夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

忘年会, 齢を重ねるたびに減り、80歳の私は、独り微苦笑を重ねて・・。

2024-12-18 13:42:30 | 傘寿からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の80歳の身であり、
この時節、世の中で働いて下さる現役サラリーマンの諸兄諸姉は、
ボーナスシーズンを迎え、
多忙の中のひととき、
忘年会を会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、

それぞれ懇親を深め12月中旬になると思われる・・。

私は年金生活をしている今、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。

          

私の50代の前半の頃までは、現役サラリーマンの時代であり、私なりに奮闘し、
この12月は部内はもとより、同世代、悪友たちと、
何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。


やがて50代の半(なか)ばに、リストラ烈風の中、
組織の統廃合により、人事異動が熾烈となり、

或いは早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、
或いは私のように出向となったりした。

そして私が定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、
東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。


やがて私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、
親御の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが次第に欠落した・・。

こうした中、忘年会は2月頃に有志で集まって懇親会すれば・・、
と敬愛してきている先輩だった人から言われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきた。

しかしながらこうしたことも、まもなく年に一度の会社の全般OB懇親会に変わり、
この時節の忘年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したりした。

               

昨今は、多くの退職された方たちも同様と思われるが、定年退職後10年も過ぎれば、
かっての会社時代の先輩、同僚、後輩たちの交流より、
家族の団欒はもとより、親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっている。

そして私は少し寂しい心情となり、15年前の65歳の頃まで、
近くに住む地元の小、中学の同級生の有志と、

最寄駅の居酒屋、食事処で逢い、懇親を深めたりした。

こうした時は、同級生の女性から、XXクン、と私は呼ばれたり、
悪友たちとは、お互いに苗字を呼び捨てにし、
この世の一番気楽なグループ、と微苦笑したりしてきた。


しかしながら私の会社時代の忘年会と同様に、
当人が病気で通院、親御の介護、そしてここ30年ぐらい共稼ぎが加速される中、
息子、娘の代わりに孫を世話している・・などで消滅してしまい、
こうした中の3人は、この世を去ったりしてしまった・・。


          

高校時代のひとりと忘年会の真似事をする為に、
毎年、居酒屋で逢ったりしてきた・・。


過ぎし1962年(昭和37年)の当時、私は高校3年生で、
私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、

彼も私の実家に少なくとも20回は泊まったりし、
こうした中、お互いの家族とも懇親していた・・。


こうした間柄でも、私が20歳を誕生日を迎えた時に、
私は大学を中退して映画・文学青年の真似事に邁進する中、
疎遠になったりし、
その後は彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。


そして私はある民間会社で35年近く奮戦して、
2004年(平成16年)の秋に定年退職後になるまでは、

お互いに年賀状を交わす程度で、数年毎に電話をする程度となった。

やがて私が2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めて以来、毎年一回ぐらいはこの時節に、
お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、懇親を重ねてきた。

      


私は、
高校時代で知り合った心友か悪友、友人か解らないが、
『吉祥寺』の居酒屋で、お互いに好きなビールとかワインなどの酒を呑み、
食べたい料理を食べながら、お互いに包み隠せず話し合える貴重な友と談笑した。


こうした中の3年半前の頃、ご近所の84歳の知人の男性より、
どんな高名の御方でも、長生きをされれば、体力は衰え、老体となり、
やがて数多くの御方は、紙おむつのお世話になるから・・、と私は教えられて、
少し動顛させられたりした・・。

もとより介護の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。


そして認知症は、自身が正気な言動がおぼつかなくなり、自覚も出来なくなることと思い、
介護難民は、自身が正気で言動が自覚しながら、困苦し、混迷する。

できうれば、私も体力は衰えても、自助努力で心身が自覚できる時まで、
生活ができたら・・と願っているが、
こればかりは神様か仏様が采配される世界かしら、と思ったりしている。



このようなことなど、お互いの好きな単品を数多く注文し、
彼はビール、私はワインなどを呑みながら、話し合うのが、恒例となったりしているが、
お互いに健康寿命であればこそ、こうしたささやかな会合で談笑でき、
倖せのひとときを享受してきた・・。 

果たして、いつの齢まで・・と空を見上げながら、微苦笑したりしてきた。

高校時代のひとりと忘年会の真似事をする為に、
連絡したが、体調を崩しているので・・、と私は電話連絡を受けて、
『来年の春頃に・・逢えたら嬉しいよねぇ・・』、
と私は言ったりして、彼の回復を祈願したりした・・。

このような結果となってしまい、今年は
忘年会の真似事を消滅してしまった・・。

こうした私の状況を家内が知り、
『私でよければ、居酒屋に付き合いますわょ・・』、
と家内は微笑みながら、私に言ったりした。

過ぎし5年半前、家内が大病に遭遇する前、
私達夫婦は、共通趣味のひとつの国内旅行に幾たびも遊学してきた・・。

こうした中で、旅先の食事処で、私は日本酒、ビールなどを吞みながら、
食べたい料理を食べて、家内と談笑をしてきた・・。

このようなことを思い浮かべて、
『久々に・・私たちだけで懇親会をしょう・・』、
と私は応じて、本日の夕方より、実施することとなったりした。


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