夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

誰でも発信できるブログ、私が投稿文で配慮していることは・・。

2013-11-11 11:53:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は・・、
と思いながら、年金生活をしている・・。

年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

そして原則として少なくとも国内旅行で不在、或いはパソコンが故障しない限り、毎日投稿してきている。
                     
私が初めてブログの世界を知ったのは、定年後のまもない時であった。

我が家に於いてインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンでインターネットを施設したならば、
友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
          

私は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑としてコンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを活用し、業務に従事していたぐらいであった。

このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webの世界の環境には、驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
                    
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いでを随筆風に綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
          

私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、無知なりに社会、政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。

          
そして私は、2004年(平成16)年11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』という発信名で投稿をはじめた。

タイトル名の『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』に於いて、
~団塊世代のひとりとして~、と副題をしたのは、
私が中途入社した25歳の時、職場で机を並んだのは、新卒の人が多く、
彼らは団塊世代の人たちが多く、その後30年ぐらいは、
それぞれの時代の苦楽を共にした心情があった。

こうして歳月は流れ、その後は幾つかのブログ・サイトに彷徨(さまよ)いながら加入して、
何とかこの【gooブログ】サイトに定着したのは、2008〈平成20〉年5月であった。
このような軌跡で、明日の12日を迎えると、ブログの世界を知って丸9年が過ぎ、
そして10年生に進級か、と微苦笑したりした。
          

ブログの世界は特に匿名制度であり、そして無料ブログサイトが隆盛となって、
2000万前後の方が利用されている、と私は思ったりしている。
そして自由に、それぞれのお方が投稿文に於いて、それぞれの思いを託して、投稿され、
まさに10数年前の頃から、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、プロの有識者が雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように素人の愛読者は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。


私は丸9年投稿してきたが、私自身の幼年期から現役時代、そして年金生活の思い等を
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切なのである。

従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、
と言っても差し支えない。
          
しかし人は誰しも光と影を有しているので、つたない私でも光と影があり、
特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。

たとえば、私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。

又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。

そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

このように私はこれまでの人生の歩みを吐露(とろ)しなければ、この先の人生を生きて行くことはできない、
と思い発露してきたのである。
                     

しかしながら私は、どうしても表現できないこともある。
それは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては綴れなかった・・。

たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻に憂うことも感じたりしている。

或いは私の勤めた35年近くのあるレコード会社の秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の10年生となった今でも、心の礼節として綴れない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈して現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
          

私はこのサイトに於いて、政治、経済、軍事、社会を含めて、
専門知識のない感情だけで吐露(とろ)し、独断と偏見で、
直球とかカープで余すことなく筆力が乏しいまま発露してきたこともあったが、
ここ3年ぐらいは反省をまじえて減少している。
          

こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは一年前から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、
早くもブログ丸9年が過ぎ、10年生かょ、と微苦笑したりしている。

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