私は民間会社を定年退職した4年生の身であるが、
年金生活をして折、ともすれば曜日の感覚が薄らいでいる・・。
カレンダーを眺めて、『勤労感謝の日』の祭日であったか、
と当日の朝に気付いたりしている。
私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、
『勤労感謝の日』は電算処理の月次作業で追われていた。
経理の決算の担当者と休日出勤務し、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は云いながら、疲れ切っていたが、元気良く社内で働いていた。
40代になると、システムの開発と運営を交差し、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなって時期が多かった。
50代は他部門に異動したり、後半時期は出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
サラリーマンを卒業したのである。
昨今、過重労働などと新聞、テレビで視聴すると、
私達の時代も同じであった、と思ったりしている。
ただ、私達の勤めていた40代までは、
日本の経済は躍進していたので、私は幸運な時代に恵まれていた、
と微苦笑しているのは事実でもある。
年金生活をして折、ともすれば曜日の感覚が薄らいでいる・・。
カレンダーを眺めて、『勤労感謝の日』の祭日であったか、
と当日の朝に気付いたりしている。
私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、
『勤労感謝の日』は電算処理の月次作業で追われていた。
経理の決算の担当者と休日出勤務し、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は云いながら、疲れ切っていたが、元気良く社内で働いていた。
40代になると、システムの開発と運営を交差し、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなって時期が多かった。
50代は他部門に異動したり、後半時期は出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
サラリーマンを卒業したのである。
昨今、過重労働などと新聞、テレビで視聴すると、
私達の時代も同じであった、と思ったりしている。
ただ、私達の勤めていた40代までは、
日本の経済は躍進していたので、私は幸運な時代に恵まれていた、
と微苦笑しているのは事実でもある。