夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者夫婦の我が家、ふたりで一人前かしら、と私は微苦笑を重ねて・・。

2013-11-14 11:50:53 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。

もとより家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

それでも引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、
私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。

私は高齢者5年生の齢ばかり重ねた69歳であり、家内はまもなく12月になると64歳となる。
私は定年後から年金生活をしてきたが、何かしら現役サラリーマン時代の緊張感が無くなり、
時折ぼんやりとし、ここ数年ぐらいは体力の衰えを実感している。
          

こうした中で、我が家は金庫がないので、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、我が家としては重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。

或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
高齢者の私でもボディーガード兼お供、荷物持ちで共に出かけたりしてきた。

このように私たち夫婦は、ふたりで一人前だょねぇ、とお互いに微苦笑してきた。
          

小庭の手入れは私の責務の範疇となっているが、蚊の出る5月下旬頃から10月頃を除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けている。

こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。

               
こうした時は私はストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、ウォーキング・シューズ、帽子、
滑り止めの軍手をした上て、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしてきた。

家内はトレーナー姿にエプロンを身に着け、そしてタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をして、
高枝鋏(たかえだばさみ)を薙刀〈なぎがた〉のように持ち、私より少し離れた所にいる。

               
こうして私は剪定用の鋸(のこぎり)を右手に持ちながら、適度な台に乗り、枝葉を切り落としたり、
家内は高枝鋏(たかえだばさみ)を枝葉を切り落としたり、或いは剪定鋏(ハサミ)を使ったりすることが多い。

こうした手入れ作業は、殆どの昼食を抜きにして、お互いに午後3時過ぎの頃まで奮戦したりしているが、
もうやめようか、と私は疲れ果てて家内に言ったりするが、
もう少し頑張ってみませんか、と家内に言われたりし、私は再び奮闘したりしてきた・・。
          

初夏の陽射しが射す頃には、我が家は家内の指揮のもとで、 簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、
ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。

そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
          
こうした時は、納戸に保管している簾〈すだれ〉を家内の陣頭指揮のもとで、
私は頼りない助手となって、取り付けたりしている。
          

私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
          
               
我が家は築後35年の古びた一戸建てであるが、
この間、何か火災、戸締りの不備などで、最悪の場合、もう一度新たに新築するようなことがあったならば、
老後の貯金は大幅に減少するので、何かと小心者の私は、もとより困苦するのである。

こうした心情からして、戸締りなどは恥ずかしながら主(あるじ)の私は、
いつものように夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

平素の場合は、この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。
こうした後に
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
ここ4年前の頃から、 どうしてなのょ、と私は不思議に思ったりした。

そして思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
                    

このようにサラリーマンを卒業して、年金生活をしている中、
齢ばかり重ねた私たち夫婦は、ふたりで一人前かしら、と私は苦笑したりしている。

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コメント (2)
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