私は都心の郊外の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
今朝6時少し前に目覚め、まもなく玄関先から新聞を取り入れと思い、玄関の軒下に下り立った。
霧雨が降る薄暗い中、門扉の前の歩道を50代ぐらいのサラリーマン風の男性が出勤される様子で、
経済が低迷している中、短期に成果を求められる時代の今日、
日曜日なのに出勤か・・何かと大変だなぁ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
そして居間に戻ると、何気なしにカレンダーを見たら、『冬至』と記載されていた。
もとより一年の中で日中の時間は短く、夜の長い時間である。
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの地域は、
この時節は、日の出は6時45分過ぎで、日の入りは夕方の4時半過ぎである。
まもなく、ぼんやりと私のサラリーマンの現役時代を思い浮かべたりした・・。
1995年(平成7)年の頃から、日本経済の足かせになってきた企業の「雇用・設備・債務」の三大過剰問題に対し、
やがて数多くの民間会社の多くは、過酷なほどに経営改革が行なわれ、
リストラ渦中で、殆どのサラリーマンが翻弄された。
私は中小業の多い音楽業界のある外資系のレコード会社に勤めていたが、
レコード会社の各社も総合見直しとなり、
会社間の統廃合をしたり、組織の統廃合で大幅な人員削減も行われたのが多かったりした。
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、
上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、人事異動も盛んに行われたりした。
私も55歳を迎える年に、1999年(平成11)年の初春、リストラ烈風の中、
各レコード会社の音楽商品のCD、DVDなどの物流を委託している物流会社に、
あえなく出向となったりした。
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。
出向先は少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられたりした。
そして約2万5千種類の音楽のCD、DVDなどの商品が並ぶ棚の大きな倉庫の中で、
センター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の指示に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。
こうした中、ソフトの販売店に出荷、返品など取り扱う商品センターで、
販売店からの日々変動の激しい日毎の受注に応じた出荷作業、
或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。
この出向先に勤務していた時代、遠方の神奈川県の厚木地域が勤務所在地であったので、
朝の起床は4時45分であった。
家を6時に出たが、この『冬至』の時節の前後は、まだ暗く寒さの中、
路線バスの最寄りのバス停で始発のバスを待ったりした。
そして小田急線の『成城学園前』の駅前に向うバスの乗客は、殆ど8人男性の50代の固定客で、
お互いに無言であったが、いつものメンバーと思いながら、指定されていたような席に座り、
秘かに心の中では、お互いに健闘していますね、と私は感じていた。
そして、常連となったメンバーのひとりが欠けていた時は、
風邪を退いたのかしら、と思ったり、
或いは職場が変わったのかしら、やむなく退職をされたのかしら、と思ったりする時もあったりした。
このような心情で、駅前で下車した後、
小田急線の『成城学園前』駅のプラットホームで下りの電車を待っている時も薄暗く、
乗車して、やがて15分過ぎた『新百合ヶ丘』駅を過ぎた頃、車中で日の出を迎えていた。
出向の前は、都心にある本社に30年近く勤務していたので、始業時は9時半であり、
通勤時間は一時間弱であったので、
私は8時過ぎに家を出ていたので、出勤時、出勤状景が一変し、まさに都落ちの心情もあり、
心身何かと鍛えられたりした。
こうした中、私は50代の後期であったので、帰宅も早くても夜の9時過ぎであったので、
体力テストは勘弁してほしい、というのが本音であった・・。
しかしながら出向先の大手企業の傘下の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
新春が過ぎ、節分の時節になる頃は、『成城学園前』の駅前に向うバスの車中で、
日の出を迎え、ほっとした気持ちは、今の私でも忘れることの出来ない思いでとなっている。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。
そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や丸15年が過ぎている。
こうした深情を秘めた私は、この『冬至』の時節を迎えると、つたない私でも『日の出』が恋しく、
この後の定年退職後は、無念ながら我が家は周辺が家並みが立ち並び、
『日の出』の情景が見えないのである。
やむなく私は家内と共に旅行をした旅先で、『日の出』が見られる所は早朝目覚めて、
眺めたりしている。
過ぎし2010(平成22)年5月24日より6月2日に、北東北の地域を周遊した時、
こうした中で、竜飛岬にある竜飛温泉の『ホテル竜飛』に宿泊していた早朝3時過ぎ、
部屋の窓辺から撮った日の出である。
この後、2012(平成24)年、吾妻高原に12月16日から3泊4日で、
『花月ハイランドホテル』で温泉滞在している時。
部屋のベランダから朝の6時半に撮ったりした。
このように齢ばかり重ねた拙(つたな)い私でも、東の空が望める旅先で、
『日の出』が見られる所は、早朝目覚める習性となっている。