夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

体力の衰えた73歳の私でも、ときには家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして、微苦笑を重ねて・・。

2017-12-16 15:38:32 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、家内と共に夕食を頂いた後、いつものように茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの前の椅子に座っている家内の片隅に置いた。

『明日、ホームセンターで色々と買いたい物がありますから、よいかしら?・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『了解しました・・行きましょう・・』
と私は若き自衛官に負けないように、明るく大きな声で応(おう)じたりした。

私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
私は自主的に買物専任者として宣言し、平素の日々の買物は、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、家内が駅前のスーパー、ホームセンター、専門店などには3週間に一度ぐらい、
或いは年に4回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして人影も少ない遊歩道を歩いた先で歯科医院で治療を受けたりする時は、
老ボーイの私は、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをしている。

               

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。

家内の父は私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私は定年後に多々の理由で年金生活を始めてまもない時、
私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸13年が過ぎ、早や14年目を迎えている。

今年も家内の母には、28日に家内の妹に引率されて、やがて最寄駅に家内が出向き、
我が家に来て頂き、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される予定となっている。

               

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

そして家内は、高齢者の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か6年前から膝(ひざ)を悪化してきたので、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。

しかしながら3年前の12月下旬、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階までの17段を転落し、私たち夫婦はお互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。

やがて新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
少し大きめのベットを買い求めたりしてきた。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
               

このようなことをする準備として、家内はここ一週間前から室内の掃除をしたり、
やがて奥の6畳の和室、居間の炬燵など孤軍奮闘され、ノロマの私は補助役程度であった。

我が家は年末になると、家内は簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、
駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。

或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、駅前に買物に幾たびか同行するのが、
毎年の習(なわ)しとなっている。
                          
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。

ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

そしてここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。

結果として、我が家の食卓は、御節(おせち)料理の単品を中心に、各自が好みの品を食べたり、
朝食は元旦の朝から定例のお雑煮となっている。

               

家内の母は、私より14歳ばかり齢上で、今や87歳の身となっているが、
80歳を過ぎた頃から、膝(ひざ)が悪化して、杖(つえ)を突く身となった。

こうした事情から、家内の母が炬燵(こたつ)に入いる時、膝(ひざ)に負担がないように、
私たち夫婦は椅子を探し、そして料理を食べやすいように炬燵(こたつ)のテーブルの上に、
簡易な食卓テーブルを買い求めたりしてきた。

こうした家内の母が椅子に座り、簡易な食卓テーブルで料理を食べたりすると、
私たち夫婦は炬燵(こたつ)に入ると、家内の母に対して見上げるようになり、
家内の母からすれば、私たち夫婦を見下ろすような状態となり、従者を従えているような状態となった。

私は当初、家内の母のこうした状態に、畏(おそ)れ多くも昭和天皇の皇后陛下様のように、
思い重ねて微苦笑したりした。

ここ数年の私は、畳とか座布団に座ることに、膝(ひざ)に負担を感じることとなり、
こうした時は炬燵(こたつ)に入らず、私たち夫婦が食事などを頂いている居間の食卓テーブルにある椅子に座り、
炬燵(こたつ)に入っている家内と家内の母に向かって、明るく大きな声で談笑したりしている。

               

このような我が家の年末年始であり、この準備にここ一週間は何かと慌ただしい日々を過ごしている。

小庭の手入れは12月4日、そして13日に、家内の援助で私は奮戦して、
やがて27日には私が掃き清めることとなっている。

或いは買物は昨日には最寄駅にあるスーパーに2店ばかり、
体力の衰えた73歳の私でも、ときには家内のボディガード、お供そして荷物持ちをしたりした。

そして家内が品の選定に迷っている間、私は近くにある本屋に寄り、
総合情報誌『プレジデント』2018年1月1日号には、『老後に困るのはどっち?』
と題された特集に誘惑されて買い求めたりした。

或いは牧野知弘さんの著作『老いる東京、甦る地方』(PHPビジネス新書)、
そして敬愛している帯津良一さんの著作『~若者がうらやましがる~老人になってやろう』(海竜社)、
新書コーナーで見て、いずれも私の命題であるので、購読しょうと決意をした。

そして三冊ばかり買い求めた私は、家内が待つスーパーに戻ったが、
家内は他の品を選定して、やはり女性は時間が要するよなぁ・・と私は微苦笑したりした。

               

本日、家内と共に我が家より15分ばかり歩いた先のホームセンター『ユニディ』に、
入店した。

居間にあるカーテンが古びたので、15年ぶりに新調しょう、と11月に話し合った結果である。
やがて品を見て、担当者に長さなどの確約して、年末の26日に我が家に配達することとした。

そして洗剤、柔和剤など数多くの日常の消耗品などを配達依頼をしたりした。

この後、スーパーに2時間半ばかり買物した後、家内も疲れた表情を浮かべたりしたが、
体力の衰えた73歳の私も、疲れを感じたりしながら、殆ど毎日ブログ投稿文をしている私は、
どのようなことを・・・と本日の投稿文を思案したりした。

このように我が家は、平素は平穏に過ごしている私たち夫婦は、
やはり年末に向けて、少しばかり慌ただしく過ごしている。
          
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