私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中で、私は年金生活を始めて以来、自主的に平素の買物担当となり、
殆ど毎日、最寄りのスーパーとか駅前のスーパー、専門店に行ったりしている。
本日もいつものように私が買物を行く前に、家内がスーパーのチラシにサインペンで、
必要な品を赤丸の印を付けている。
この赤丸の印が付いた品は必須の購入する品で、これ以外は私が店内で魅せられた品を買い求めてくるのが、
我が家の暗黙のルールとなっている。
私は最寄りのスーパーに行って、チラシの赤丸の印された品を探し求めて、
スーパーの指定籠(かご)に入れた後、なぜかしらパンのコーナーに寄り、菓子パン棚で、
あんぱんの二種類を入れたのである。
帰宅後、私は台所で洗い物をしている家内に、買い物したすべてを手渡したりした。
その後、まもなくして家内は、
『あなた・・こしあん、つぷあんのあんぱん・・好きねぇ』
と微苦笑しながら、私に言ったりした。
本日は早朝から晴れ渡り、快晴の日中を迎えているので、
家内は入梅前に、衣替えの整理に最適だと思いながら、朝の10時過ぎから押し入れにある衣装ケースなどを
孤軍奮闘している。
こうした状況を見て買い物に出かけた私は、
昼食はかまってくれない、と思いながら私はあんぱんのふたつを買い求めたのである。
そして、私は煎茶を淹れた後、このあんぱんを食べたりした。
あるメーカーの品の袋の明記された文面を私は読んだりした・・。
《・・
こしあんぱん
絹のような舌触りの
なめらかなこしあんを
しっとりして生地で
やさしく丁寧に包みました。
つぶあんぱん
すっきりとした甘さの
粒あんをしっとりした
生地でやさしく丁寧に
包みました。
・・》
このように明記された文面を読みながら、この世で贅沢な食べ物のひとつかしら、
と私は微笑みながら頂いたのである・・。
私は東京の郊外に1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となり、程ほど広い田畑を小作人だった人のご厚意に助けられながら耕したり、
竹林、雑木林を維持管理していた。
そして、この実家から一キロぐらい歩いた先に駅があり、その付近に小学校がある。
1951〈昭和26〉年の春に私は小学校に入学して、
確か3年生の頃だったと思われる。
小学校の校門の近くに文房具屋さんがあり、
私たち学童は、鉛筆、ノート、ゴム消し、下敷きなどを親から買って貰ったりしていた。
この文房具屋さんが、ある日、店の一角にパンを置きはじめたのである。
『こっぺパン』と命名され、紡錘形で底の平たいパンで、
厚みを半分に切って、バター・ピーナッツ(通称・バターピー)、
或いは(イチゴ・・?)ジャムが塗られていたのである。
この当時の私の実家は、農家だったので、
殆ど毎日、米の白いご飯、ときには小麦を混ぜて頂いていた。
或いは、ときおり小麦を精米し、粉状にしたのを父が『うどん』にし、母がゆで上げて、
家族そろって頂いていた。
父は私が小学2年の3学期に病死され、
祖父もまななく他界されて、成人は女手ばかりとなり、我家は没落しはじめた。
このような時、文房具屋さんで、
『こっぺパン』のバターピー、確か15円だった、とおぼろげに脳裏に残っている。
私としては、初めて見たパンでもあり、
香(かぐわ)しいバターピーに魅了され、
親がサラリーマン、商店の店主している同級生が、頻繁に購入しているのを見かけたりしていた。
やむなく私は誘惑に負けて、
母親に懇願して、お金を貰い、文房具屋さんに行ったが、
売り切れで失望し、とぼとぼと自宅に向かい歩いたりした。
翌日、早めに文房具屋に行き、待望の『こっぺパン』のバターピーが買えて、
私は食べながら、この世にこのような美味しい食べ物があったか、
とほうばりながら、実感したりした。
その後、色々な菓子パンが店内の一角に置かれ、
私が小学校を1957〈昭和32〉年3月に卒業した頃は、
『こっぺパン』は消え、多彩な菓子パンで占領されていた・・。
この中の多彩な菓子パンのひとつに、私は手軽に甘味が味わえる『あんぱん』に圧倒的に魅せられ、
『こっぺパン』にさよならして、『あんぱん』を食べたりした。
その後の青年時期、社会人のサラリーマンの多忙時期、
私は冷酷にも『あんぱん』に見向きもしなかった・・。
2004〈平成16〉年の秋、中小業の民間会社に35年近く勤めて定年退職となり、
この直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと決意したりした。
我が家の朝食は、白米のご飯、ワカメの味噌汁、
そして季節に寄り、春菊のゴマ和え、カブの醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚・・
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜』が心身の波長に合い頂いている。
このような状況が多いが、夕食は別格として、昼食はその日に応じて食べたりしている。
お蕎麦(そば)、うどん、スパゲティなどを頂いたりしている。
或いは私は食パンにマーガリンを付ただけで、
家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、二枚ばかり食べたりし、
お互いにコーヒーを飲みながら頂いている。
こうした中で、ときおり家内は少し高価なお好みの菓子パンを食べたりしているが、
私は『あんぱん』を頂き、遠い幼年期、少年期の思いも重ねて、
遥かな美味しさを増した『あんぱん』を、この世で贅沢な食べ物のひとつだ、と確信を深めながら頂いている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中で、私は年金生活を始めて以来、自主的に平素の買物担当となり、
殆ど毎日、最寄りのスーパーとか駅前のスーパー、専門店に行ったりしている。
本日もいつものように私が買物を行く前に、家内がスーパーのチラシにサインペンで、
必要な品を赤丸の印を付けている。
この赤丸の印が付いた品は必須の購入する品で、これ以外は私が店内で魅せられた品を買い求めてくるのが、
我が家の暗黙のルールとなっている。
私は最寄りのスーパーに行って、チラシの赤丸の印された品を探し求めて、
スーパーの指定籠(かご)に入れた後、なぜかしらパンのコーナーに寄り、菓子パン棚で、
あんぱんの二種類を入れたのである。
帰宅後、私は台所で洗い物をしている家内に、買い物したすべてを手渡したりした。
その後、まもなくして家内は、
『あなた・・こしあん、つぷあんのあんぱん・・好きねぇ』
と微苦笑しながら、私に言ったりした。
本日は早朝から晴れ渡り、快晴の日中を迎えているので、
家内は入梅前に、衣替えの整理に最適だと思いながら、朝の10時過ぎから押し入れにある衣装ケースなどを
孤軍奮闘している。
こうした状況を見て買い物に出かけた私は、
昼食はかまってくれない、と思いながら私はあんぱんのふたつを買い求めたのである。
そして、私は煎茶を淹れた後、このあんぱんを食べたりした。
あるメーカーの品の袋の明記された文面を私は読んだりした・・。
《・・
こしあんぱん
絹のような舌触りの
なめらかなこしあんを
しっとりして生地で
やさしく丁寧に包みました。
つぶあんぱん
すっきりとした甘さの
粒あんをしっとりした
生地でやさしく丁寧に
包みました。
・・》
このように明記された文面を読みながら、この世で贅沢な食べ物のひとつかしら、
と私は微笑みながら頂いたのである・・。
私は東京の郊外に1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となり、程ほど広い田畑を小作人だった人のご厚意に助けられながら耕したり、
竹林、雑木林を維持管理していた。
そして、この実家から一キロぐらい歩いた先に駅があり、その付近に小学校がある。
1951〈昭和26〉年の春に私は小学校に入学して、
確か3年生の頃だったと思われる。
小学校の校門の近くに文房具屋さんがあり、
私たち学童は、鉛筆、ノート、ゴム消し、下敷きなどを親から買って貰ったりしていた。
この文房具屋さんが、ある日、店の一角にパンを置きはじめたのである。
『こっぺパン』と命名され、紡錘形で底の平たいパンで、
厚みを半分に切って、バター・ピーナッツ(通称・バターピー)、
或いは(イチゴ・・?)ジャムが塗られていたのである。
この当時の私の実家は、農家だったので、
殆ど毎日、米の白いご飯、ときには小麦を混ぜて頂いていた。
或いは、ときおり小麦を精米し、粉状にしたのを父が『うどん』にし、母がゆで上げて、
家族そろって頂いていた。
父は私が小学2年の3学期に病死され、
祖父もまななく他界されて、成人は女手ばかりとなり、我家は没落しはじめた。
このような時、文房具屋さんで、
『こっぺパン』のバターピー、確か15円だった、とおぼろげに脳裏に残っている。
私としては、初めて見たパンでもあり、
香(かぐわ)しいバターピーに魅了され、
親がサラリーマン、商店の店主している同級生が、頻繁に購入しているのを見かけたりしていた。
やむなく私は誘惑に負けて、
母親に懇願して、お金を貰い、文房具屋さんに行ったが、
売り切れで失望し、とぼとぼと自宅に向かい歩いたりした。
翌日、早めに文房具屋に行き、待望の『こっぺパン』のバターピーが買えて、
私は食べながら、この世にこのような美味しい食べ物があったか、
とほうばりながら、実感したりした。
その後、色々な菓子パンが店内の一角に置かれ、
私が小学校を1957〈昭和32〉年3月に卒業した頃は、
『こっぺパン』は消え、多彩な菓子パンで占領されていた・・。
この中の多彩な菓子パンのひとつに、私は手軽に甘味が味わえる『あんぱん』に圧倒的に魅せられ、
『こっぺパン』にさよならして、『あんぱん』を食べたりした。
その後の青年時期、社会人のサラリーマンの多忙時期、
私は冷酷にも『あんぱん』に見向きもしなかった・・。
2004〈平成16〉年の秋、中小業の民間会社に35年近く勤めて定年退職となり、
この直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと決意したりした。
我が家の朝食は、白米のご飯、ワカメの味噌汁、
そして季節に寄り、春菊のゴマ和え、カブの醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚・・
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜』が心身の波長に合い頂いている。
このような状況が多いが、夕食は別格として、昼食はその日に応じて食べたりしている。
お蕎麦(そば)、うどん、スパゲティなどを頂いたりしている。
或いは私は食パンにマーガリンを付ただけで、
家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、二枚ばかり食べたりし、
お互いにコーヒーを飲みながら頂いている。
こうした中で、ときおり家内は少し高価なお好みの菓子パンを食べたりしているが、
私は『あんぱん』を頂き、遠い幼年期、少年期の思いも重ねて、
遥かな美味しさを増した『あんぱん』を、この世で贅沢な食べ物のひとつだ、と確信を深めながら頂いている。
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木村屋さんですから、語り継がれた食べ物のひとつとなり、今日に至っています。
教えて頂いた『もっちこしあんぱん』、いずれ挑戦致します♪
なんだか夢逢人さんの日記を遡る度にリンクする出来事が増えますね(^w^)
友人は木村屋のパンが大好きらしく大層喜ばれました
昨年一緒に銀座で舞台鑑賞を一緒にした帰りに2人で木村屋総本店にて初めてあんぱんを買い求めましたが値段のわりに小ぶりでびっくりしましたが飛ぶように売れていて更に驚きました
私はローソンで売られている『もっちこしあんぱん』105円が一番好きです(≧∇≦)生地がモチモチしていて餡も滑らかで美味です
是非一度御賞味ください(*^o^*)
何よりも楽しいコメントを嬉しく読ませて頂きました。
>>『こっぺパン』のバターピー、確か15円だった、とおぼろげに脳裏に残っている。
>私が最初に買って食べた頃も15円くらいだったと思います。当時は美味しいと思いました。
私は67歳、貴兄は確か65歳ですので、同世代となりますので、
あの当時としては、おかげさまで15円と確証できました。
>あんぱんは今でも大好きです。
>昔 東京へ行った時、一度は有名なK屋のあんぱんを食べて見たいと思っていました。
>初めてK屋のあんぱんを買って思いましたのは、少し小ぶりだなぁということです。
>私は関東人ではないので、K屋のあんぱんの味は期待した程ではなかったです。
木村屋のあんぱんは、小さめで創業の伝統に寄りかかり、創意工夫が他社より悪く、
私としては好みではありません。
今回の私が投稿した『あんぱん』は、神戸屋の『手包み』シリーズで、
『熟成』シリーズも美味しいです。
いずれも私は百円よりわずかに廉い品で、味も良し価格も廉いので、年金生活の最強の支援品と
思ったりしています(笑)
>私はあんぱんでも、こしあんよりつぶあんを好んで食べます。
私は甲乙つけがたく、迷っている次第です(笑)
>今はカロリー的には問題がありますが、つぶあんのアンドーナッツを一番好んで食べています。
>ただ胃に少しもたれるのが玉に傷ですが。(笑)
私は『つぶあんのアンドーナッツ』は無知でしたので、
先ほどネットで調べましたら、コンビニで発売されているようですね。
どの世代からも愛食されそうな品と感じましたが、古風な私は神戸屋の『手包み』シリーズ、
『熟成』シリーズのあんぱんを当面は賞味致します(笑)
こうした食べ物の話題は、その人の好みもあり、
政治の話題より百万倍は楽しいです。
>『こっぺパン』のバターピー、確か15円だった、とおぼろげに脳裏に残っている。
私が最初に買って食べた頃も15円くらいだったと思います。当時は美味しいと思いました。
私の家の近くにパン工場がありましたので、5円を持ってたびたびパンの耳を買った覚えがあります。
小さな紙袋にいっぱい頂きましたが、そのパンの耳にジャムやクリームが少し付いているとうれしかったものです。
あんぱんは今でも大好きです。
昔 東京へ行った時、一度は有名なK屋のあんぱんを食べて見たいと思っていました。
初めてK屋のあんぱんを買って思いましたのは、少し小ぶりだなぁということです。
私は関東人ではないので、K屋のあんぱんの味は期待した程ではなかったです。
私はあんぱんでも、こしあんよりつぶあんを好んで食べます。
今はカロリー的には問題がありますが、つぶあんのアンドーナッツを一番好んで食べています。
ただ胃に少しもたれるのが玉に傷ですが。(笑)