夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年の瀬、東京の田舎者の私は、とりとめなく思い馳せ、独り微苦笑を重ねて・・。

2017-12-30 14:52:24 | ささやかな古稀からの思い

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えた後、
多々の理由で年金生活を始めて、丸13年が過ぎ、早や14年生の身である。

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、

ささやかに過ごしている。

こうした中、東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や68年となり、
この地域の原住民かしらと思う時もある。

こうした中で、最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

そして私が長年通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は恵まれて、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

                

我が家の平素の買物は、私が年金生活を始めた当初より、家内から依頼された品を買い求める為に、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店を廻ったりしている買物メール老ボーイとなっている。

昨今、年末に近づき、家内は簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、
駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。

そして家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、
駅前に買物に幾たびか同行するが、家内はその後に料理の重責となるのが、毎年の習わしとなっている。

或いは家内の依頼で、買物メール老ボーイの私は、駅前のスーパー、専門店に臨時便として行ったりしてきた。

          

私たち夫婦の両親は、私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。

そして家内の父は、私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸13年が過ぎ、早や14年目を迎える。

今年も家内の母は、膝、腰に齢相応に衰えて『要支援2』となっているので、
28日の昼下がり家内の妹に引率されて、我が家の最寄駅まで到着した後、
料理にいそじんでいる家内が最寄駅まで出向き、やがて我が家に来宅して貰い、
私たち夫婦と3人で年末を過ごし、新年を迎え、3日の午前中に家内が家内の母宅まで送ることとなっている。

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
           
このようなことをする準備として、家内は2週間前の頃から室内の掃除をしたり、
やがて奥の6畳の和室、居間の炬燵など孤軍奮闘され、ノロマの私は補助役程度であった。
                        
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。

ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

そしてここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。

結果として、我が家の食卓は、御節(おせち)料理の単品を中心に、各自が好みの品を食べたり、
朝食は元旦の朝から定例のお雑煮となっている。

こうした中、私たち夫婦は28日より、家内の母と共に過ごしている。

         


今朝、朝食後、私は家内に本日の買物を訊ねると、
ここ数日に私たち夫婦は買物をしてきたので、数品だけ・・と私は言われたりした。

そして私は、散策した後、スーパーに寄って帰宅するょ、と家内に言ったりした。

やがて私は10時過ぎに家を出て、歩きはじめると、近くの神社、寺院を参拝しょう、と思い立ったりした。

私は高校時代から都心の学校に通った頃から、初詣に関しては、
きまぐれに原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。

やがてサラリーマンを定年退職してから、人出の多い中が苦手となり、
込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。

このような心情を秘めてきた私は、地元の神社、寺院だったら、人出も少なく、
ゆったりした心で参拝できると思い秘めていた・・。

暖かな冬の暖かな陽差しの中、人影も少ない静寂の中を歩いたした・・。

                           

そして私は霞嶺(かすみね)神社、明照院(みょうしょういん)寺院に寄ったりした。

この霞嶺神社、明照院は、1985年(昭和60)年に調布市の市制30周年を記念の中、
調布市内の自然、史跡などの中から市民に選ばれ、『調布八景』のひとつとなっている。

         


         

そして明照院の境内の片隅には、扁額ようなものがあり、私は近づくと、やがて独り微苦笑したりした・・。

         

まもなく私は明照院に別れを告げて、雑木林がある地に向かったりした。

                  


そして近くに流れている野川の遊歩道を30分ばかり歩いたりした・・。

         

やがて小公園にあるベンチで、私は休憩をした・・。
         

そしてぼんやりとしていると、昨夕テレビのニュースで報じたことが甦(よみがえ)ってきた・・。

帰省ラッシュで、ふるさとに向かい新幹線、在来線の乗客、
或いは自動車で高速道路を利用され帰省される方が多く、
成田空港では、年末年始を海外で過ごす家族連れらの出国ラッシュが映し出されていた。

私のふるさとは、今住んでいる近くに生家があり、三男坊の私としては長兄宅が実家となっている。
そして私はこの地域には結婚前後の5年間を除き、68年ばかり住んでいる。

このような事情もあり、私は帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音である。

こうした根底には、それぞれの御方は過ぎし一年の思いを秘めて、ふるさとの親、親族、そして友人たちに再会して、
共に語る合う情景が浮かび、
どうかご無事で行かれ、一族再会のような親愛を深めて下さい、と思ったりしている。

そして日本の各地、或いは海外に旅行される方たちにも、
せっかくの年末年始の休暇を楽しまれて下さい、と感じたりしている。

或いは自宅で年末年始を過ごされる方たちには、
民間サラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも祈願したりした。

こうした中、年末年始も仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
たとえ職責であっても、何かと大変ですね、お身体を程々にご自愛して下さい、と心を寄せたりした。
          

               

このようなことを思い馳せて、私は再び歩き、やがてスーパーに向かった歩いたりした。

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