夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

まもなく古希を迎える私、過ぎし年金生活10年で、先達の方から多々学び・・。

2014-09-08 12:53:44 | ☆夢幻のような安楽な60代☆
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

私は9月下旬の誕生日を迎えると、古希と称される70歳となり、
心身溌剌と過ごしてきた60代にお別れとなり、
この10年過ごしてきた年金生活の中、ひたすら享受してきたので、
もとより愛惜を深めているが、まもなく60代は卒業して、70代となる。
           
         
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人、知人からの便りを受けたりしてきた・・。

私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした。

そして60代の10年間の日々は、何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
詳細については、この私のブログで数多く投稿してきたので、省略する。

やがて70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
          

私は定年後の年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、スーパー、専門店に行ったりしている。

その後は自宅の周辺の3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受してきた。

この後は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまない映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして年金生活の今でも本屋で、単行本、新書本、文庫本のコーナーを見たりして数冊買い求めたり、
ときには雑誌コーナーで月刊誌、季刊誌、臨時特別号を眺めた後、魅了された時は購入している。
そして、結果として手ぶらとなった時は、古本屋に行ったりして、読みたい本を探し求めて、
早や50数年過ぎている・・。

こうした中で定年後の年金生活の中で、特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
徳岡孝夫、高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、中西輝政、山崎正和などの各氏の単行本、新書本、文庫本を購読したり、
してきた・・。


昨今の私は、古希と称される70歳の入門となる不安な真情もあるので、
ぼんやりと本棚の数多くの本を眺めた後、一冊の本を抜き出したりした。

私が本棚からひとつの本を取りだしのは、三浦朱門・著作『妻への詫び状 老いれば頑固に生きるがいい~』(光文社)である。

この本を遅ればせながら、私は初めて読んだのは2012年(平成12年)5月に、
家内と共に越後湯沢温泉に3泊4日で滞在した観光ホテルの中であった。
          

私は前年の2011年(平成23年)6月、三浦朱門(みうら・しゅもん)氏の、
この当時の最新作のエッセイ『老年のぜいたく』(青萠堂)を本屋で偶然に見かけ、購読した・・。

私は三浦朱門氏の作品は殆ど読んでいなく、ただ『第三の新人』グループの作家のひとりであることは認識していた。

もとより1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年)ま頃にかけて文壇に登場した純文学の新人小説家を、
第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として、『第三の新人』と評論家・山本健吉が命名された。

そして小島信夫(1915年、生まれ)、島尾敏雄(1917年)、小沼丹(1918年)、近藤啓太郎(1920年)、
安岡章太郎(1920年)、阿川弘之(1920年)、庄野潤三(1921年)、遠藤周作(1923年)、
吉行淳之介(1924年)、三浦朱門(1926年)、曽野綾子(1931年)等の作家がいる。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかりした時、
『第三の新人』の作家としては、特に阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、各氏の作品に圧倒的に魅了させられ、
精読したひとりである。

映画・文学青年の真似事を挫折し、これ以降サラリーマンを35年ばかり勤めている間も、
この3氏などの作品は愛読者として読んだりしてきた。

確か三浦朱門氏の作品に関しては、筑摩書房が日本文学のシリーズとして、
『筑摩現代文学大系』の81巻に於いて、三浦朱門、三浦哲郎、立原正秋の三氏が収録され、
確か1980年(昭和55年)の当時に私は読んだ記憶がある。

そして三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作の三氏に寄る『まず微笑』(PHP文庫、1988年)を最近読んだりしたが、
この作品集の原題は『愛のあけぼの』(読売新聞社、1976年)と記載されている。

ここ10年ぐらいは、氏のエッセイを月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
季刊雑誌『文藝春秋SPECIAL』などで読んだりしている。

このように私は、三浦朱門氏の小説、エッセイは、わずかに読んだ程度である。


『老年のぜいたく』の本書は氏の優(すぐ)れたユーモアを根底に、氏のこれまでの人生の軌跡をくまなく発露され、
そしてこの当時氏の85歳の心情を綴られたエッセイである。
             
タイトルに掲げられた『老年のぜいたく』は、
《・・ゼイタクというのは、物と人を思うさまに使える、といったことでなく、
日常生活の生き方、つまり一切の行動の行き方、つまり一切の行動が自由であり、
一瞬、一瞬を充足して生きることができる、といったことであろう。

老人にはそんな生活が期待できるであろうか。
できる。・・》
注)本書の11ページ。原文にあえて改行を多くした。

このような命題を掲げて、具体的な言動を余すところなく発露される。


私は圧倒的に魅せられた箇所は、
《・・結婚生活を主とする第二の人生の領域が、第一の人生のそれを圧倒するに及んで、
結婚は第二の人生の中心になる。
その意味で配偶者は生涯の伴侶なのである。

結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。
包み紙を問題にして離婚する人は気の毒というより仕方がない。・・》
注)本書の21ページ。原文にあえて改行を多くした。

特にこの中のたった一行、
《 結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。》
この当時の私は66歳の身であったが、5分ばかり心の中でどよめき、やがて人生のまぎれない哲学である、
と感じ深めたりした。。

こうしたことを初めとして、数多く紹介したいが、後は本書をお読み願いたい。

そして本書は大人の諸兄諸姉にお読み頂きたく、特に40歳以上の方たちには、たとえ睡眠時間を削ってでも、
これからの確かな人生の教科書のひとつ、と私は確信を深めたりしてきた。


そして氏の『老年のぜいたく』に感銘を受けた私は、観光ホテルの館内にある数多くの本の中から、
氏の著作『妻への詫び状 老いれば頑固に生きるがいい~』(光文社)を遅ればせながら、
私は読んだりした。
             
本書の初めに、下記の文に瞬時に魅了されて、読み耽(ふけ)ってしまった・・。
《・・私は、平成7年の1月12日で69歳になり、70歳への坂を一日一日、登っています。
70は「古希稀(まれ)なり」というように、世界のの歴史からいっても、十分にじじいです。

70年間の生涯で、何が悔いがあるかというと、女性です。・・》
注)本書の9ページ。原文にあえて改行を多くした。

この本の各章の題目を読んだだけでも、瞬時に魅せられる。
たとえぱ、《 理想の女性と分相応な女、70にしても見果てぬ夢、子供の「汚物」は女房の分身、
女は自分を頑固だと絶対に認めない、夫がもてたのを一緒に喜んでくれる妻は理想の妻、妻の殺し文句 》
など44章に私は圧倒的に教示され、感銘を受けたひとりである。

詳細の内容は著作権もあり、本書を読んで頂きたく、
何よりもは古希を迎える男性に読んで頂きたいなぁ、と私は深く思ったりしたいる。

そして私は昨年の夏に、氏の最新エッセイの『老年の見識 ~大切なことは、自分らしく生きることから』(海竜社)を、
             
買い求めて、ときおり正座をして読んだりしてきた。

周知の通り、三浦朱門氏は小説を公表されながら大学教授をされた後、
文化庁長官も歴任し、この後に芸術院の院長を長らくされ、最近はご高齢で芸術院の院長を辞任されたお方である。
そして奥様は作家の曽野綾子(その・あやこ)さんで、おしどり夫婦として長く世間の一部の方たちに知られている。

私はご高名な三浦朱門、曽野綾子さんのご夫妻の書物から、高齢期の思いを数多く教示されたりしてきた。
          


平素の私は、近所の高齢者のご夫妻と立ち話しをしたり、或いは駅前のスーパー、喫茶店、ファミリー・レストランなどで、
高齢者のご夫妻のしぐさ、会話が聴こえたりして、この人生の微笑みを感じたりしてきた。

或いは私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつであり、
観光ホテルなどの滞在する旅路が多く、こうした時に偶然に私たちと同世代、そして70代のご夫妻と、
ロピー、食事処で幾たびかお逢いすると、お互いに談笑したりして、私は多々学んだりしてきた。

そして私は定年後の年金生活10年間の中で、たまたまブログの投稿文を投稿し、
こうした中、特にブログランキングの『にほんブログ村』の『シニア層』に3年ばかり所属し、
数多くの50代、60代、70代のお方の投稿文を読まさせて頂いた。

その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)える。
            

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、特に60代の女性が70代のご主人との思い、そして70代のご夫妻の日常生活の思い
或いは70代の『おひとりさま』の心情の投稿文を中核に、昨今は更に精読を深めている・・。

そして私は、これから古希入門の私しては、こうした先達者のお方に秘かに励ましを感じたり、
人生の微笑みを頂いたりしている。

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