夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『退職後、あなたの夫はどのタイプ?』の記事を読み、つたない年金生活の私は微苦笑させられ・・。

2012-06-23 16:06:57 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の夕方、我が家の門扉の近くにある郵便受け入れ箱を覗(のぞ)いたら、
たった一通の生活情報誌が入っていた。

私は特集に関心があった時、読む生活情報誌ひとつで、
サイケイリビング新聞社が発行される女性のための生活情報誌として名高い『リビング』であり、
6月23日発行日の今回は、
《 退職後、あなたの夫はどのタイプ? 》
と題されていた。

私はどのようなことなの、と思いながら、
何事も好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、と信念もあり、読み続けた・・。

《・・ 今年は団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年。
 退職後の夫とはどんな時間を過ごし、新たな生活を築いていくのかは、
 その後のミセスのライフスタイルをも左右する問題といえます。
(略)
・・》
このように序文が明記され、
《 夫も変わる! 妻も変わる? 
            どうなる夫婦の第二章 》
と大きな活字で題され、代表的なタイプとして、5タイプが明示されていた。

私は女性の視点から見た退職後の夫のタイプを分析する記事も、
何かと多々教示されると思いながら、思わず襟を正して読み続けた・・。
無断であるが、転記させて頂く。
《・・
◎『いつも二人で系』
二人で出かける旅行の計画を積極的に立てるようになったり、
百貨店からスーパーには二人で出かけたがったり。
二人で外食することが増えた。コンサートや映画など、二人で出かける機会がぐっと増えたなども。
なかには妻が一人で出かけると機嫌が悪くなる人もあり。

◎『スマート系』
パソコンはもちろん、モバイル、タブレットなど、話題のIT機器に興味津々。
情報取集やデータの整理をし始めたら、何時間でもバソコンに向っていることも。
一度没頭すると時間を忘れがち。
また、新しいIT端末が発売されると聞くと、チェックせずにはいられません。

◎『カルスポ系』
積極的に新しいことを始めたり、学んだりしている。
例えば、平日にスポーツクラブに通ったり、ゴルフの打ちっぱなしに行ったり、
ウォーキングをするようになったり。
地域のサークルに参加するようになった人も。
なかには釣り好きが高じて、魚がさばけるようになった人もあり。

◎『どっぷりお任せ系』
食事の支度や衣類の管理など、身の回りのことはすべて妻にお任せ。
妻が外出しているときは、小腹がすいても自分で作って食べることはせず、我慢。
入浴前、下着の替えは妻が用意。
外出の際の洋服の選びも、妻が担当している。

◎『育む系』
孫のオムツを替えたり、背中に乗せて遊んだり。
また、犬を散歩に連れていくのが日課になった人や、
新たにペットを飼い始め、積極的に世話をしている人も。
ガーデニングや盆栽を楽しんでいる人も多く、特に食べる楽しみもある家庭菜園は妻にも好評。
・・》
このように5タイプを解説されているが、
それぞれのタイプの後に、《妻のつぶやき》が渾身一言で発露され、
私は読みながら苦笑を重ねてた。

本来ならば転記して表示したいが、これ以上に転記すれば著作権上に問題があると思われ、
無念ながら省略した。

私は読み終わった後、この5タイプに残念ながら該当しない、と感じた・・。


私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしている。


私は若き20代の前半に映画・文学青年の真似事をし、敗退したた後、
やむなく民間会社に中途入社し、まもなく音楽業界のあるレコード会社に移籍の辞令を受け、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。

1970、80年代は音楽業界は、それぞれのレコード会社は躍進したが、
90年代を迎えると、特に外資系は、本国の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。

そして1998年に売上の主軸となるCDがピークとなり、この少し前の年から
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、
私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。

私は本社に30年近く勤め放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。

この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

私は定年退職の直前まで、失業保険の申請して、
勤める意志はなかったが、わずかばかりの額を甘受する予定であった。

しかし、私は長年に及び管理畑の身であったので、これといって特別な技術もなく、
たまたま家内の父が死去し、
退職直前は業務の引継ぎに加わり多忙となったりした。

そして、この数年前の頃は大企業もリストラ烈風で失業された人達も多く、
真に職さがしをしている人に失礼と思い、失業保険の申請書を破棄したのである。
           
私は中小業のサラリーマンの身として、年収1千万円台で何とか卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
程ほどの年収、退職金であったので、金融資産は程ほどである。

私の現役時代の財産といえば、
その時代と共に過ごした名曲の数多くが心に残り、
そして上司、同僚、後輩と共に音楽業界の空気を共にできたことである。


定年した後、年金生活を始めて、近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする。

或いは平日でも人の多い都心に買い物に行ったり、
最寄の駅前などで、経済が低迷する中、働いて下さる現役の諸兄諸姉の溌剌な姿を見たりする時は、
何かと短期で成果を問われる今日、大変な時代になっている、と深く感じたりしている。

ときおり私たち夫婦は、国内旅行に行く時、東京駅とか羽田空港の待合所で、
やはり現役の諸兄諸姉の多忙なしぐさ、会話を聞いたりすると、
こうして私たちが、のんびりと旅行するのに申し訳ないと思ったりしている。


こうした根底には、もとより年金を含めた社会保障制度の医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取り、
明確には、現役世代がその時の高齢者を支えてくれている厳粛な事実である。

せめて無力な私は、定年後からは散髪屋(理髪店)の行くのは、
何かと現役世代の多忙な方は、土、日曜日に利用されると思い、平日を活用してきている。

或いは大型連休は、現役世代の家族が最優先と思い、
邪魔にならないように行楽地などは避けて来たりしてきた。

そして病気にならないように、ひたすら散策したりしている。
このことは医療費をかさみ、やがては働いて下さる現役の諸兄諸姉に、ご負担となるからである。


年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、本年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
そして毎月、家計簿のような形の表を5表ばかり作成して、
予算と実績を互いに確認し合って、今月も赤字ねぇ、と私たち夫婦は苦笑している。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。


日常は定年後から私は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は専守防衛長官の専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主もしている。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。

そして家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行き、孤軍奮闘をしているのが定年後の状態でもある。

この間、私としては『おひとりさま』の生活となっているが、
いずれは私たち夫婦は片割れとなり『おひとりさま』となるので、
特別演習かしら、と思いながら私は過ごしている。


我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
『ご苦労であった!』
と家内は言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。

このような年金生活を過ごしていて、私は幼年期から犬、猫は苦手であり、
小庭には朝、夕暮れ前に定期便のように小鳥が飛来するので、家庭菜園も挑戦せずにいる。
そして私たち夫婦は恥ずかしながら携帯電話も使えず、
社会の時流から取り残されていると実感を深めながら、齢ばかり重ね年金生活の8年生となっている。

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6月23日『沖縄慰霊の日』は、無力な私でも沖縄に向かって、秘かに黙祷をして・・。

2012-06-23 07:14:00 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷したのは朝の6時過ぎであった。

私は1944〈昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945〈昭和20)年8月15日に敗戦となった。

そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
少なくとも沖縄戦が事実上集結したこの日の6月23日は、
『沖縄慰霊の日』と命名された厳粛な日として認識している。

恥ずかしいことを告白すれば、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は大学2年で中退し、映画、文学青年の真似事をしている時、
たまたま中野好夫、新崎盛輝の両氏による共著『沖縄問題二十年』(岩波新書)を読み、
遅ればせながら沖縄について深く学んだりした。

もとより太平洋戦争で、日本の国土である沖縄列島が直接に戦闘地域となり、
軍人の死もさることながら、一般の人々までが戦場の中で多大な犠牲の上、
沖縄戦は事実上集結した日である。
沖縄県は『慰霊の日』として、この日は戦没者追悼式が行われている。

何よりも戦時中、日本の本州の防波堤となり、
直接にアメリカ軍との激戦地となり、民間の住民まで戦禍にまみれ、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
沖縄に向って、満22歳より黙祷をしている。

そして私は原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、8月9日の『長崎被爆』、
敗戦となった8月15日は、
たった一枚の赤紙(召集令状)で徴兵され、戦場で亡くなわれたお方達、
或いは戦時下、空襲などで亡くなわれた多くの人々に哀悼の意を表して、
黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

尚、敗戦後の日本の長きの平和は、国際の主要国の怜悧な国益に基づいて、
悪夢のようなことであるが、核抑止を背景とした軍事力を根底とした政治・外交・経済で、
何んとか今日を迎えている事実も、確かなことであると思っている。

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