私は東京郊外の調布市に住む年金生活し、まもなく古希と称される70歳を迎える身である。
そして民間の中小業に35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎え、
多々の理由により年金生活を始めて、まもなく偶然にブログの世界を知った・・。
我が家はインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
私は現役サラリーン時代は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑として奮戦していたので、コンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
やがて先端技術は解からず、社内システムのオンラインの端末機を利用したり、或いはパソコンを活用し、
業務に従事していたぐらいであった。
このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webのネット世界の環境には、急速に進化を増したことに驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなくブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入し、
原則として毎日投稿したのは、2004年(平成16年)11月17日であった。
その後、ブログ形式に準じた【すくすくブログ】を知り、
気楽に綴れる専用サイトとしたのは、翌年の2005年(平成17年)1月11日であった。
一週間ぐらい投稿したが、会員数の多い【gooブログ】を知り、取り止めたりした。
この後、この【gooブログ】に加入して、
少し気楽に団塊世代、社会、政治・経済の諸問題を綴ろうと思い、投稿をはじめたのは、
2005年(平成17年)1月19日であり、この日から3,518日が過ぎている。
この後は、会員数の多い【gooブログ】とブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】
二刀流のようなそれそれと差異のある投稿文を重ねて一年半ばかりした。
特に【gooブログ】は政治・経済に関しては、専門知識がなく素人の感性で、
投稿文を認(したた)めてきたが、つたなさ、そして無責任の広言を反省し、投稿を中止した。
やがて2007年(平成19年)、肝要の本命である【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できるブログ形式に準じた【OCN Cafe】を知り、
やむなく加入したりした。
この間、2008年(平成20年)の春先から、少し悩んだりした・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、山口百恵ちゃんの歌にあるプレイバックのように振り返った時、
何かしら今までの数多くの投稿文は鍋物の《ごった煮》のような思い、
投稿を休止していたブログ【gooブログ】に、今まで書き散らかした投稿文3000通前後を
コピーしながら整理、統合し始めたりした・・。
そして2008年(平成20年)4月中旬から本格的に【gooブログ】を再開させて、
私が幼少時代から年金生活の今日までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
やがて併設していた【OCN Cafe】は、2010年(平成22年)7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』を単独とした。
この後、2年前の初めの頃に、『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称した後、
『夢逢人かりそめ草紙』と短縮して今日に至っている。
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
2005年(平成17年)の当時の【gooブログ】は、入会している会員数は100万人であり、
ブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】は、こじんまりとした10万人ぐらいの会員数であった。
私は個人的な幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
お読み頂いた方に、リアルな私を判明しずらい会員数の少ない【goo簡単ホームページ】を選定した。
これまての私は10年近く投稿してきたが、私自身の幼年期から現役時代、そして年金生活の日々の思い等を
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切なのである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
しかし誰しも光と影を有しているので、つたない私でも光と影があり、
特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。
たとえば、私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。
又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。
そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。
このように私はこれまでの人生の歩みの中、心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。
こうした私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきたが、
小心者の私としては匿名であることで、初めて発露できたことである。
このような心のうめきごとは、リアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。
小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができるので、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いに於いては同じかしら、と思ったりしている。
このような理由も重ねて、私はここ7年、発信名は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては綴れなかったことがある。
たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻に憂うことも感じたりしている。
或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の10年生となった今でも、心の礼節として綴れない。
そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
私はこのサイトに於いて、政治、経済、軍事、社会を含めて、
専門知識のない感情だけで吐露(とろ)し、独断と偏見で、直球とかカープで余すことなく
筆力が乏しいまま発露してきたこともあったが、
ここ3年ぐらいは反省をまじえて減少している。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは2年近く前から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは10年近くが過ぎている。
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そして民間の中小業に35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎え、
多々の理由により年金生活を始めて、まもなく偶然にブログの世界を知った・・。
我が家はインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
私は現役サラリーン時代は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑として奮戦していたので、コンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
やがて先端技術は解からず、社内システムのオンラインの端末機を利用したり、或いはパソコンを活用し、
業務に従事していたぐらいであった。
このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webのネット世界の環境には、急速に進化を増したことに驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなくブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入し、
原則として毎日投稿したのは、2004年(平成16年)11月17日であった。
その後、ブログ形式に準じた【すくすくブログ】を知り、
気楽に綴れる専用サイトとしたのは、翌年の2005年(平成17年)1月11日であった。
一週間ぐらい投稿したが、会員数の多い【gooブログ】を知り、取り止めたりした。
この後、この【gooブログ】に加入して、
少し気楽に団塊世代、社会、政治・経済の諸問題を綴ろうと思い、投稿をはじめたのは、
2005年(平成17年)1月19日であり、この日から3,518日が過ぎている。
この後は、会員数の多い【gooブログ】とブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】
二刀流のようなそれそれと差異のある投稿文を重ねて一年半ばかりした。
特に【gooブログ】は政治・経済に関しては、専門知識がなく素人の感性で、
投稿文を認(したた)めてきたが、つたなさ、そして無責任の広言を反省し、投稿を中止した。
やがて2007年(平成19年)、肝要の本命である【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できるブログ形式に準じた【OCN Cafe】を知り、
やむなく加入したりした。
この間、2008年(平成20年)の春先から、少し悩んだりした・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、山口百恵ちゃんの歌にあるプレイバックのように振り返った時、
何かしら今までの数多くの投稿文は鍋物の《ごった煮》のような思い、
投稿を休止していたブログ【gooブログ】に、今まで書き散らかした投稿文3000通前後を
コピーしながら整理、統合し始めたりした・・。
そして2008年(平成20年)4月中旬から本格的に【gooブログ】を再開させて、
私が幼少時代から年金生活の今日までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
やがて併設していた【OCN Cafe】は、2010年(平成22年)7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』を単独とした。
この後、2年前の初めの頃に、『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称した後、
『夢逢人かりそめ草紙』と短縮して今日に至っている。
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
2005年(平成17年)の当時の【gooブログ】は、入会している会員数は100万人であり、
ブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】は、こじんまりとした10万人ぐらいの会員数であった。
私は個人的な幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
お読み頂いた方に、リアルな私を判明しずらい会員数の少ない【goo簡単ホームページ】を選定した。
これまての私は10年近く投稿してきたが、私自身の幼年期から現役時代、そして年金生活の日々の思い等を
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切なのである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
しかし誰しも光と影を有しているので、つたない私でも光と影があり、
特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。
たとえば、私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。
又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる自裁して、亡くなったこと。
そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。
このように私はこれまでの人生の歩みの中、心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。
こうした私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきたが、
小心者の私としては匿名であることで、初めて発露できたことである。
このような心のうめきごとは、リアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。
小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができるので、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いに於いては同じかしら、と思ったりしている。
このような理由も重ねて、私はここ7年、発信名は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては綴れなかったことがある。
たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻に憂うことも感じたりしている。
或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の10年生となった今でも、心の礼節として綴れない。
そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
私はこのサイトに於いて、政治、経済、軍事、社会を含めて、
専門知識のない感情だけで吐露(とろ)し、独断と偏見で、直球とかカープで余すことなく
筆力が乏しいまま発露してきたこともあったが、
ここ3年ぐらいは反省をまじえて減少している。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは2年近く前から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは10年近くが過ぎている。
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