先ほど、ネットでニュースを見ようと、バソコンを立ち上げて、
私は【YAHOO! JAPAN】を設定しているので、
トップ画面には、トピックスのニュースが表示されている。
こうした中に、『 100歳 リハビリ励み介護卒業 』と見出しがあり、
私は年金生活のまもなく74歳の身であるが、驚いてしまった・・。
確か今年の3月に厚生労働省が、介護を受けたり寝たきりになったりせず
日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」が、2016年は男性72.14歳、
女性74.79歳だったと公表されていた。
そして平均寿命と健康寿命の差は、男性8.84年、女性12.35年と公表され、
平均寿命と健康寿命の差は、大半は介護などが必要となる期間であり、
この差を縮めることが、難題の社会保障費の抑制につながる、と私は学んできた。

私は過ぎし日に、総理府のホームページを見ている中、
『高齢者の介護』に於いて、多々教示されてきた。
介護保険制度における要介護者又は要支援者と認定された人(以下「要介護者等」という。)は、
平成25年(2013)年度末で、569.1万人となっており、
平成15年(2003)年度末から、198.7万人増加し、
高齢者の要介護者等数は急速に増加しており、特に75歳以上で割合が高い、と学んできた。
このように学んできた私は、これまで幸運にも大病で入院したことのない私は、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。
こうした中、私は来年の9月の誕生日になると、後期高齢者75歳となるが、
どうか健康で迎えることができますように、こっそりと祈願したりしているのが、
昨今の実情となっている。

このような深情を秘めてきた私は、《・・100歳 リハビリ励み介護卒業・・》は、
どのような御方ですか・・と思いながらクリックしてしまった。
やがて『 リハビリ励み介護“卒業” 土浦の100歳・川村さん
総理大臣祝い状 「ありがたい」 』と題されて記事が表示された。
この記事は、茨城新聞社の【クロスアイ】に掲載された記事で、
綿引正雄・記者が綴られた記事であり、
茨城新聞社が9月15日に配信して下さり、無断であるが転載させて頂く。
《・・リハビリ励み介護“卒業” 土浦の100歳・川村さん 総理大臣祝い状 「ありがたい」
今年100歳を迎えた土浦市中荒川沖町の川村てつさんが、
厚生労働省から今年の「地域で話題の高齢者」に茨城県で唯一選ばれ、
15日付で、総理大臣から祝い状を受けた。
川村さんは97歳のとき、大動脈の病気で入院し『要介護4』となったが、
1年のリハビリを経て、介護を“卒業”。
長生きの秘訣(ひけつ)は、「よく寝ること」と自然体を貫く。
祝い状に「大変うれしく、ありがたい」と笑顔を見せた。
川村さんは、大動脈の病気で、同市内の病院に約100日間、入院した。
医師からは「高齢のため手術は受けられない」と言われたが、
集中治療室に入って40日間の治療の結果、回復して退院。
しかし足腰が弱って、立つことができなくなり、要介護状態になった。
帰宅してからは、毎日リハビリに励み、杖(つえ)や手押し車で、歩けるまでになった。
現在は、介護サービスを受けず、2、3カ月に1度、病院に通う程度で元気という。
川村さんは、青森市生まれ。
戦時中は、乳飲み子を抱えながら、青森空襲も経験した。
40数年前に移住した土浦は、第二の故郷になった。
夫を30年前に亡くしたが、その後は国内外の旅行を楽しみながら、地域の仲間も増やしていった。
午後8時には床に就き、朝6時に起きる日々。
「風邪を引いても、熱を出したことはない。
医者からも『川村さんみたいに、長生きしたい』と言われる」と笑う。
同居する息子や孫に囲まれ、趣味の編み物をして過ごす。
「病気をしても、生き返った気持ちで、頭はしっかりしている。
皆が良くしてくれるから、幸せ。毎日を楽しんでいるよ」・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、《・・川村さんは97歳のとき、大動脈の病気で約100日間、入院され、
足腰が弱って、立つことができなくなり、『要介護4』となったが、
帰宅してからは、毎日リハビリに励み、杖(つえ)や手押し車で、歩けるまでになった。
現在は、介護サービスを受けず、2、3カ月に1度、病院に通う程度で元気・・》
このように私は学び、やがて敬意を重ねたりした。
退院後の『要介護4』の身ながら、辛いリハビリは強い意志と意欲がなければ、殆どの御方はできない、
と私は知人などから、私は聞いたりしてきた。
まして川村さんは御高齢の身ながら、リハビリを励み、介護サービスもいらないまでに克服した努力と意思に、
体験したことのない私でも、敬意をさせられたのであった。