先程、ときおり愛読しているネットの【ディリー新潮(DAILY SHINCHO)】を見ている中で、
【 すさまじき「活字」パワー 前頭葉活性化の「読書三昧」百寿者たち 】と見出しを見たりした。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
何かと読書が好きで、午後より夜の大半は、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
今回、《・・「活字」パワー・・「読書三昧」百寿者たち・・》惹(ひか)れて、
記事を精読してしまった。
この記事は、『週刊新潮』の2017年12月7日号の記事のひとつであり、
関連の【ディリー新潮】に2017年12月9日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・すさまじき「活字」パワー 前頭葉活性化の「読書三昧」百寿者たち
百寿者の多くが、趣味に読書を挙げる。
なにしろ、100歳を超えて、日がな一日読書に耽るくらいだから、認知症とは無縁ということ。
100歳ライフの「質」を保証する活字パワーの威力たるや、すさまじい。
島根県の百寿者に触れて感じるのは、みな好奇心が旺盛だということだ。
「サラリーマンを定年になり、家にいるようになったときに、趣味がない人はボケやすいし、
寿命も短い傾向にあります」
と話すのは総合内科医の秋津壽男医師だが、
松江市に住む五十嵐久一さんは、家族によれば、
「8月に100歳を迎えましたが、今もボケは全然なく、書く字も崩れておらずキレイ。
年賀状も毎年30枚以上、自分で書いて出していますね」
そんな五十嵐さんの趣味が、読書なのである。
「新潮文庫はよく読んでいますし、月刊文藝春秋などは毎月、買ってくる私より先に読んでしまいます。
デイサービスがない日は、半日丸々読書ということもある。
好きな作家は宮部みゆきさんなどで、サスペンスを読んで、頭を使っているのもいいのかもしれませんね。
おもしろい小説は、一日中でも読めるみたいです。
戦争経験者なので従軍記のようなものも好きで、歴史ものも。
小説を読みながら、世界地図や日本地図を広げて舞台になった土地を探したりしています」
やはり松江市在住の青砥武一さんは、家族によれば104歳の今も、
「毎朝、新聞が届くと家族より先に読んで、
どこどこでなにがあったみたいだよ、と教えてくれるんです。
政治面や社会面も読んでいるみたいですが、島根県版に親戚が住む地域のニュースが載っていたりすると、
それについて家族と話したりするんです。
時折、読書もしています」
また、青砥さんの例を聞くかぎりは、ある程度の年齢からでも手遅れにはならないようだ。
「現役のころは農作業が忙しく、あまり読書などはできなかったようですが、
90歳をすぎたあたりから、興味ある本には手を伸ばすようになったみたいです」
読書の効用について、筑波大学名誉教授でメモリークリニックお茶の水理事長の朝田隆氏に、
医学的な見地から語ってもらおう。
これまでになかった神経回路が作られることが知られています。
オーストラリアのある研究で、知的好奇心の強い人は、
MCI(軽度認知障害)になっても、症状が改善する場合が多いことがわかっている。
新たなことを学び続けようという姿勢が、
アルツハイマーの予防、治療に重要だということがわかります」
本や新聞を読んで新しいことを知りたい、という姿勢が、
前頭葉を活性化させるというのだ。
「さらに高齢者になるほど、脳の健康度合いと身体の健康度合いの相関が
高いことが知られている。
島根県の長寿者に読書好きが多い理由は、ここから説明できるかもしれません」

だが、テレビでなにかを知るのではダメなのか。
「テレビを漫然と眺めていても、脳は活性化しません。
自分なりの好奇心を持って、積極的に情報を取り入れることが大事。
読書は、好奇心や問題意識を持って本を選び、集中して読み進めなくてはならないので、
脳を活性化する効果が高いと思われます。
新聞もいいですが、読むのが習慣化しているケースも多く、読書ほど積極的な行為ではありません」
この11月17日、県内最高齢の109歳で亡くなった平こまゑさんも、
無類の読書好きだったと、娘婿の石田兼英さんが回想する。
「平岩弓枝さん、宮尾登美子さん、池波正太郎さん、西村京太郎さんの本が特に好きでしたが、
ジャンルを限らずいろいろ読んでいました。いつも裸眼で」
まだ歩けたころは、
「車で本屋に連れていくと、たいてい5、6冊は好きな本を買う。
両足の大腿骨を骨折してからは、新聞広告を見て“これ買うてきてくれ”と言うから、
代わりに買ってきましたけど、読むのが早くて“もうちょっとゆっくり読んでくれ”と私らが頼むくらい。
単行本は1、2日で読み切ってしまうから、すぐ買ってこなあかんかったねえ。
昔読んだ本を新しく買った素振りで渡すと、“これは読んだ”と突き返されました」
109歳まで、脳が活性化していた証しだろう。
今も遺族のもとに、宮尾登美子の『きのね』、『菊亭八百善の人びと』などなど、
山と積まれたままだという。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は記事を読み終わった後、《・・100歳を超えて、日がな一日読書・・》の御方たちに、
羨望しながら、良き晩秋期をお過ごしされていると、仰ぎ見るように感銘させられたりした・・。
私は都心の郊外の調布市に雑木が多い小庭の中で、古惚けた戸建に住んでいる。
そして近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。
この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。
こうした中、私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは暗黙の風習として長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
そして私が地元の小学校に入学したのは、1951年(昭和26年)の春である。
私は小学校の学業は、兄ふたりは優等生であったが、
なぜかしら私は通信簿『3』と『2』ばかりの劣等生であった。
こうした中、この頃に生家にある本と云えば、農協の発刊する月刊誌の『家の光』ぐらい記憶にない。
やがて小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
居間にある書棚に本が並んでいたを見た時は、私は少年心でも、眩暈(めまい)を感じたりした。

こうした中で、私は1955年(昭和30年)の小学4年生の頃から、
独りで映画館に通ったりした映画少年であったが、
やがて都心の高校に入学した直後から、遅ればせながら読書の魅力に取りつかれたりした。
新潮文庫本、岩波文庫本を中核に読み、ときおり単行本を購読したのであるが、
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
心の深淵まで綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力に引きづり込まれた。
こうした高校生活を過ごしたりし、映画は相変わらず映画館に通い鑑賞し、
映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読し、付随しているシナリオを読んだりしていた。
こうした中で、脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)さんの『切腹』を脚色された作品
(原作・滝口康彦、監督・小林正樹、1962年)を観て、
圧倒的に感銘させられ、やがて東京オリンピックが開催された大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。
やがて専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をした。
その後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を食べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。
この当時の私は、中央公論社から確か『日本の文学』と命名された80巻ぐらいの文学全集を読んでいたが
その後に講談社から出版された『われらの文学』と名づけられた全22巻の文学全集を精読したりした。
こうした中で、純文学の月刊誌の『新潮』、『文學界』、『群像』を愛読していた。
或いは中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしていた。
こうした中で、心酔した作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上靖(いのうえ・やすし)さん、
そして立原正秋(たちはら・まさあき)さんの両氏であった。
やがて私は契約社員の警備員などをしながら、生活費の確保と空き時間を活用して、
文学青年のような真似事をして、この間、純文学の新人賞にめざして、習作していた。
しかし大学時代の同期の多くは、大学を卒業して、社会人として羽ばたいて活躍を始めているらしく、
世の中をまぶしくも感じながら、劣等感を秘めて私の方からは連絡も避けていた。
そして私はこの世から取り残されている、と思いながら、
明日の見えない生活をしながら、苦悶したりしていた。
こうした中で確固たる根拠もなかったが、独創性はあると思いながら小説の習作したりし、
純文学の新人コンクールに応募したりしたが、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
こうしたことを三回ばかり繰り返し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
こうした時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向を決意した。

そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

サラリーマン生活をしている間は、数多くのサラリーマンと同様に多忙な生活となり、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、浅田次郎の各氏の
小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。
雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は47年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は、購読したりしている。
こうした年金生活の中でも、私は本は、原則として本屋で買い求めたりしている。
しかしながら昨今は、ときおりコンビニで雑誌の月刊誌、週刊誌を購入する時もあるが、
街の本屋の衰退に嘆いているので、せめてと思いながらも、
アマゾン、楽天などネット購入は天敵と思いながら、利用したことない稀(まれ)な人となっている。

余談であるが、40歳の頃まで創られた物語の小説などを読むことが多かったが、
この後は事実を切り取りながら綴られた随筆、ノンフェクション、近現代史などが多く、
変貌してきたことに、独り微苦笑をしたりしている・・。
そして私は、読書が出来なくなった時は、生きがいのひとつがなくなるので、
認知症に遭遇せずに正気であれば、困苦するひとりである。
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