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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

終活の新しい形 『 終活式 』、初めて私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2019-12-12 06:36:41 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見ていたら、
『 終活の新しい形「終活式」、お別れでなく感謝のセレモニーとして注目 
と題された見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

こうした中、私は世の中には、御自身が亡くなる前に、
元気なうちに感謝の気持ちを伝えたい、お別れをして区切りをつけておきたいと『生前葬』という式典が
あることは学んだきたが、
今回の『終活式』って、どのようなことなの・・と思い、好奇心に負けて記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『女性セブン』の2019年12月19日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に12月10日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

                

大切な人に祝福され、感謝する「終活式」というセレモニー

大切な人に祝福され、感謝する「終活式」というセレモニー

 

終活期間3か月のサポート、招待人数33人、ホテルの会場利用で120万円。規模や会場は相談できる

終活期間3か月のサポート、招待人数33人、ホテルの会場利用で120万円。規模や会場は相談できる


「3~6か月後に設定した式典を目指し、まず『ありがとう』を伝えたい人のリストアップ。

終活ノートでこれまでの人生を振り返ったり、未来の夢を描いたり、
家の片づけや葬儀、墓の情報収集などの終活を行います。
この間、専門の終活式コーディネーターがサポートするので、楽しく終活できます」

 

「10年後にまた終活式をしたいので、元気でがんばります」(浦利子さん)

「10年後にまた終活式をしたいので、元気でがんばります」(浦利子さん)

 

終活式までのスケジュール(一例)

終活式までのスケジュール(一例)


式当日は、終活ノートの披露をはじめ、本人の歴史や人柄を紹介するような企画を催し、
最後に未来に向けての宣言をするという趣向。

“終わり”の色はまったくなく、終活でひと区切りをした新たな門出といった雰囲気だ。

終活式を行った浦利子さん(76歳)は、「私は今まで人に恵まれてきたことを改めて実感した」と、
会の最後に行われる一文字書きに「恵」の字を。

「周りに愛されている母を見て、感動した」と、同席した息子さんも笑顔で挨拶した。

「終活式を経て、家族の死に対する構えは変わると思います。
老親の“いい人生”に寄り添えるひとときになればと思います」(武藤さん)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            

今回の《 終活の新しい形 『 終活式 』・・》を読みながら、 多々教示されて、深く学んだりした。

何かしら《・・「終活式」は、お別れでなく感謝のセレモニーとして注目長い人生、
ゴールまでの間にもう1つの節目を。
家族や友人に感謝し、「これからもよろしく!」を伝える、
今までにない素敵なセレモニーが注目を浴びている。・・》。

このような「終活式」の意義を心の中で呟(つぶや)くようにして、やがて私は微苦笑をした・・。


私はいつの日にか亡くなった時は、質素な家族葬と念願しているので、
まして生前に「終活式」には、つたない人生航路を歩んだ私は、羞恥心が増して、
とても式典の主役にはなれないよなぁ・・と微苦笑してしまった。

しかしながら亡くなった時は、ささやかな家族葬で執り行って頂ければ、
充分だよなぁ・・と思い深めている。

無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りの身となっている。
そして私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、 和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
とここ20年ぐらい言ったりしている。

                

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人、友人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、 多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や丸15年が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。             

こうした中で、家内はもとより、私の兄である夫妻、妹の夫妻、一番下の妹、兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・
このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。

昨今、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、私は微笑んだりした。

通夜の日、御棺の周りは幼年期は農家の児として育ち、 日本風土の土に還るので和花を中核として、
欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、洋花も添える。
この時、和花が高価だったならば、洋花を中心としても差し支えない。             

大きめのテープルには、食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど吞んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話しをテーマに、談笑して頂く・・。

人は誰しも、故人の心の奥に秘めた心は解らないが、 とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。

こうした中で、音楽が静かに流れれば、と念願したりしている。
選定する曲としては、今、瞬時に思い浮ぶ曲としては、 唱歌の『ふるさと』、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、 交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、
ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・ この5曲ぐらいは・・と思ったりしている。

翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を吞みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。             

そして私の生家(実家)は曹洞宗なので、やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしていたが、 これらを省略しても差し支えない。

このような葬儀は、私の生家にしても、親戚にしても、前例がなく、
もとより兄妹は大いに戸惑いを重ねる、と想像をする。

なぜ生家の墓地のある寺院の斎場で、通夜、告別式を行わないの、と予測されるが、
水戸黄門の印籠のように、故人の遺志である、と家内が明言し、了解を願いたいのである。

                

このように私の念願の家族葬を秘めているので、
平素のこれまでお世話になった数多くの御方に、ときおりお逢いするたびに感謝の念を、
お相手の御方に言葉にしたり、しぐさをしている。

たとえば親戚の御方には、私の生家で春のお彼岸、夏のお盆、そして秋のお彼岸にお逢いしたり、
或いは冠婚葬祭でお逢いしている。

そして会社時代のメンバーは、会社のOB会の懇親会で、先輩、同僚、後輩たちに、
談笑を重ねて、もう少し名残りほしい時は、私は積極的に二次会に参加してきた。

或いは平素の買物、散策などで、小・中学時代の同級生と偶然にお逢いできた時は、
微笑みながら、少なくとも立ち話しをしている。

このような私の言動もあり、今更・・生前に「終活式」には、私なりのこれまでの人生の羞恥心があり、
とても私は「終活式」はできないよなぁ・・と微苦笑をしたりしている。

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