夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

晩秋の快晴に恵まれて・・♪

2007-11-18 08:18:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、朝の陽射しが眩(まぶ)しい程となっている。
日中は、19度前後の陽気となり、10月下旬のような暖かさかしら、
と思ったりしている。

昨日の日中は、庭の手入れを昼食抜きで専念し、
夕食を6時頃から頂き、疲れた為か、
布団にもぐったのは8時過ぎで、直ぐに寝付いた。

深夜に目覚めたのは、2時頃であり、パソコンの前に座ったりし、
このサイトで数多くのお方の『日記』欄を拝読したりした。

この後、布団に戻り、読み残した『中央公論』を読み、早朝の4時過ぎとなったので、
あわてて目を閉じた。

今、こうして主庭を眺めながら綴っているが、
剪定した樹木は短じかな樹形に陽射しが差し込み、
庭の外れに一角に切り落とした枝葉の未整理が、
うず高く積まれている微苦笑している。

本日は身体の休養日とし、明日の快晴の13度前後の陽気の中、
未整理分の枝葉、そして剪定の微調整を行う予定である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樹木の剪定のさなか・・♪

2007-11-17 17:18:00 | 定年後の思い
私は庭の手入れを朝の10時から4時過ぎまでしたが、
今回は家内の強力な支援があり、玄関庭、主庭の剪定は何とか終わった。
ただ、薄暗くなったので、主庭の切り落した枝葉の整理は順延とした。
従って、主庭の外れにうず高く積まれている。

この間はお互いに食事抜きで行ったが、
肝心の私の家庭用の剪定鋏(ハサミ)のバネが折れて、
7年前後愛用した鋏とお別れとなった。

家内の剪定鋏を借りたが、切れ味が物足らないので、
やむえず近所の金物屋さんに行き、新たな剪定鋏を選定した。
『XXさんでしたら・・これくらいの鋏をお使い下さいよ・・』
と奥さんから云われ、購入した。

帰宅後、早速切味で少しばかり伐(き)ったが、
以前の家庭用から比べると、抜群の切味である。
ケースには『忠助 剪定鋏』と明示され、
切味が伝統の匠、と書かれていた。

尚、家庭用の鋏より3倍以上の価格あったが、
切味には満足し、私の庭の友と思ったりしている。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木枯らしの吹く前、庭の手入れ・・♪

2007-11-17 08:15:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、澄み切った晩秋の陽射しの朝を迎えている。

来週からは木枯らしが吹くと予測されているので、
その前に庭の樹木の剪定などの手入れを日中のひとときに最適かしら、
と庭に降り立ち煙草を喫いながら思ったりしている。

一昨年の今頃、樹木の剪定を終わる頃、風が吹いてきて、
枝葉の整理に戸惑い、枯れ葉などは吹き寄せなり、
手こずったりしたことがある。

風もなく快晴に恵まれ、14度前後の晩秋の陽気、
ときには健全な汗をかくのもよいかしら、と思ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

されど、年賀状・・♪

2007-11-16 14:17:00 | 定年後の思い
私は定年退職後の年金生活の四年生の身であるが、
ここ数年、年賀状の送付先に迷っている。

定年退職後の直後の御礼の礼状は、会社の上司、同僚、後輩、知人、
そして親族、親戚、友人などに、定年を境に働くことがない無職の通知も含めて、
くまなく出したりした。

その後、家内の父が亡くなり、定年後の初めての年賀は喪中となったので、
退職まもない11月下旬に『喪中はがき』に変わった。

その後、初めての年賀状の送付先は、
出来うる限り絞り、私の現役時代に於いて活路を頂いた方、友人、
そして親族、親戚とした。
元旦に現役時代と同じように、上司、同僚の賀状を頂き、
やはり2日に返信を認めた。

このような形で、現役時代より、幾分減っているが、
私なりに充分過ぎると思ったりしている。


私は退職後の最新の一年の状況を10行前後に凝縮し、
つたないなりの文章としている。
こうした状況を伝える為に、短じかな綴りに、
毎年苦心惨憺をしているのである。

尚、私は『年賀状印刷』に使われている定例書体であったならば、
せっかく頂いても嬉しくないのである。

少なくとも、みじかな近況を付記していた場合は、
さりげない人生の微笑みを頂いたりしている。

たかが年賀状、されど年賀状である。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の郊外も、冬に向かって・・♪

2007-11-16 08:47:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした曇り空の朝を迎えて折、
日中も14度前後の肌寒い日となる。


昨日までの3日間は、ぽかぽか陽気の10月初旬のような快晴に恵まれ、
私は日中たびたび外出したりしていた。

川沿いの遊歩道を歩くと、
桜などの落葉樹は、朱色、黄色に染め初めめ、
わずかな川風を受けると、葉を空中に舞い上がりながら、
地上に落下している。
こうした中、陽射しはさんさんと受けながら歩くと、
何かしら夢のような思いとなる。


帰宅後、このサイトを見ていたら、
北海道のお住まいの姪っ子のように私が勝手に好感している若き奥さまのサイト、

http://cafe.ocn.ne.jp/profile/ikoi522

拝読していたら、お住まいの貴地に於いては、
初雪と綴られて折、
一ヶ月過ぎの乳児、そして上の女の子を抱えて、
何かと大変だなぁ、と思いを寄せたりしていた・・。


東京の郊外は、これからの時節、晩秋のような陽気、
ときたま初冬の情景を見せながら、
季節の移ろいは冬に向かっていく。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の果樹は・・♪

2007-11-15 07:05:00 | 定年後の思い
早朝、玄関庭に下りたら、
花梨(カリン)の黄色の大きな実が三つばかり黒土に落ちていた。
昨夜に落ちたと思われ、家内に手渡している。

私は原則として落ちたものは捨てればよいのに、
と云っているが、
もったいないわ、と使えそうな実を家内の判断で、活用しているのである。

この所、家内は花梨酒を昼のひととき、作ったりしている。

花梨の樹木には、黄色い大きな実は、まだ30前後は残っているが、
少しづつ作るの、と家内は云っている。

私は東京の郊外の調布市に住む身であるが、
残念ながら私の経済力が乏しいので、
程々の広さの庭である。

雑木を主体とした樹木の庭であるが、
わずか果樹としては、花梨、無花果(イチジク)、梅、
そして小ぶりな伊予地方の柚子(ユズ)がある程度である。

花梨、無花果は婦女子の食べ物で家内と家内の母が賞味し、
私は伊予柚子をこの時節毎日2つばかり捥(も)いで、
主(あるじ)の晩酌の友としている。
梅に関しては、家内と共有している。
我が家はこのように果樹は、ささやかな分担としているのである。


先程、私は新聞を読んでいたら、
家内はスーパーのチラシを見ていて、
『今日の買物・・お砂糖もお願いね・・
花梨酒を作っていたら・・お砂糖・・残り少なくなったの・・』
と家内は云ったりしている。

私は新婚時代から、同じことをするなら明るく元気にとモットーをしているので、
『おやすいご用で・・どのくらい買ってくればよいの・・』
と齢を重ねた63歳の私は明るく答えたりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川面は、晩秋の陽射しを受けて、きらめき・・♪

2007-11-14 15:40:00 | 定年後の思い
11時過ぎに、私は徒歩10分たらずの家電量販店に行く為に、
川沿いの遊歩道を歩いた。

歩道の脇のコスモスのそれぞれの色彩りを観ながら、
川辺の群生した薄(すすき)の白さを増した穂先、
そして川の流れを眺めたりしていた・・。

晩秋の陽射しを受け、川面はきらめいて、のどかな情景である。

このように晩秋の昼、のんびりと時を過ごせるのは、
現役時代の時は、夢のようなひとときであった。


家電量販店でパソコン関連の消耗品を購入した。

DVD-RWは、ハード・ディスクのバックアップ用、
CD-Rは、ハード・ディスクにあるデジカメの写真のアルバム用、
インクジェットは、プリンター用、
そしてプンンターの用紙、マウス用の電池などである。

バソコンを3年間以上お使いの方には、
お判り頂けると思うが、
CD、DVDの録画用、データ用のディスクは、
私の想像より廉く販売されているのに、
驚いたりしている。

帰路、晩秋の陽射しの中、のんびりと歩きながら帰宅した。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『小判草(コバンソウ)』は、再び容姿をととのえ・・♪

2007-11-14 09:09:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、澄み切った青空で晩秋の陽射しを受け、
天候に恵まれている数日が続いている。

我が家の主庭の隅には、この時節であるが、
群生した小判草が若緑色の穂を付けて、少し揺れている。
小判草はイネ科の草花で、古来より茶花として愛用されているひとつである。

毎年、3月の下旬頃に芽を出して、稲のような容姿で成長し、
5月頃から葉先が小さな小判のような花穂となる。

初夏には小麦色に染めら、風もないのに揺れたりしている。
水田の稲が実を重たげに見せている状況と同じで、
背丈30センチ前後の小判草は、けなげな容姿となっている。

9月のお彼岸の頃になると、
枯れはじめて、また来年もお逢いしましょう、
という例年の移ろいである。

今年も例年通り枯れた後、庭の手入れの時に整理してしまったが、
過日の旅行前に芽を出し、帰宅後には幼い稲に成長し、
15センチ前後の小柄な容姿で
花穂は小判のような形となっている。

私は、今年から二毛作になったの、
と嬉しげに見つめていたが、果たして地球の温暖化のせいかしら、
と思いながら季節はずれの小判草を見つめたりしている。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の郊外では、小公園の樹木も色づきはじめて・・♪

2007-11-13 14:42:00 | 定年後の思い
私の住む東京の郊外の調布市は、街路樹、公園、住宅地は、
落葉樹が朱色、黄色と色づきはじめている・・。

昨夜に報じた天気予報に寄れば、
晩秋らしい快晴の陽気であるが、ところによると木枯らしが吹くと、
気象庁は伝えていた。

幸いときおり微風が吹く程度で、おだやかな晩秋の陽射しとなっている。

先程、買物に行った帰り、私の住む近くにある団地の小公園に寄ったが、
風にないのに陽射しを受けた中、はらはらと小さな葉が空を舞いながら、地上に落下している・・。
私は足を止めて、煙草を喫いながら、呆然と見つめていた。

5本程植えられている槐樹(エンジュ)の樹であるが、
わずかに黄色味に染められた葉で、このような色づきで落葉してしまうのか、
と驚きながら見つめていたのである。

春の裸樹から瞬く間に芽吹き、小さな黄味緑色をたわわに付けて、
5月の頃には若緑色の葉は周辺を日陰となし、
この後は淡い黄白色の花色を見せて、
やがて今日のような情景をもたらすのである。

この樹木は、縁起の樹木として、
中国では各戸に必ず一本は植えられていることで有名であるが、
私の住む街では公園、遊歩道で見かける程度である。

こんな思いで、陽射しの中、はらはらと音もたてず、空を舞いながら、落ちていく・・。

私が立ちすくんでいたので、ご年配の80歳前後の女性が足を止めて、
落葉している葉を見つめた。

『このように早目に散るとは・・私は知りませんでした・・』
と私は声を掛けた。

『そうですわね・・でも、陽射しの中・・散り急ぐのも・・素敵ですわね・・』
と私に答えた。

このような形で会話がはじまり、
周辺の欅(けやき)、ドウタン・ツツジ、公孫樹(イチョウ)などの落葉樹の色づくの時節を、
互いに言葉を交わした。

『奥さま・・毎年・・11月の末頃・・街路樹の公孫樹は黄色に染められた後・・
昼下りの陽射しの中で散るのは・・私は毎年見惚れています・・』
などと私は云ったりしていた。

私は見知らぬ女性であったが、こうした季節感のある会話は好きで、
ときおり遊歩道を散策したりしている時などは、
言葉をかけたりしている。

そして、今年も秋の季節のうつろいを確かに受け止めはじめている。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の苦手なキムチ・・♪

2007-11-13 08:21:00 | 定年後の思い
私は塩漬けした白菜は、唐辛子を少し掛けて、醤油を足して頂くのは、
晩秋から早春までの好きな食べ物であるが、
なぜかキムチ系の食べ物は苦手である。

家内はキムチを食べながら、
『どうして・・こんなに美味しいのに・・』
とからかわれたりしている。

私は残念ながら幼年期では巡り逢ったことのないキムチであったことが、
主因と思ったりしている。

味、味覚は幼少でその方の一生は決定される、
と料理の著名の方が何かの時に発言されて、
私なりに納得しているひとりである。

これと同様なのか、タラコは好きであるが、
明太子は苦手である。

私はニンニクに関しては、好きな調味のひとつであり、
例えば鶏(ニワトリの肉を焼いたり、煮たりした時、
ニンニクを淹れたりすると、寒さを感じる季節には好感して、食べ過ぎてしまうのである。

人それぞれ食べ物の趣向はあるのは承知しているが、
家内に云わせると、貴方も偏食が多すぎるわ、
と新婚時代に云われたりした。

一番困るのは、九州の博多に近い周辺を観光周遊ツアーを利用した時、
明太子の名店に寄り、販売員の方から見本品の賞味を進められ、
私は避け、横にいる家内が私の分まで頂いたりする。

私はそんなに美味しいの、と数多くの方たちが賞味しているのを、
唖然としながら微苦笑している。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅前の桜の葉は、朱色に色づき初め・・♪

2007-11-12 18:43:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、爽(さわ)やかな秋晴れとなり、
私は11時過ぎに駅前に出かけた。

晩秋の陽射しの中、周囲の落葉樹は色づき初め、
私は身も心も解放されたかのようである。

私は年金生活で、余り時間に制約されない自在の身であるので、
バスの走る区間の道路を避けて、少し遠回りであるが、旧街道を歩いたりしている。

晩秋の情景を眺め、季節のうつろいを心に受けとめながら、
歩いたり、ときには足を留めて、樹木を眺めたりしている。

駅前の外れにある喫煙所で煙草を喫ったりし、
駅前の桜の大木を眺めたりしていた。

陽射しの中、葉は朱色に色づき初めているが、
人の流れは忙しいそうである。

学生、主婦、ビジネス・マンの方たちも、何かしら追いたてられるように歩いている・・。

この後、コーヒー・ショップの『ドトール』で、
コーヒーを飲んでいたが、若い女性、中高年の男女も何かしらお忙しそうな素振りである。

社会の第一線を卒業した私のような年金生活者の方々は、
ゆっくりと煙草を喫ったり、新聞を読んだり、
或いは本を開いたりしている・・。

私は微苦笑しながら、煙草を取り出しながら、
ふたたび持参の本を読みはじめた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときには、歌人、俳人に心を寄せて・・♪

2007-11-12 09:07:00 | 定年後の思い
今朝は新聞の朝刊は休刊日であったので、
何かしら手持ち無沙汰のような思いとなり、
私の机上の隅にある一冊の本を取り上げて読んだりした・・。

長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)であり、
時代を超えた有数なお方の読まれた作品が、
月ごとに俳句、短歌、川柳などが掲載されている。

今月の中のひとつが、私の心に沁みた短歌があり、
私は心の中で口ずさんだりした・・。


充ちわたる 空の青さを
思ひつつ かすかにわれは ねむりけらしも

        作者・古泉 千樫


長谷川 櫂の解説に寄れば、

大正13年(1924年)秋の歌。
千樫はこの頃から結核の為、東京の自宅で病臥して過ごす。
故郷の南房総の秋空を懐かしみながら、
つかの間の眠りに落ちたらしい。
身も心も青空に抱き取られてゆくかのように。

以上、無断であるが、転記させて頂きました。


私は、昨夕、布団にもぐり『文藝春秋』をしばらく読んでいたが、
うとうとと眠りの誘惑に負けて、眠ってしまったのである・・。

夢の中、過日、沖縄本島に滞在した折、
私は独りでプライベート・ビーチを散策し、
空の青さ、海の蒼さを眺めながら、浜辺を歩いた。

私の住む東京の郊外では、9月の初旬のような陽気で、
戸惑いながらも周辺の光景に身も心にゆだねて、
閑散とした11月の初旬の浜辺を歩いたりした・・。

現(うつつ)と夢幻を中を交差したのであるが、
確かにあの浜辺は歩いたのである。


このような想いがあったので、大正末期に詠まれた歌人の一首に心を寄せたのである。

私は歌を詠む力はないので、せめて短歌や俳句、そして川柳などを、
ときおり著名な歌人、俳人の歌を読んだりするのは好きである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときには、夕寝となり・・♪

2007-11-11 17:43:00 | 定年後の思い
昼食後、しばらくしてから、買物に出かけた。
明るい曇り空の中に行ったのであるが、
街路樹の花水木(ハナミズキ)の葉は朱色に染められて、
晩秋らしい情景となっている。

買物を済ませ、そして『文藝春秋』を購入し、帰宅した。

曇り空が暗さを増してきたので、
再び雨が降り出すのかしら、と家内に云ったりしていた。

この後、私は『文藝春秋』を精読したいので、
寝室の布団にもぐって、2時間ばかり読んでいるうちに、
眠くなり、甘受な夕寝に心身妥協してしまった。

先程、目覚めぼんやりと庭先を眺めると、小雨が降った樹木の情景となっていた。

このような午後の日もあると、私は微苦笑している。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天上の気候の神々は、ときとして・・♪

2007-11-11 08:07:00 | 定年後の思い
東京の郊外は雨が降り続いて折、
昨夜の天気予報に寄れば、明日は午前中は小雨、昼過ぎは曇り、
そして三時頃からは晴れ、と天気の回復を報じていた。

今朝、目覚めると、新聞を取り込む為に玄関庭を眺めると、
どんよりとした曇り空となっている・・。

私は煎茶を淹れながら、
天気の回復は半日早まったのかしら、
と思ったりした。

こうして主庭を眺めていると、
晩秋らしい樹木の葉の色づきを眺め、
枝葉に雨粒をたたえ、しっとりとした黒土を見つめたりしている。

私は秘かに天上の気候の神々に感謝し、
周辺の情景を眺めたりしている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の読書は・・♪ ③ 本屋に寄り

2007-11-10 17:59:00 | 定年後の思い
一昨日、駅前で歯科医院で歯の治療前、
久々に本屋に寄った。

これといって決めている本はないが、
結果として新刊本コーナーで2冊の本を購入した。

作詞家、作家の阿久 悠・著の『清らかな厭世(えんせい) ~言葉を失くした日本人へ~』(新潮社)で、
後の本は嵐山光三郎・著の『人妻魂(ひとづまだましい)』(マカジンハウス』である。

私は阿久 悠に関しては、作詞集、随筆などは10冊前後は愛読している。
今回の本は、産経新聞に平成16年4月~平成19年6月で、
『阿久 悠 書く言う』と題された連載、
そして産経新聞の『正論』欄で掲載されたのを再構成と明示されていたが、
私は無知であった。

稀代の作詞家が
「格言、箴言(しんげん)、警句」で綴った、警世の書。
ラスト・メッセージ!

と帯に大きく明示されて折、
今は亡き阿久 悠の遺言と私なりに受け止めて、
購入した次第である。


嵐山光三郎に関しては、『追悼の達人』、『文人悪食』、『悪党芭蕉』などで、
少なくとも10何冊か私は愛読している作家である。

現世、数多くの作家がいるが、『追悼の達人』一冊読めば、
明治、大正、昭和の文士49名のお方が圧倒的に生き生きとして浮かび上がり、
数少ない力量の作家であると同時に、稀に見る労作のひとつである。

このような感銘を受けた作家なので、
明治、大正、昭和の作家の妻、そして女流作家など53名の人妻に惹かれ、
購入したのである。

晩秋の雨の降る日、読書も最適かしら、
と煎茶を飲みながら読んだりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする