夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年末年始の休業日、年金生活の私でも学び、やがて我が家の年末年始休暇を思い馳せて、微苦笑を重ねて・・。

2017-12-20 15:11:55 | ささやかな古稀からの思い

先程、門扉の近くにある郵便受入箱を見たら、
市報『ちょうふ』2017年(平成29年)12月20号が配達されていて、
ぼんやりと私は見たりした。

そして『市施設などの年末年始の休業日』の一覧表を見たりした中で、
市役所(本庁)、神代出張所/29日(金曜日)から3日(水曜日)、と知ったりした。

こうした関係で、国家・地方公務員の年末年始の休暇は、29日(金曜日)から3日(水曜日)と知り、
仕事納め(御用納め)は12月28日(木曜日)となり、仕事初め(御用初め)は1月4日(木曜日)となるよなぁ、
と過ぎし2004年(平成16年)まで民間会社に勤めていた私でも、ぼんやりと思い重ねたりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

              

こうした中、年末年始の休暇になると、
年末の28日の前後の頃から、帰省ラッシュでふるさとに向かい新幹線、在来線の乗客、
或いは自動車で高速道路を利用され帰省される方が多く、
成田空港では、年末年始を海外で過ごす家族連れらの出国ラッシュが恒例となっている。

私のふるさとは、今住んでいる近くに生家があり、三男坊の私としては長兄宅が実家となっている。
そして私はこの地域には結婚前後の5年間を除き、68年ばかり住んでいる。

このような事情もあり、私は帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音である。

こうしたことは過ぎし一年の思いを秘めて、ふるさとの親、親族、そして友人たちに再会して、
共に語る合う情景が浮かび、
どうかご無事で行かれ、一族再会のような親愛を深めて下さい、と思ったりしている。

そして日本の各地、或いは海外に旅行される方たちにも、
せっかくの年末年始の休暇を楽しまれて下さい、と感じたりしている。

或いは自宅で年末年始を過ごされる方たちには、
民間サラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも祈願したりしてきた。

こうした中、年末年始も仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
大変ですね、お身体を程々にご自愛して下さい、と心を寄せたりした。

             

このように年末年始に関して、思いを重ねているが、やがて我が家の年末年始を思い馳せると、
私は微苦笑を重ねたりした。

私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。

家内の父は私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私は定年後に多々の理由で年金生活を始めてまもない時、
私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸13年が過ぎ、早や14年目を迎える。

今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される予定となっている。

世の中では、官公庁は今年は12月29日より1月3日まで、年末年始休暇と知り、
民間会社の大半は、官公庁に準拠して年末年始休暇かしら、
と私は民間の中小業に勤めていた体験を思い馳せて、微笑んだりした・・。

               

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

そして家内は、高齢者の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か5年前から膝(ひざ)を悪化してきたので、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。

しかしながら一昨年の12月下旬、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階までの17段を転落し、私たち夫婦はお互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。

やがて新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
少し大きめのベットを買い求めたりしてきた。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。

               

このようなことをする準備として、家内は一週間前から室内の掃除をしたり、
やがて奥の6畳の和室、居間の炬燵など孤軍奮闘され、ノロマの私は補助役程度であった。

我が家は年末になると、家内は簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、
駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。

或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、駅前に買物に幾たびか同行するのが、
毎年の習(なわ)しとなっている。
                          
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。

ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

そしてここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。

結果として、我が家の食卓は、御節(おせち)料理の単品を中心に、各自が好みの品を食べたり、
朝食は元旦の朝から定例のお雑煮となっている。

               

家内の母は、私より14歳ばかり齢上で、今や86歳の身となっているが、
80歳を過ぎた頃から、膝(ひざ)が悪化して、杖(つえ)を突く身となった。

こうした事情から、家内の母が炬燵(こたつ)に入いる時、膝(ひざ)に負担がないように、
私たち夫婦は椅子を探し、そして料理を食べやすいように炬燵(こたつ)のテーブルの上に、
簡易な食卓テーブルを買い求めたりしてきた。

こうした家内の母が椅子に座り、簡易な食卓テーブルで料理を食べたりすると、
私たち夫婦は炬燵(こたつ)に入ると、家内の母に対して見上げるようになり、
家内の母からすれば、私たち夫婦を見下ろすような状態となり、従者を従えているような状態となった。

私は当初、家内の母のこうした状態に、畏(おそ)れ多くも昭和天皇の皇后陛下様のように、
思い重ねて微苦笑したりした。

ここ数年の私は、畳とか座布団に座ることに、膝(ひざ)に負担を感じることとなり、
こうした時は炬燵(こたつ)に入らず、私たち夫婦が食事などを頂いている居間の食卓テーブルにある椅子に座り、
炬燵(こたつ)に入っている家内と家内の母に向かって、明るく大きな声で談笑したりしている。

               

昨年は12月28日、家内の母は家内の妹に引率されながら、
定例の病院でリハビリ、そして我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に予定通りに到着した。

やがて夕食の家内たちはビールを呑み、私はウィスキーを濃い水割りとして、
御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、二時間ばかり談笑を重ねたりした。

そして私は母と娘で話すこともあると思い、夜の9時過ぎに寝室に行き、
布団にもぐり本を読んだりして、まもなく寝付き、やがて29日は4時に目覚め、
早寝早起き元気な児かょ、と思いながら起床したりした。

このような状態が、家内の母が帰宅する前夜まで毎年続いてきたので、
平素の我が家ペースとは大幅に違うよなぁ、と戸惑いながら微苦笑したりした・・。

こうした中で、大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をしたりしてきた。
しかし殆どは、酒宴の真似事と同じだ、と私は微笑んだりしている。

私は結婚する前は、私の生家は大晦日の夜は『年越し蕎麦』の習わしであったが、
家内の実家が『お年取り』をされていたので、私たちが新婚の頃、家内の実家に招待されて、
数多くの料理を食べながら、お酒を呑み、談笑を重ねたり習慣に、私は最初の頃に驚いたりした。

やがて我が家でも、大晦日の夜は『お年取り』をして、早や30数年が過ぎている。

               

私たちの28日から新年の2日までの酒宴の真似事は、
家内の母は87歳、私は73歳、そして家内は68歳と迎えた今、
それぞれ高齢者の身であるが、この一年のその人なりのささやかな出来事を話したりする。

家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
             
やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要介護2』から『要支援2』と回復して認定されたりした。
           
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

家内の母はこうした体験談を微苦笑しながら、改めて私たち夫婦に語ったりすると、
泉のように話題が尽(つ)きないことも多い。

しかしながら家内の母は、我が家に滞在中は、昼下がりに3時間ぐらい昼寝をしているので、
毎夜の酒宴の真似事の時は、元気溌剌で応答し、私たち夫婦は戸惑いながら微苦笑を重ねたりしている・・。

               

このように我が家は、今年も年末年始は齢を重ねても、酒宴の真似事が続き、老ボーイの私は微苦笑している。

そして何よりもお互いにボケずに、こうして談笑ができれば、ささやかながら倖(しあ)せだねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。

このように我が家の年末年始を過ごしてきたが、果たして今年は・・と思いながら、
私は独り微苦笑をしたりしている。

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