私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で直ちに年金生活に入り、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。
そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだり、
ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。
この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
過ぎし2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
やがて市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会などに限り、地酒をある程度は呑んだりしたが、
平素は缶ビールの350mlを2本までを殆ど守ってきた。
こうした中、もう少し呑もうかしら、と思うと、
何故かしら優しい保健師の女医さんのアドバイスの笑顔が蘇(よみがえ)り、
缶ビールの350mlを2本までの夜が圧倒的に多かったりした。
やがて翌年の2009年(平成21年)の秋に健康診断を受診した時は、
体重は3キロばかり減少て、75キロとなり、
優しい保健師の女医さんのおかげかしら、と私は微笑んだりした。
そして私は悦びながら、家内に伝えたら、
『あなたの健康にも良いし・・家計費のアルコール代も減りますから・・』
と家内は私に微笑みながら、言われたりした。
この後、私は相変わらず缶ビールの350mlを2本までを守り、
幾たびか旅行を重ねた時、昼はビール、夕食の時は地酒も呑み、
日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、ふたたび78キロに戻ってしまったのである・・。
この結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記され、私は青ざめ、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。
そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。
私は定年の5年前の頃から、60代は五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、
と公言してきたが、家内との共通趣味は国内旅行であり、
糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内は旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。
やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。
そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。
昼食は婦女子のようなフルティ・ランチで、リンゴを一個、そして柿一個としていた。
その上、散策は時速3キロぐらいの歩みから、時速6キロぐらいのウォーキングとなり、
汗をかきながら最低30分は歩き廻り、ほぼ毎日していた。
この結果、体重は74キロとなり、4キロばか減少し、
ズボンの腰回りも楽になり、ベルトについている穴も2つばかり減り、
何かしら身体が軽快に成ったと微笑んだりしていた。
しかし、以前ゆっくり歩いた散策の時は、
この時節の晩秋の朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景に、深い心を寄せられることができたが、
ウォーキングとなれば、風景が通り過ぎるように心を寄せる瞬時の思いが、なくなってしまった。
やむなく私は、公園を目指して、ウォーキングに専念した後、
公園内で汗をふきながら、ゆっりと散策して過ぎ行く美麗な錦繍の情景に心を寄せ、
そして帰路は、ウォーキングして、日中のひとときの定例事項としてきた。
この間、私は最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
そして私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。
かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
過ぎている・・。
このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となったりした。
この後、国内旅行で家内と共に各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
やむえなく糖分の多い日本酒とお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックに、
弱くなったので少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととした。
そして糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。
この間、最寄の内科専門医院に4週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。
こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。
過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもある、と私は微苦笑している。
私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。
こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
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現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。
そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
こうした中で、純米酒の辛口が好きの私は、晩酌の時は現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或い日はビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んだり、
ときには日中に小庭のテラスに下り立ち、簡易椅子に座り、缶ビールを呑みながら、
最後の出向時代の5年間は、何かと大変だったなぁ、と思い重ねたりした・・。
この結果、身長は170センチ、体重は70キロだった私は、毎年少しずつ体重が増えてしまった・・。
過ぎし2008年(平成20年)の秋に健康診断を受診した後、肥満体と診断され、
やがて市の斡旋の『メタボの研修』を受講した後、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会などに限り、地酒をある程度は呑んだりしたが、
平素は缶ビールの350mlを2本までを殆ど守ってきた。
こうした中、もう少し呑もうかしら、と思うと、
何故かしら優しい保健師の女医さんのアドバイスの笑顔が蘇(よみがえ)り、
缶ビールの350mlを2本までの夜が圧倒的に多かったりした。
やがて翌年の2009年(平成21年)の秋に健康診断を受診した時は、
体重は3キロばかり減少て、75キロとなり、
優しい保健師の女医さんのおかげかしら、と私は微笑んだりした。
そして私は悦びながら、家内に伝えたら、
『あなたの健康にも良いし・・家計費のアルコール代も減りますから・・』
と家内は私に微笑みながら、言われたりした。
この後、私は相変わらず缶ビールの350mlを2本までを守り、
幾たびか旅行を重ねた時、昼はビール、夕食の時は地酒も呑み、
日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風の中で昼寝も多くなり、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、ふたたび78キロに戻ってしまったのである・・。
この結果、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記され、私は青ざめ、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。
そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。
私は定年の5年前の頃から、60代は五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、
と公言してきたが、家内との共通趣味は国内旅行であり、
糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内は旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。
やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。
そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。
昼食は婦女子のようなフルティ・ランチで、リンゴを一個、そして柿一個としていた。
その上、散策は時速3キロぐらいの歩みから、時速6キロぐらいのウォーキングとなり、
汗をかきながら最低30分は歩き廻り、ほぼ毎日していた。
この結果、体重は74キロとなり、4キロばか減少し、
ズボンの腰回りも楽になり、ベルトについている穴も2つばかり減り、
何かしら身体が軽快に成ったと微笑んだりしていた。
しかし、以前ゆっくり歩いた散策の時は、
この時節の晩秋の朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景に、深い心を寄せられることができたが、
ウォーキングとなれば、風景が通り過ぎるように心を寄せる瞬時の思いが、なくなってしまった。
やむなく私は、公園を目指して、ウォーキングに専念した後、
公園内で汗をふきながら、ゆっりと散策して過ぎ行く美麗な錦繍の情景に心を寄せ、
そして帰路は、ウォーキングして、日中のひとときの定例事項としてきた。
この間、私は最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、2011年(平成23年)の3月の初旬であった。
そして私としては何よりも不思議と感じたのは、冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。
かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
過ぎている・・。
このように私は20代から何かと日本酒、ビールを中核にワイン、ウィスキーも呑んできたが、
歌を忘れたカナリヤのようにアルコールから遠ざかり、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会、そして我が家で週に一度ぐらい呑むぐらいとなり、激少となったりした。
この後、国内旅行で家内と共に各地を幾たびも行ったりすると、
やはり宿泊処で地酒を呑んだりしてきたが、体重が増えてしまった。
やむえなく糖分の多い日本酒とお別れして、ウィスキーに氷を入れただけのオンザ・ロックに、
弱くなったので少しだけ水を入れた濃いめの水割りで呑むこととした。
そして糖尿病と宣告されて以来、 冠婚葬祭、懇親会、国内旅行など以外は、
原則として自宅で呑むのは、5日に一度ぐらいとなっている。
この間、最寄の内科専門医院に4週間毎に定期健診を受けているが、
ここ3年ぐらいは悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はほぼ優等生となって、
改善努力の成果となっている。
こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
こうした中、過ぎし40代前後に弐合徳利、ぐい呑むを幾種類も買い求めて、
晩酌の時に、今宵はどの弐合徳利にしようかしら、と選定しながら夜の友のひとりとしてきたが、
今やガラス戸の棚に、ひっそりと鎮座していることも、忘れていることが多くなっている。
過ぎゆく人生は、無念ながら何かしら断念することもある、と私は微苦笑している。
私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。
こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
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