私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉のひとつがある。
『はまる』
若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。
私が中学2年生だった1959(昭和34)年頃、
いつものように同級生の仲良しグループのひとりの悪友と下校した帰り道で、
たまたま女の子の話となった。
私は悪友の間柄だったので、クラスで好きな同級生の女の子のことを、
『俺・・XXさんのことが好きだょ・・』
と私は悪友に云った、と記憶している。
悪友が秘かに笑いを浮かべながら、
『お前・・そいつに云ったの・・どこまで進んでいるの・・』
と追い討ちをかけてきた。
『俺は・・XXさんに・・何にも云えてないよ・・』
と私は悪友に云った。
『駄目だなぁ・・俺なんか・・XX知っているだろう・・』
と悪友が、やはりクラスで活発な同級生の女の子の名前を明言した。
『あいつの家に云ったら・・たまたまあいつしかいなくて・・
あいつの部屋で話したりしている途中・・おっぱいが少し見えたので・・
俺はムラムラとして服を脱がしてしまって・・あいつ抵抗しなかったから・・はめちゃたよ・・』
『本当かょ・・』
と私は心の中で動顚し、あの活発な女の子が抵抗もしないで身体を許して、
こいつと性交までするなんて、信じられない、と私の方がドキドキした。
後年、私は高校生になって、突然に文学の世界にに目覚めて、
『はめる』、『はまる』ということは。
江戸時代以来の男女間の性愛の中での、まぐあいと称した性交であり、
或いはこの間のみつまじい言葉のひとつかしら、と私は解釈したりした。
こうした私なりの解釈があり、確か1997(平成9)年の時だったと、記憶している。
私は50代の前半で、ある音楽業界のレコード会社に勤めていた。
多忙で残業して、夜食を会議室で食べたりしていた。
たまたま同じ部署の24歳の小柄で可愛らしく理知的な若き女性とふたりだけであった。
私達は食事処から配達してもらった天丼を食べたりしながら、
私は差しさわりのない音楽の話を話題にしたりした・・。
そして私は、ロックグループとして勢いのある『X JAPAN』の5曲ぐらいのタイトルを云いながら、
『最近・・帰宅後、殆ど熱中して聴いている・・』
と私は若き女性に云った。
『あらぁ・・XXさんは・・我が社で『X JAPAN』を一番聴いていると思います・・
はまって、いらしゃるんですねぇ』
と若き女性は私に云いながら、微笑んだりした。
私は聴きながら、ドキリとさせられた。
私は『はまって』なんていう言葉は、可愛らしく理知的な24歳の女性が言葉にするものでない、
『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
このような表現があるだろう、と思ったりした。
しかし、この当時は若い人の世代は、『はまる』という言葉の風潮が、流行(はや)っていたので、
私は黙って、微笑みを返したりした。
私が多忙だったサラリーマン時代を定年退職した2004(平成16)年の秋、
この頃からNHKのテレビ番組で、朝の7時過ぎからニュースを視聴する習慣となった。
こうした番組の中で、出演されたゲストスターの40歳前後の麗(うるわ)しき女性が、
『はまる』と言葉を発言して、私は動顚した。
何よりも高等教育の大学を卒業して、難関のNHKに入局された方が、
NHKの初心者研修のアナウンサー教育を終え、
その後はキャリアーを蓄えた小奇麗な27歳前後の女性キャスターの方さえ使ったりすると、
容姿に似合わず蓮(はす)っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。
このような思いの私は、『はまる』と言葉は、
若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。
少なくとも敗戦後からは、『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
という適切な言葉があるので、
この程度の言葉を大人と自覚される方には、使って頂きたい、と思っている。
反論される30歳以上の大人と自覚されているお方たちは、
流行している言葉を使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえて使っている方も見られる。
もとより日常の言葉は、時代を写(うつ)す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があり、日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。
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ここ10数年、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉のひとつがある。
『はまる』
若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。
私が中学2年生だった1959(昭和34)年頃、
いつものように同級生の仲良しグループのひとりの悪友と下校した帰り道で、
たまたま女の子の話となった。
私は悪友の間柄だったので、クラスで好きな同級生の女の子のことを、
『俺・・XXさんのことが好きだょ・・』
と私は悪友に云った、と記憶している。
悪友が秘かに笑いを浮かべながら、
『お前・・そいつに云ったの・・どこまで進んでいるの・・』
と追い討ちをかけてきた。
『俺は・・XXさんに・・何にも云えてないよ・・』
と私は悪友に云った。
『駄目だなぁ・・俺なんか・・XX知っているだろう・・』
と悪友が、やはりクラスで活発な同級生の女の子の名前を明言した。
『あいつの家に云ったら・・たまたまあいつしかいなくて・・
あいつの部屋で話したりしている途中・・おっぱいが少し見えたので・・
俺はムラムラとして服を脱がしてしまって・・あいつ抵抗しなかったから・・はめちゃたよ・・』
『本当かょ・・』
と私は心の中で動顚し、あの活発な女の子が抵抗もしないで身体を許して、
こいつと性交までするなんて、信じられない、と私の方がドキドキした。
後年、私は高校生になって、突然に文学の世界にに目覚めて、
『はめる』、『はまる』ということは。
江戸時代以来の男女間の性愛の中での、まぐあいと称した性交であり、
或いはこの間のみつまじい言葉のひとつかしら、と私は解釈したりした。
こうした私なりの解釈があり、確か1997(平成9)年の時だったと、記憶している。
私は50代の前半で、ある音楽業界のレコード会社に勤めていた。
多忙で残業して、夜食を会議室で食べたりしていた。
たまたま同じ部署の24歳の小柄で可愛らしく理知的な若き女性とふたりだけであった。
私達は食事処から配達してもらった天丼を食べたりしながら、
私は差しさわりのない音楽の話を話題にしたりした・・。
そして私は、ロックグループとして勢いのある『X JAPAN』の5曲ぐらいのタイトルを云いながら、
『最近・・帰宅後、殆ど熱中して聴いている・・』
と私は若き女性に云った。
『あらぁ・・XXさんは・・我が社で『X JAPAN』を一番聴いていると思います・・
はまって、いらしゃるんですねぇ』
と若き女性は私に云いながら、微笑んだりした。
私は聴きながら、ドキリとさせられた。
私は『はまって』なんていう言葉は、可愛らしく理知的な24歳の女性が言葉にするものでない、
『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
このような表現があるだろう、と思ったりした。
しかし、この当時は若い人の世代は、『はまる』という言葉の風潮が、流行(はや)っていたので、
私は黙って、微笑みを返したりした。
私が多忙だったサラリーマン時代を定年退職した2004(平成16)年の秋、
この頃からNHKのテレビ番組で、朝の7時過ぎからニュースを視聴する習慣となった。
こうした番組の中で、出演されたゲストスターの40歳前後の麗(うるわ)しき女性が、
『はまる』と言葉を発言して、私は動顚した。
何よりも高等教育の大学を卒業して、難関のNHKに入局された方が、
NHKの初心者研修のアナウンサー教育を終え、
その後はキャリアーを蓄えた小奇麗な27歳前後の女性キャスターの方さえ使ったりすると、
容姿に似合わず蓮(はす)っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。
このような思いの私は、『はまる』と言葉は、
若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。
少なくとも敗戦後からは、『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
という適切な言葉があるので、
この程度の言葉を大人と自覚される方には、使って頂きたい、と思っている。
反論される30歳以上の大人と自覚されているお方たちは、
流行している言葉を使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえて使っている方も見られる。
もとより日常の言葉は、時代を写(うつ)す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があり、日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。
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