業した頃は、
『こっぺパン』は消え、多彩な菓子パンで占領されていた・・。
この中の多彩な菓子パンのひとつに、私は手軽に甘味が味わえる『あんぱん』に圧倒的に魅せられ、
『こっぺパン』にさよならして、『あんぱん』を食べたりした。

その後の青年時期、社会人のサラリーマンの多忙時期、
私は冷酷にも『あんぱん』に見向きもしなかった・・。


2004〈平成16〉年の秋、中小業の民間会社に35年近く勤めて定年退職となり、
この直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと決意したりした。

我が家の朝食は、白米のご飯、ワカメの味噌汁、
そして季節に寄り、春菊のゴマ和え、カブの醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚・・
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜』が心身の波長に合い頂いている。

このような状況が多いが、夕食は別格として、昼食はその日に応じて食べたりしている。
お蕎麦(そば)、うどん、スパゲティなどを頂いたりしている。

或いは私は食パンにマーガリンを付ただけで、
家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、二枚ばかり食べたりし、
お互いにコーヒーを飲みながら頂いている。

こうした中で、ときおり家内は少し高価なお好みの菓子パンを食べたりしているが、
私は『あんぱん』を頂き、遠い幼年期、少年期の思いも重ねて、
遥かな美味しさを増した『あんぱん』を、この世で贅沢な食べ物のひとつだ、と確信を深めながら頂いている。


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コメント (4)
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