夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

100歳の女性、『要介護4』でリハビリ励み、やがて介護““卒業”、高齢者の私は学び、敬意を重ねて・・。

2018-09-15 12:58:41 | ささやかな古稀からの思い

先ほど、ネットでニュースを見ようと、バソコンを立ち上げて、
私は【YAHOO! JAPAN】を設定しているので、

トップ画面には、トピックスのニュースが表示されている。

こうした中に、『  100歳 リハビリ励み介護卒業 』と見出しがあり、
私は年金生活のまもなく74歳の身であるが、驚いてしまった・・。

確か今年の3月に厚生労働省が、介護を受けたり寝たきりになったりせず
日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」が、2016年は男性72.14歳、
女性74.79歳だったと公表されていた。

そして平均寿命と健康寿命の差は、男性8.84年、女性12.35年と公表され、
平均寿命と健康寿命の差は、大半は介護などが必要となる期間であり、
この差を縮めることが、難題の社会保障費の抑制につながる、と私は学んできた。

             

私は過ぎし日に、総理府のホームページを見ている中、
『高齢者の介護』に於いて、多々教示されてきた。

介護保険制度における要介護者又は要支援者と認定された人(以下「要介護者等」という。)は、
平成25年(2013)年度末で、569.1万人となっており、
平成15年(2003)年度末から、198.7万人増加し、
高齢者の要介護者等数は急速に増加しており、特に75歳以上で割合が高い、と学んできた
 

 
このように学んできた私は、これまで幸運にも大病で入院したことのない私は、   
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。
    

こうした中、私は来年の9月の誕生日になると、後期高齢者75歳となるが、
どうか健康で迎えることができますように、こっそりと祈願したりしているのが、
昨今の実情となっている。

             

このような深情を秘めてきた私は、《・・100歳 リハビリ励み介護卒業・・》は、
どのような御方ですか・・と思いながらクリックしてしまった。

やがて『 リハビリ励み介護“卒業” 土浦の100歳・川村さん 
                総理大臣祝い状 「ありがたい」 』と題されて記事が表示された。

この記事は、茨城新聞社の【クロスアイ】に掲載された記事で、
綿引正雄・記者が綴られた記事であり、
茨城新聞社が9月15日に配信して下さり、無断であるが転載させて頂く。


《・・リハビリ励み介護“卒業” 土浦の100歳・川村さん  総理大臣祝い状 「ありがたい」

 


今年100歳を迎えた土浦市中荒川沖町の川村てつさんが、
厚生労働省から今年の「地域で話題の高齢者」に茨城県で唯一選ばれ、
15日付で、総理大臣から祝い状を受けた。

川村さんは97歳のとき、大動脈の病気で入院し『要介護4』となったが、
1年のリハビリを経て、介護を“卒業”。

長生きの秘訣(ひけつ)は、「よく寝ること」と自然体を貫く。
祝い状に「大変うれしく、ありがたい」と笑顔を見せた。


川村さんは、大動脈の病気で、同市内の病院に約100日間、入院した。
医師からは「高齢のため手術は受けられない」と言われたが、
集中治療室に入って40日間の治療の結果、回復して退院。

しかし足腰が弱って、立つことができなくなり、要介護状態になった。
帰宅してからは、毎日リハビリに励み、杖(つえ)や手押し車で、歩けるまでになった。
現在は、介護サービスを受けず、2、3カ月に1度、病院に通う程度で元気という。


川村さんは、青森市生まれ。
戦時中は、乳飲み子を抱えながら、青森空襲も経験した。

40数年前に移住した土浦は、第二の故郷になった。
夫を30年前に亡くしたが、その後は国内外の旅行を楽しみながら、地域の仲間も増やしていった。


午後8時には床に就き、朝6時に起きる日々。
風邪を引いても、熱を出したことはない。
医者からも『川村さんみたいに、長生きしたい』と言われる」と笑う。

同居する息子や孫に囲まれ、趣味の編み物をして過ごす。
「病気をしても、生き返った気持ちで、頭はしっかりしている。
皆が良くしてくれるから、幸せ。毎日を楽しんでいるよ」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

記事を読み終わった後、《・・川村さんは97歳のとき、大動脈の病気で約100日間、入院され、
足腰が弱って、立つことができなくなり、『要介護4』となったが、
帰宅してからは、毎日リハビリに励み、杖(つえ)や手押し車で、歩けるまでになった。
現在は、介護サービスを受けず、2、3カ月に1度、病院に通う程度で元気・・》
このように私は学び、やがて敬意を重ねたりした。

退院後の『要介護4』の身ながら、辛いリハビリは強い意志と意欲がなければ、殆どの御方はできない、
と私は知人などから、私は聞いたりしてきた。

まして川村さんは御高齢の身ながら、リハビリを励み、介護サービスもいらないまでに克服した努力と意思に、
体験したことのない私でも、敬意をさせられたのであった。

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日本人の9割は「歩き方」が間違っている、高齢者の私は戸惑いながら学び、やがて多々教示されて・・。

2018-09-14 15:21:25 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中で、
【 日本人の9割は「歩き方」が間違っている
                    ~   大股歩きのウォーキングは逆効果 ~ 
】と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

こうした中、平素の買物の担当者の私は、家内から依頼された品を買い求めた後は
帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
本格的に意識して、歩き廻り、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

 

             
          
このように過ごしている私は、今回『日本人の9割は「歩き方」が間違っている』と明示され、
どのようなことですか・・と戸惑いながら、記事を精読してしまった・・。

この記事は、ノンフィクション作家のかじやますみこ(梶山寿子)さんが、
『人生100年、自分の足で歩く 寝たきりにならない方法教えます』(プレジデント社)を上梓し、
第2章「正しく歩けば寝たきりは防げる」の一部を再編集し、
『プレジデントオンライン』に2018年9月14日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
            

《・・日本人の9割は「歩き方」が間違っている ~   大股歩きのウォーキングは逆効果 ~

健康維持には、適度な運動が必要といわれている。
なかでもウォーキングは、誰でも自分のペースで始められる手軽な運動として人気が高い。

しかし、正しい歩き方に対する知識が不足していると、けがや運動器の障害を招くことになりかねない。
正しい歩き方のコツとそのために必要な筋肉について、
ノンフィクション作家のかじやますみこ氏が、理学療法士(運動器専門理学療法士)の田中尚喜氏に聞いた・・。


             

■なぜ3歳ぐらいの子どもは「小股」で歩くのか

◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

普段から、自分の歩き方について、深く考えている人はあまりいないのではないでしょうか。
そもそも「正しい歩き方」の何たるかを知らない人が、大半だと思うのですが、
わたしたちは「正しい歩き方」をしているでしょうか。



◎田中尚喜(理学療法士)

日本人はもちろん、世界中のほとんどの人は、きちんと歩けていないと思いますよ。
日本人の9割は、間違った歩行をしています。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

えっ、世界中の人がダメなんですか。



◎田中尚喜(理学療法士)

はい。ヒマラヤ山脈やペルーのマチュピチュなど山岳地帯に住んでいる人たちを除けば、
それ以外の人の歩き方は、基本的におかしい。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

具体的に、どこがおかしいのでしょう。



◎田中尚喜(理学療法士)

まず大股で歩いている。そこが根本的におかしい。
歩幅を広くすると、足が地面に接地しているときに、膝を伸ばし切ることができません。
そのため膝が、曲がってしまうのです。

小股で歩くのが正しい歩き方だし、3歳くらいの子どもは、
誰に教わるでもなく、そうやって歩いています。
おそらく本能のままに歩くと、小股になるのでしょう。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

なぜでしょう。
運動会の行進などで、大股歩きを教わるからでしょうか。



◎田中尚喜(理学療法士)

教育も無関係とは言えないかもしれませんが、それ以上に影響しているのが、
歩かなくてもすむ便利な生活環境です。

「食事」と「睡眠」と「歩行」は、人間にとって必須の活動です。
取りすぎはいけないけれど、足りないのも問題がある。

必須の活動ですから、本来、歩くことはエネルギーをそれほど消費せずに行うことができるはずです。
日常生活で歩く機会が減ったために、現代人は歩くために使う筋肉が弱くなってしまった。

歩行能力が衰えた結果、しっかりと歩くことができないし、歩くとすぐに疲れてしまうのです。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

筋力が衰えているから、歩くとすぐに疲れる。
疲れるから、さらに歩かなくなって、ますます筋力が落ちる。
悪循環ですね。



◎田中尚喜(理学療法士)

鴨長明の『方丈記』にも、「つねに歩(あり)き、つねに働くは、養生なるべし」とある。
いつでも、どこでもできる活動が「歩行」であり、それが健康、長寿につながるのです。

近年は、「歩かない」という傾向に、ますます拍車がかかっている気がします。
人間の必須の活動として「食事」、「睡眠」、「歩行」の3つをあげましたが、
「食事」、「睡眠」とくれば「運動」だと思った人もいるかもしれません。

でも、「運動」ではなく「歩行」だというところに注意してください。
「運動」は、必須の活動である「歩行」の先にあるもの。

ベースとなる「正しい歩行」もおぼつかないのに、
それを飛び越して「運動」をするのは、問題があるのです。


             

■大股で歩くことにまったく意味はない


◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

多くの人は、「運動は身体にいい」と単純に思い込んでいる。
そこが危険ですね。



◎田中尚喜(理学療法士)

実は、大股歩きが広まった背景に、ジョギングブームがあるのです。
30年ほど前に、ジョギングで突然死する人が増えて、社会問題になったのをご存じですか。

それを機に「ジョギングは危険だ」という認識が広まったけれど、
運動をまったくしないのも健康によくない。
そこで、「ウォーキングというムーブメントをつくろう」という機運が生まれたのです。


そのとき「正しい歩き方」とされたのが、広い歩幅で、腕を振って歩くこと。
着地するときは、かかとから、そして、つま先で蹴り上げて、前に進むことが推奨され、
以降、「大股で歩くことが正しい」とされてしまった。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

確かに最近のウォーキングの本にも、「できるだけ大股で、歩きましょう」なんて書いてありますね。



◎田中尚喜(理学療法士)

これは日本だけの傾向ではなく、今や世界中に広まっているのです。
しかし、大股で歩くことにまったく意味はない、というのがわたしの意見です。


その理由を説明しましょう。
筋肉の分類方法のひとつに、筋線維の収縮のし方に着目して、
瞬発力のある「速筋」と、持久力のある「遅筋」に分ける、という考え方があります。

速筋は身体の表面に多く存在し、すばやく収縮することができますが、
疲れやすく、筋肉痛の原因にもなりやすい。

一方、遅筋は身体の奥に多く、収縮はゆっくりですが、疲れにくい“省エネタイプ”の筋肉です。


「立つ」、「歩く」、「坐る」といった日常の動作に必要なのは、遅筋を中心とする筋肉です。
つまり、中高年の場合、速筋ではなく、身体の奥にある遅筋を、主に鍛えたほうがいい。
それが、死ぬまで自分の足で歩き、健康寿命を延ばすことにつながります。


ところが大股歩きでは、(ももの裏側にある)ハムストリングスなど、
速筋を中心とした筋肉が使われる。

速筋は疲れやすく、肉離れを起こしやすい。
わざわざ大股歩きをして、速筋を使うメリットはないのです。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

肉離れを起こしたら、歩くことがさらに嫌になってしまいます。
ロコモ対策としても、逆効果かもしれません。



◎田中尚喜(理学療法士)

もちろん、姿勢もよくありません。
立ったときに、重心が左右の足の中心に落ちるように、また、横から見ると、
耳のうしろ、肩、膝の皿のうしろ、そしてくるぶしが一直線上になることが重要ですが、
この姿勢を保つには小股で膝を伸ばして歩くことが基本です。

歩幅を大きくすると、姿勢が崩れ、歩き方もおかしくなってしまう。
姿勢と歩行は、表裏一体。
正しい姿勢は、正しい歩き方の前提条件なのです。

             

■胸より肋骨のほうが前に出ていることの危険性


◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

姿勢といえば、リハビリに通っていたときに、
胸を開いて体幹を意識し、お尻にギュッと力を入れて、立つことを教えてもらいました。
そうすると、まっすぐな姿勢になりますね。



◎田中尚喜(理学療法士)

おしりの筋肉である大殿筋を意識することは、正しい立ち方のポイントです。
大殿筋は立つときに姿勢を支えるだけでなく、歩くときにも非常に重要な役割を果たします。

加齢や歩行不足などで、この大殿筋が衰えると、骨盤が前傾するなど姿勢が崩れてくる。
姿勢が崩れると、横から見たとき、胸より肋骨のほうが、せり出してしまうこともある。
特に若い人には、そういう姿勢の人が増えています。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

女性でも、胸より肋骨のほうが、前に出ているのですか。
なぜ、そんな姿勢になってしまうのでしょう。



◎田中尚喜(理学療法士)

歩行不良や運動不足で筋力が落ち、身体のバランスが崩れるからです。
骨盤が過度に前傾すると、背中が反って肋骨が開き、前に飛び出してしまう。
逆に、骨盤が後傾して、猫背になる人も多いですね。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家) 

姿勢が崩れると、腰痛や膝痛、肩こりにもつながりますね。



◎田中尚喜(理学療法士)

そのとおりです。
ロコモの危険性が高まるのはもちろん、お腹がぽっこり出るなど、体形も崩れます。

代謝が悪くなって生活習慣病のリスクが高まるほか、冷え症になったり、
疲れやすくなったりと、身体にさまざまな悪影響が出るのです。

             


■大殿筋、大内転筋、ヒラメ筋を鍛える


◎かじやますみこ(ノンフィクション作家) 

先ほど、遅筋と速筋の話が出ましたが、歩くときにはどんな筋肉が使われているのでしょう。
100歳まで歩き続けるためには、どの筋肉を鍛えるべきなのか教えてください。



◎田中尚喜(理学療法士)

歩くという動作は、「支持」と「推進」で成り立っています。
片方の脚に重心を載せて身体を支え、もう一方の脚で後ろから前へと重心を送り出して前に進める。

さらに細かく言うと、後ろの脚の親指(母趾)の腹のあたりで地面を押して、
重心を前方に送り出し(推進)、反対の脚で身体を支える(支持)。

すると、後ろの脚が振り子のように前に振り出され、かかとから、着地する。
このとき膝は伸びており、脚は身体よりも前に出ない。
この動作を繰り返すことが、わたしの考える「正しい歩行」です。


歩行とは「重心を前に運ぶこと」であることを考えると、推進するという側面は非常に重要ですが、
一方の脚が推進している間、支点としてしっかりと、身体を支えるという役割も大切。
その「推進」と「支持」の両方で、大殿筋が働いているのです。


くわしく言えば、「支持」では、大殿筋と内ももの筋肉である大内転筋が、
「推進」では、大殿筋の上部線維とふくらはぎの奥にあるヒラメ筋が、
主動作筋(推進力となる筋肉)として使われます。

歩くために重要なのは、大殿筋、大内転筋、ヒラメ筋の三つの筋肉ですから、
これらの筋肉を重点的にトレーニングしたほうがいい。
1日5分程度でかまわないので、毎日続けることが肝心です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

私は過ぎし日、東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利氏(運動科学研究室長)が、
インタビューで応(こ)えられた発言に於いて、
            
〈1日8000歩+中強度の運動20分〉が、健康長寿をもたらす、明言されていた。
       
そして中強度の運動としては、シニアでも、より簡単にできるのは『速歩き』で、
速歩きを心がけると、自然に背筋が伸び腕も振れて、姿勢の改善にもつながります。
“会話はできるけど、歌を歌うのは難しい”という程度の歩き方が理想的です、と私は教示されてきた。

ここ数週間の私の容姿は、制服のように愛用している半袖のスポーツシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固めている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

            

こうした中、私は亡き母の遺伝を素直に受け継いで、恥ずかしながら男の癖におしゃべりで、
平素は何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策している中、情景にみせられてデジカメで撮ったり、
或いは休息にベンチで座ったりしていると、見知らぬ男性とか女性グループの御方たちと、
話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、殆ど毎日過ごしている。

私は足早に歩く時は、1キロを10数分ぐらいであるので、時速5キロと思われるが、
情景にみせられてデジカメで撮ったりすると、減速してしまい、
或いは見知らぬ男性とか女性グループの御方たちと談笑する時は、停止している。

このような状況が多く、〈1日8000歩+中強度の運動20分〉には、
程遠いかしら、と微苦笑したりしてきた。

今回、 大股歩きのウォーキングは逆効果、と私は戸惑いながら、多々教示された。

            

私は富も名声も無縁な身であるが、             
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。

こうした思いの私は、今回、田中尚喜(理学療法士)さんより、
《・・人間の必須の活動として「食事」、「睡眠」、「歩行」の3つをあげましたが、
「食事」、「睡眠」とくれば「運動」だと思った人もいるかもしれません。

でも、「運動」ではなく「歩行」だというところに注意してください。
「運動」は、必須の活動である「歩行」の先にあるもの。・・》瞬時に同意させられた。
            

こうした中、私は来年の9月の誕生日になると、後期高齢者75歳となるが、
どうか健康で迎えることができますように、こっそりと祈願したりしている。

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長き結婚生活をしている中、家内が私の呼び名が変貌する時もあり、私は微苦笑して・・。

2018-09-13 13:58:31 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅に住むまもなく74歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く誕生日を迎えると69歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40年近く古ぼけてしまった一軒屋に住んでいる。

こうした中で、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

              
     
こうした中で私は、外見上は連れ合いと称しているパートナーのことは、家内としている。

奥方というのも、つなない私でも遥か高貴の家から降下され嫁いできたような御方と思ったり、
女房、というのも、私はあえてさけている。

女房の語源は、平安時代に於いて、宮中で私的事務をつかさどった女官の名称、
と若き頃に、井口樹生・文学博士の書物より教示された。

そして、『房』は部屋を指し、奥ゆかしき独り専用の広い部屋のことらしく、
我が家としては、無念ながらこのような家内専用の部屋がないので、論外となっている。

従って、消却法として、妻というのは何となく気恥ずかしく、家内、と私は外見上は公言している。

そして内輪の名称は、XX、と愛しき連れ合いを名前を呼び捨てにしている方たちがいる。
私の世代より御年配の御方の男性に多く、私の兄も同様である。

しかしながら、男性を重視して女性を軽んじる男尊女卑の名残りが残る風潮の中、
私としては、何となく存在を粗末にしているように感じ受け、例外としている。

XXさん、というのも寝食を共にし、語り合う中、他人行儀らしく感じたりしている。

このような幾つになっても私は、可愛げのない独断と偏見の思いがある。

                              

私がこの広い世界の中で、家内とめぐり逢えたのは、私の妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であり、
1975年(昭和50年)の晩秋であった。

まもなく最初にデートで、私たちは待ち合わした時、私は相手を呼ぶ時、
XXさんでは他人のように思え、いきなり相手の名前をもとより知っていたので、
XXちゃん、と呼んだ。

相手の女性は、驚いたような表情を浮かべた・・。

私の発想の根源は、恥ずかしながら告白すれば、
私が二十歳過ぎた頃に愛読していた小説家・福永武彦さんの『草の花』の中で、
主人公の男性が交遊し好感している女性に対して、XXちゃん、と名前を呼んでいたことであった。

私はこれ以降、婚約、結婚、そして子供も恵まれなかったこともあるが、
家内のことを、我が家ではもとより、親族の集いなどを含めて、
XXちゃん付けとして呼んでいる。

                     

私たち夫婦は、共通の趣味のひとつとして、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から国内の各地を幾たびか旅路を重ねている・・。

そして、ときには団体観光ツアーで各地を周遊したりしてきた。

こうした中、バス、新幹線の車内、休憩所の土産売り場、観光ホテルのロビーとかで、
ご一緒に旅をしている人達から、ときおり私たち夫婦は笑われたりしてきた。

たとえば、新幹線を下車する直前、旅行のバックを持つ前に、
『あなた・・まわりのお方に注意して・・持ってね・・』
と私は家内から言われたりすることが多い。

こうした時、
『はい!』
と私は明るく大きな声で、家内に返事をする。

私は日常生活でも、家内から何か言われた時、はぁ~ぃ、と少しだらけた返事は嫌いなので、
短めで明るく大きな声で返事をしているので、
なぜか旅先でご一緒から、笑われたりしている。


私は家内を呼ぶ時には、
『XXちゃん・・さぁ・・』
と私はいつものように、家内の名前を口にしたりすると、
車内の付近から、くすくす笑われたりしてきた。

私は家内と婚約する前の交際期間から、ちゃん付けで呼んでいるので、
もとより私は平然としたりしてきた。

家内が私を呼ぶ時は、
あなた、が多いが、ときにはXXさん、と名前で呼ばれたりすることもある。

こうした時、ご一緒の特に女性グループ方達から、
『あなた達・・いいわねぇ・・』
と笑いながら家内は言われたりしている。

こうしたことは、私はいつもの日常生活で使っているので、
私は戸惑いながら、ご一緒の方達に微笑返しをしたりしてきた。

                     

このように私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

やがて2004年(平成16年)の秋、私は民間会社を定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めてまもない頃、私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

『ボケチィンかょ・・我が家の新語だよねぇ・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている時もある。

              

このように長き結婚生活をしている中、家内が私の呼び名に変貌する時もあり、
ときおり私は微苦笑する時もある。

そして私は何かと単細胞の為が、家内を呼ぶ時は、
最初のデートで相手方の名前『XXちゃん』と呼んで以来、
変わることなく早や43年近くになっている。
 

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脳と体の疲れがとれる「本当の睡眠術」、高齢者の私は多々教示されて、やがて微笑みを重ねて・・。

2018-09-12 16:07:48 | ささやかな古稀からの思い

先程、私は長らく愛読している最新・信頼の健康・医療情報サイトの【日経Gooday (グッティ)】を見ている中で、
『 「布団に入ったらバタンキュー」は健康の証ではなかった! 』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
ここ数週間、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時ぐらいが多くなっている。

こうした中で、真夜中の12時前後に布団にもぐった後、
日中の出来事を思い馳せたりして・・今日も楽しかったなぁ・・と思いながら、
やがて寝付いてしまう。

そして私は現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。

やがてぼんやりと昨日は・・と思い浮かべたり、
今日は・・と予定事項を思い浮かべたりしている。

まもなく15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすことが多くなっている。
       
このように現役サラリーマン時代は、何かと睡眠時間を削り、奮闘してきた私は、
年金生活の中、自在に安楽に睡眠を甘受している。

そして今回の標題の《・・「布団に入ったらバタンキュー」は、健康の証ではなかった!・・》って、
どういうことですか、と思いながら記事を読んでしまった・・。

              

この記事は、人生100年時代のための最新健康・美容情報体感イベント「スマートリィ・エイジングEXPO」
(主催・日経ヘルス、日経グッデイ、日経BP総研)が2018年7月21日六本木で開催された。

第1回としては、睡眠医学の専門家である国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所睡眠・
覚醒障害研究部長の三島和夫さんによる「本当の睡眠術」を、
フリーランスライターの伊藤和弘さんが纏(まと)められた記事で、
『【日経Gooday (グッティ)】に2018年9月4日に配信され、無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・
脳と体の疲れがとれる「本当の睡眠術」

              

☆短時間でもぐっすり眠れば大丈夫?

ナポレオンは、1日3時間しか眠らなかったという。
誰にとっても1日は24時間しかない。

やりたい趣味、やらなければいけない仕事がたっぷりある現代人としては、
できるだけ睡眠時間を短くしたいと思うのも当然だろう。

しかし、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所睡眠・覚醒障害研究部長の三島和夫さんは
「多くの研究が重ねられてきましたが、安全で効果的な短時間睡眠法はない、というのが結論です」と話す。

「必要な睡眠時間は、個人差が大きく、短い人と長い人では、3時間以上違う。
それは体質であり、短くする方法はありません。

睡眠の質が深ければ、時間が短くても満足感があるはず、というのもよくある誤解。
睡眠時間を削れば、普段よりもむしろ睡眠は深くなりますが、
日中のパフォーマンスは落ちるし、糖尿病など生活習慣病のリスクも高くなります」(三島さん)

よく知られているように、眠っている間は、深い睡眠(ノンレム睡眠)と浅い睡眠(レム睡眠)が
朝までに何回か繰り返される。

睡眠時間を短くすれば、浅い睡眠だけが削られて、深い睡眠の比率は増えるが、
健康のためには、浅い睡眠も欠かせない。
睡眠は深ければいい、という単純なものではないという。


睡眠不足は、単に日中の活動をつらくするだけではなく、
太りやすくなり、糖尿病や脂質異常症などの生活習慣病のリスクを上げ、
認知症やうつ病も発症しやすくなることが分かっている。

ところが、現代人は慢性的に睡眠不足になっている人が多い。
ベッドに入るとたちまち眠りに落ちる、いわゆるバタンキューは一見健康的に感じられるが、
実は睡眠不足の証拠なのだ。

「しっかり睡眠が取れている人なら、ベッドに入ってから眠るまでに、10~15分くらいかかります」
と三島さんは話す。

また、必要な睡眠時間は、年を取るほど減っていく。
8時間以上眠っているのは、せいぜい中学生以下の子どもまでで、
大人になれば、コンスタントに8時間眠るのは難しい。

三島さんによると、「70代になれば、6時間くらいになるのが普通」だという。
若い頃に比べて、睡眠時間が減るのは当然なので、あまり気にしないようにしよう。


              

☆“寝だめ”が健康に悪い理由

 

何時であろうとベッドに入れば、すぐに眠れるというのは、よほど睡眠不足の人。
普通、夜の8時や9時に、そうそう眠れるものではない。

翌日は出張なので、2時間早くベッドに入ったのに、目が冴えて全然眠れなかった、
といった経験を持つ人も多いだろう。

それは体内時計があるからだ。
そのため、私たちは毎日ほぼ一定の時間に眠くなり、一定の時間に目が覚める。

「体内時計の時刻にも、6時間くらいの個人差があり、
もともと朝早く目が覚める朝型の人もいれば、夜遅くまで起きている夜型の人もいます。

夜型の人にとって、早起きはつらいし、逆に極端に朝型の人に、夜勤はきつい。
多くの人は社会生活に合わせて、無理をしているわけです」と三島さん。
ちなみに約3割の人は、夜型に分類されるという。

図1 睡眠リズムには個人差がある
国立精神・神経医療研究センターが一般成人1170人を対象に行った調査結果。Morningness-Eveningness Questionnaire(MEQ;朝型-夜型質問票)と呼ばれる質問票を用いてスコアを算出し、「朝型」「夜型」「中間型」などに分類した。
[画像のクリックで拡大表示]

三島さんたちが作った「睡眠医療プラットフォーム」というサイトにアクセスすると、
朝型・夜型、睡眠障害の有無などを、簡単にセルフチェックできる。
気になる人はぜひ試してみてほしい。

睡眠のリズムに関して、最近話題になっているのが、 “社会的ジェットラグ”(社会的時差ぼけ)だ。
これは、平日と休日の睡眠リズムが大きく変動することによって、生じる時差ぼけのこと。

平日に睡眠不足が続くため、週末は昼まで眠ってしまう。
すると社会的ジェットラグが生じて、ますます早起きがつらくなるだけでなく、
「生活習慣病、うつ病などのリスクが高くなることも知られています」と三島さんは指摘する。

具体的に社会的ジェットラグを計算するときは、睡眠時間帯の中間となる睡眠中央値に注目する。
例えば平日に午前0時に寝て、午前6時に起きているなら、睡眠中央値は真ん中の午前3時。

休日に午前2時から午前10時まで寝ていれば、睡眠中央値は午前6時。
この場合、社会的ジェットラグは、午前3時から午前6時までの差、すなわち3時間となる。

図2 社会的ジェットラグとは
平日の睡眠時間の中央値と休日の睡眠時間の中央値の差が社会的ジェットラグ。平日は平均して午前0時に寝て午前6時に起き、休日は午前2時に寝て午前10時に起きている人の場合、社会的ジェットラグは3時間となる。
[画像のクリックで拡大表示]

「時差が3時間ということは、週末ごとにインドと日本を往復しているようなもの。
体には想像以上の負担がかかっています」と三島さん。

社会的ジェットラグを小さくするには、週末と平日で睡眠のリズムを変えないこと。
つまり、平日に睡眠不足をためないことがポイントになる。

              

☆午前中に光を目に入れると朝型化する

本来、自分の体内時計に合ったリズムで生活するのが、最も自然で健康にいいだろう。
しかし極端に社会とずれたリズムで暮らしていては、まともな社会生活が送れなくなってしまう。
私たちは体内時計をできるだけ社会に合わせざるを得ない。

体内時計は、光によって調整することができる。
光の中でも体内時計に作用するのは、太陽光やLEDに含まれるブルーライト(青色光)。

午前中に光を浴びると、体内時計が朝型に、夕方以降に光を浴びると、夜型にシフトするという。
週末に寝坊すると、社会的ジェットラグに加え、午前中の光を浴びないことも原因で、
早起きがつらくなるというわけだ。

「朝型にするためには、夜間の照明も大切。
特にLEDはブルーライトが多いので、ブルーライトを含まない暖色系の光や刺激の少ない間接光に
するといいでしょう。

逆に必要以上に早く目が覚めてしまうことに悩んでいる高齢者は、
午前中に日光を浴びないように注意することです」(三島さん)

体内時計を朝型にするには、朝起きたときに、日光を浴びること。
顔は横向きではなく、直射日光は避けながら明るい青空に視線を向けよう。
「目にしっかり光を入れなければ、体内時計に作用しません」と三島さんは注意を促す。

休日も社会的ジェットラグを作らないように、
できるだけ普段と同じ時刻に起きて、日光を浴びるようにする。
眠いようなら昼寝をすればいい。

長時間の昼寝は、夜間の睡眠に悪影響を及ぼすが、
働く世代であれば、1時間以内なら影響は少ない。
高齢の方は、30分以内にする。

図3 社会的ジェットラグの解消法
[画像のクリックで拡大表示]


☆不眠症を招く3つの誤った習慣は早寝、長寝、昼寝

睡眠不足や社会的ジェットラグに悩む人が多い現役世代に対して、
リタイアしてゆとりができると増えてくるのが、不眠症だ。

「不眠症の人は早寝、長寝、昼寝という誤った睡眠習慣を持っている人が多い。
この3つをやめないと、不眠症は絶対に良くなりません。
逆に、この3つをやめるだけで、不眠症が治ることも多いんです」(三島さん)


「早寝」とは、眠れそうもない時間に、眠ろうとすること。
つまり、夜の8時や9時からベッドに入ってしまうことだ。

特に高齢者の場合、疲れを感じやすいので、必要以上に早く寝ようとする人が多い。
しかし、「70代の人でも、一般に午後11時くらいにならないと体が眠る準備は整いません」と三島さん。

せっかく早くベッドに入っても、寝つけずに苦しい思いをすることになる。
眠気を感じないうちは、寝室に行かないようにしよう。


次の「長寝」は、早寝にも通じるが、眠れないままベッドの上で長時間過ごすこと。
「横になっているだけでも、体は休まるというのはウソ。

寝床で横になっているのに、眠れなくて悶々とする、という経験を繰り返すうちに、
寝室に行くと、緊張して目が冴えるという条件反応ができてしまい、
不眠が悪化するケースが多いのです」と三島さんは話す。

眠れなければ、いったん寝室を出て、リビングルームで読書でもして、眠くなるのを待とう。
「不眠に悩む人は、寝室以外の場所では、むしろすんなり眠れる傾向があります。
これは、『寝ないといけない』という緊張がないからです」(三島さん)。

前にも触れたように、長時間の「昼寝」は、夜の睡眠に悪影響を与える。
「長い昼寝は、その3倍に当たる夜の眠気を取るといわれます」と三島さん。

不眠症の人に限って、昼に寝ていることが多い。
睡眠不足なら短時間の昼寝はいいが、不眠症の人に昼寝は禁物だ。

[画像のクリックで拡大表示]

☆「睡眠薬を飲み続けると。認知症になる」という説は本当か?

不眠症で診察を受けると、睡眠薬を処方されることが多い。

ベンゾジアゼピン系という分類に属する睡眠薬を使っていると、
認知症になりやすくなるという説もあるが、まだ明確な結論は出ていない。

ちなみにフランスで、70歳以上の高齢者を対象に行われた調査によると、
睡眠薬を服用しない人たちは、6年後に3.2%が認知症を発症したのに対し、
ベンゾジアゼピン系の睡眠薬を服用した人たちは4.8%が発症したという。

約1.5倍リスクが高まったことになるが、
「それよりも不眠症を放置する方が、認知症のリスクはずっと高くなります。
必要であれば睡眠薬は使うべき。過剰な心配はいりません。
また最近ではベンゾジアゼピン系以外の睡眠薬も登場しています」と三島さんはアドバイスする。

「年齢とともに睡眠時間(実際に眠れる時間)は、減少します。
日中に不調を感じなければ、睡眠時間は短くても問題ありません。
年を取れば夜中に目が覚めることも普通です。

『朝までぐっすり8時間眠る』など、高いハードルを作らずに、
ほどほどに眠れれば十分、と考えるようにしてください」(三島さん)

(図表作成:増田真一)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は記事を読み終わった後、具体的に多々教示された・・。

必要な睡眠時間は、《・・大人になれば、コンスタントに8時間眠るのは難しい。・・
「70代になれば、6時間くらいになるのが普通」・・》と知り、私は微笑んだりした。

そして“寝だめ”に関しては、年金生活を丸14年の中で、ない。
しかしながら現役サラリーマン時代は、平日は睡眠不足で奮闘し、
休日はいつもの起床時間に起きて、やがて昼過ぎに数時間寝て、睡眠不足を補(おぎな)っていたよなぁ・・、
微苦笑したりした。

或いは不眠症に関しては、私は根が単細胞の為か、
現役サラリーマン時代は、仕事の悩みで、目覚めてしまったことは、幾たびもあったりしたが、
年金生活の中では、安楽に熟睡している。

そして私は。睡眠薬にお世話になったことはない。

このように思ったりしていると、睡眠に関しては年金生活の為か、問題がないよなぁ・・
微笑んだりしている。

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苦しまず、周囲も困らない上手な逝き方、改めて高齢者の私は、厳粛な思いを深めて学び、やがて私たち夫婦は・・。

2018-09-11 15:24:02 | ささやかな古稀からの思い

先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 延命治療はどうする? 
         苦しまず、周囲も困らない上手な逝き方 】と見出しを見てしまった。
 

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中で、いつの日にか、大病で延命治療について、幾たびか私たち夫婦は話し合っている。
このような深情を秘めてきた私は、改めて今回の命題を学ぼうと思い、
厳粛な思いを深めて、記事を読んだりした。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年9月14日号に掲載された記事のひとつであり、
村田くみさんが綴られた文で、
関連のネットの【AERA dot.】に9月11日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・延命治療はどうする?  苦しまず、周囲も困らない上手な逝き方

              

医療の進歩で、延び続ける寿命。
喜ばしいことだが、人生の最終段階(終末期)になると、
必ずしも自らが望まぬかたちで、
生命を保つこともある。

胃ろうなどの延命治療に、どう向き合うか。
どんな終末期の医療を望むかの思いを伝えるリビング・ウイルについて、
家族と話し合っておく方法がある。


【終末期医療における事前指示書「リビング・ウイル」の一例はこちら】

「食べ物をのみ込むと気管に入り、再び誤嚥性肺炎を起こす恐れがあります。
『胃ろう』にしますか?」

今春亡くなった東京都内の90代女性の家族は、医師からこう問われたときのことを思い出す。

10年ほど前から認知症を患い、晩年は穏やかにグループホーム暮らし。
誤嚥性肺炎を起こして入院し、いったんは容体が落ち着いた。
ただ、のみ込む嚥下機能が衰えており、医師から今後の方針を相談された。


腹部に小さな穴を開けて、胃にチューブを直接通し、水分や栄養を補給する「胃ろう」。
多くの命を救う医療技術である一方、高齢者の延命治療の代表例でもある。

事故や治る見込みのない病気、老衰などで最期が迫ったとき、
患者や家族は、こうした延命治療の選択を迫られる。


女性は胃ろうのほか、鼻からの管で、胃に栄養補給をする経鼻経管栄養法や、
点滴などで、静脈から栄養を取る中心静脈栄養法などの選択肢もあった。

              

ただ、家族はいずれでもなく、自然な死“尊厳死”を選んだ。
迷ったが、女性から一通の書類を託されていたからだ。


かかりつけ医だった、在宅緩和ケア充実診療所「ケアタウン小平クリニック」(東京都小平市)の山崎章郎院長は、
こう振り返る。


「封筒に入った書類を、娘さんが僕に渡してくれました。
表には“尊厳死希望”と書いてあり、中を開けると、
終末期に希望する医療行為や過ごし方を明記した書類が入っていました」


山崎院長は、家族や施設の介護スタッフとの間で、女性の思いに沿えるサポート態勢を話し合った。
胃ろうによる延命は、女性の望むところではない。
それを選択すると、女性の思いに沿えなかったという家族の自責の念も残り続ける。


山崎院長は「リビング・ウイルそのものに、法的強制力はありませんが、
繰りかえし話し合いの場を持つことで、
本人や家族の迷いを払拭して、本人の願いをかなえることができます」と話す。


              

元気なときに、死の間際のことは想像しにくい。
一方で、いざ死期が迫ると、判断能力が落ちている恐れがある。
万一に備え、どんな治療を望むのかや、治療方針の判断を仰ぐ代理人を書面で記しておくと、
自分も家族も、困惑せずに済む。


日本尊厳死協会(東京都)は、会員向けに、
リビング・ウイル(終末期医療における事前指示書)」と呼ばれる書面の登録管理をしている。

法的効力はないが、指示書は、医師から尊重される。
約12万人が登録しているという。


女性は70歳のころに協会に入り、娘に指示書の写しを預けていた。
さらに念を押すかのように、延命治療を拒む強い思いを、毛筆でもしたためていた。


協会の指示書は、

○不治かつ末期での延命措置の拒否
○苦痛を和らげるための十分な緩和医療の実施
○回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)での生命維持措置の取りやめ

の3項目への意思表示が柱だ。

自分の意思を伝えられない状態になったときに、代わりに意思確認してほしい人の名前や連絡先も記し、
書類にサインする。
病院に行ったときに、これを示すと、患者の意思として尊重される。

              

「お母さんの死期が迫ったとき、協会のリビング・ウイルがあったため、
ご家族はあまり迷わず済みました。
なかったら、命を延ばす医療を選択して、悩んでいたかもしれません」(山崎院長)


延命治療しても、自分らしく生きられる可能性が少ない。
そんな状況のとき、家族と病状を共有しつつ、本人の望む生き方を支えるのが、
かかりつけ医の役割だ。

「ホームに戻って自然な死を迎えたい」という女性の希望をかなえるため、
山崎院長は、医療・介護スタッフや家族と話し合い、看取りの態勢を整えた。


例えば、2時間に1回の「たんの吸引」が施設に戻る際の足かせだったが、
点滴の水分量を減らし、1日1回で済むように。

医師か看護師が毎日訪問し、介護スタッフは、おむつ交換や体を拭いてケアするなど、
チームで女性を支え続けた。
やがて眠る時間が少しずつ増え、退院の約2カ月後、枯れるように亡くなった。

              

親や配偶者が元気なうちに、死に際の話をすることは、「不謹慎」と感じるかもしれない。
しかし、生命の危機が差し迫ると、自らの意思を伝えるのは困難。
家族が医師と相談し、判断を迫られるケースが多い。



厚生労働省が3月にまとめた「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書」によると、
最期を迎える際に重要と思うことは、
「家族等の負担にならない」、「体や心の苦痛なく過ごせる」などが多かった。

一方で、回答者の9割超は、意思表示の書面を作成していなかった。


本人の意思を示す書面がない場合、家族が重い判断を迫られる。
本人の思いに沿ったつもりでも、延命治療を拒否すれば、苦しみ続ける人が少なくない。

              

「本当にこれでよかったのか、随分と苦しみました」

2年前、夫を83歳で亡くした妻(78歳)は、こう振り返る。

夫は70歳でパーキンソン病となり、認知症、前立腺がんなど、次々と病に襲われた。
要介護5の寝たきりの状態となり、在宅介護が限界に。
特別養護老人ホームに入居した。

妻は夫の代わりに、延命治療を一切求めない旨を伝え、施設での看取りを希望した。

その後、夫は誤嚥性肺炎で入院することになり、
妻は病院の医師から「気管切開」の提案を受けることになる。

悩んだ末、医師の提案を断ることを決意。
数日後、静かに最期を迎えた。

妻はこう振り返る。

「病気になるのが早かったので、夫は延命治療を受ける・・受けないという明確な意思を
示していませんでした。

ただ、病気で十分苦しんできて、
『周りに迷惑をかけたくない』とも話していたので、苦痛を伴うだけの延命は、避けたかった。

命を延ばしただけで、食べてもおいしいとわからない状態だと、
きっとうれしくないと思いました。
延命治療はやめようと決めたのです」


夫の死後、早く死なせてしまったのでは、とかなり悩んだ。
「あれで正解、後悔することはない」。
子どもたちから、そう声をかけられ、少しずつ過去と向き合えるようになったという。


「子どもたちには、自分が死ぬときに悩んでほしくない」と、妻は日本尊厳死協会に入会。
会員の会合に参加して、看取り経験を話せるまでになった。

              

協会は各地の支部で、リビング・ウイルや終末期に関する勉強会や講演会を開いている。
東京都内で7月に開かれた会合に記者が参加すると、20人以上の会員らが意見交換していた。


なぜ尊厳死を選ぶのか。
会員の話を聞くうちに、「尊厳死とは、どういうものなのか」を感じ取れる。
夫の尊厳死を選んだ妻は、看取った後の揺れた思いを吐露。

10年以上、夫をつきっきりで介護した経験を伝えるとともに、
「今日は夫のことを話せてよかった」と、はにかみながら語っていた。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の14年生の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、今日に至っている。

私の父は、肝臓を悪化して、町の医師に来宅して頂き、自宅治療をしていたが、
まもなく私が小学2年生の時に、42歳の若さで病死した。

やがて母は、モルタル造りのアバートを経営して、実家から別居していた。

こうした中で私が結婚前に母と同居していた時、
私が20代の終わりの頃、生前だった私の母と談笑した後、
母は、遠い親戚の裕福の女性の御方が、身体を壊して、高級な介護施設に入居されていたが、
母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』
と母は私に言った。

母は寝たきりになった時の自身の身を想定し、実家である私の兄の宅などで、
下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

そして容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分たちの漠然としながらも死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看病し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように状況で、介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、とこの当時の私は思ったりした。

やがて母は私が50代の初め、婦人系のガンで、都内の病院で幾たびも入退院された後、
私が53歳の時、母は78歳で亡くなった。

しかし母が懸念した下半身の世話をなることがなかったので、私なりに安堵したことは確かであった。

             

私は年金生活を始めて、3年過ぎた頃から、
いつの日にか認知症、脳梗塞など、そして寝たきりになる前に、

ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
                       
過ぎし9年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろど)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、ペットポドルの煎茶を飲みながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりした・・。

               
                                             
或いは、いつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。

そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。

このような終末期を私は思いめぐらしてきた・・。

             

しかしながら、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは自分の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、
自分で食物を口に運び、食べられなかったら、もとより延命治療は断り、
痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・
と私に言ったりしている。

このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

今回、延命治療、そして尊厳死を厳粛な思いで、改めて学び、
私たち夫婦は、それぞれの念願を思い深めされたりした。

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妻は強く、夫は弱くなった30年、高齢者の私は真摯に学びながら、やがて微苦笑して・・。

2018-09-10 14:00:35 | ささやかな古稀からの思い

先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 妻は強く、夫は弱くなった30年
          「平成夫婦」の自然な姿とは 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

こうした中、私は体力の衰えは実感しているが、好奇心ばかりは益々旺盛となり、
今回の《・・妻は強く、夫は弱くなった30年・・》に強く心が揺さぶれる中、
こっそりと読んでしまった・・。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年9月14日号に掲載された記事のひとつであり、
藤嶋  亨さんが綴られた文で、
関連のネットの【AERA dot.】に9月10日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・妻は強く、夫は弱くなった30年  「平成夫婦」の自然な姿とは

              

寿退社、亭主関白、夫唱婦随、良妻賢母……。
最近すっかり使わなくなった夫婦に関する言葉は多い。


【図表で見る】家庭の総合的な決定権を持っているのは?

博報堂生活総合研究所が6月にまとめた「家族30年変化」の調査結果は、
最近の夫婦の変遷を映し出す。

調査対象は、妻が20~59歳の世帯。
家庭の総合的な決定権を、だれが持っているかについて、「主に夫」が約39%で、「主に妻」が約30%。

昭和最後の時期の1988年以降、夫の比率は下がり続ける。
「妻は強く、夫は弱くなった30年」と同研究所。


夫の収入は1990年代後半をピークに下がっており、
内濱大輔・上席研究員は「家庭内での夫の発言権が、弱くなった一因ではないか」とみる。

また、「夫婦それぞれの自立性が高まり、男女の差がなくなり、個人と個人でつき合う意識になった」という。


調査で理想の夫婦像の移り変わりも、浮かび上がる。

亭主関白、友達夫婦、カカア天下の三つの選択肢から、夫と妻の双方に理想像を聞いてきた。

夫側で1988年に最も多かったのは、亭主関白で約50%。
次いで、友達夫婦約39%、カカア天下約9%と続いた。

しかし、亭主関白は右肩下がりで、2018年は約18%。
友達夫婦は約65%まで増えた。


結婚すると、妻は寿退社で家を守り、夫は稼いで亭主関白をめざす。
それが昭和の夫婦像の一つだった。
現実は、妻の尻に敷かれるカカア天下も多かっただろう。


対して、平等な友達感覚で、出産・育児期も、共働きを続けて、
家事をシェアするのが、平成夫婦の自然な姿。


「歌は世につれ世は歌につれ」と言うが、
「夫婦は世につれ世は夫婦につれ」とばかりに、その姿は移り変わる。

新元号の時代には、どんな夫婦像が主流になるだろうか。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              
                     
私たち夫婦が結婚したのは1976年(昭和51年)の春であるが、
この当時は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、

そして家族全員で、明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。

そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
            
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。

そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などの労働力の安価の国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
そして殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。

             

やがて私は確か8年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

このように私は漠然としながら、昭和の半ばより昨今まで感じ受け止めてきた・・。

             

この間、バブルが終息し、そして平成元年(1989年)を過ぎた頃から、          
殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下し、
やむなくそれぞれの家庭の妻は、フルタイムのような共稼ぎが本格的に増えてきた・・。

こうした共稼ぎの時代を迎えると、妻は勤務に疲れても、育児も相変わらず妻の責務となり、
たとえ良き夫でも、妻がしている掃除、洗濯、料理、育児の助力の程度であり、
妻の発言が増すのは、当然の結果と私は微苦笑させられる。

私の兄、妹の子供たち、私にとっては甥っ子に当たる4人の40代の夫婦を見ても、
平成の時代を重ねても、甥のお嫁ちゃんは何かと大変だなぁ・・と思う時がある。

             

私たち高齢夫婦でも、年金生活の中、妻は長らく専業主婦の体験者が多く、
少なくとも妻は掃除、洗濯、料理などの家事に関しても、家庭内の達人である。

私は年金生活を14年生であるが、やはり掃除、洗濯、料理などの家事の全般は家内に依頼して、
ときおり助力する程度である。

このような生活をしていると、何かしら決めることは、私は家内に従順となり、
私が現役サラリーマン時代と大きな変貌となり、独り微苦笑する時もある。

たとえば私たち夫婦の共通趣味は国内旅行であり、行きたい処の選定権は家内に優先権として、
日頃の感謝を浮かべて、そうだよねぇ・・と安易に私は妥協している。

そして何かと気弱な私は、家内の手の平に乗れば、何事も年金生活は安楽に過ごせる、
と微苦笑したりしている。

             

このように私は家内と共に、昭和51年の春から、今日まで長年に於いて、
寝食を共にして、ささいなことでも語り合い、歳月を過ごしてきたが、
少なくとも私より少し若い団塊の世代と共に私たち夫婦は、幸運な時代だった、と思い深める時がある。

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認知症より怖い「ロコモ」の寝たきり生活、初めて高齢者の私は動顛しながら学び、多々教示されて・・。

2018-09-09 14:33:41 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中で、
【 認知症より怖い「ロコモ」の寝たきり生活 
】と見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
「ロコモ」って・・どのようなことですか、
もとより寝たきり生活になってしまったら、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
と真摯に記事を読んでしまった。


やがて動顛しながら、記事を読み、多々教示させられた・・。

この記事は、ノンフィクション作家のかじやますみこさんが、
『人生100年、自分の足で歩く 寝たきりにならない方法教えます』(プレジデント社)を上梓し、
第1章「寝たきりにならないための新常識」の一部を再編集し、
『プレジデントオンライン』に2018年9月7日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

               

《・・今年、日本人の平均寿命は、過去最高を更新した。
要介護とならずに、天寿をまっとうするには、どうすればいいのか。

要介護になる原因の第1位は、筋肉、骨、関節、軟骨など運動器の疾患だ。
予備群を含めると日本人の3人に1人が、運動器の疾患(通称ロコモ)の恐れがあるという。

どんな対策をとるべきなのか。
ノンフィクション作家のかじやますみこ氏が、NTT東日本関東病院・整形外科部長の大江隆史氏に聞いた――。




■「人生100年時代」ロコモ対策は待ったなし

◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

それにしても、なぜ最近になって運動器の疾患が、それほど注目されるようになったのでしょう。
「腰痛は日本人の国民病」などといわれますし、昔から、街場の整形外科医院は、お年寄りでいっぱいです。

ロコモティブシンドローム(略称ロコモ)という新しい言葉をつくらねばならないほど、
以前とは違う課題があるのですか。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

背景にあるのは、やはりヒトの長寿化、社会の高齢化です。
人間がそれほど長く生きることがなかった時代には、
骨粗鬆症による骨折など運動器の疾患が起こる前に、誰もが寿命が尽きてしまいましたからね。

だから学問的な研究もされてこなかったし、
どれくらいの人が、加齢による運動器疾患にかかっているかなんて、調べる人もいなかったのです。


しかし、いざ調べてみると、驚くべき実態が明らかになってきました。

2017年に発表された吉村典子先生(東京大学22世紀医療センター ロコモ予防学講座特任教授)を
中心とする大規模な疫学研究では、ロコモ度テストで、
ロコモと判定できる人は、全国で4590万人にのぼると推計されたのです。


骨粗鬆症の人は、1280万人(男性300万人、女性980万人)。
70歳以上に限ると、95%以上の人が、骨粗鬆症か変形性膝関節症か変形性腰椎症のどれか1つ以上に
かかっていると考えられるそうです。

「人生100年時代」といわれますが、運動器のケアをせずに
100歳まで元気に暮らすことは、ほぼ不可能でしょう。
その意味で、ロコモは、非常に今日的な問題なのです。

              

◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

4590万人ということは、日本人の「3人に1人がロコモ」といえますね。
それもすごいですが、2017年の統計で「100歳以上の高齢者が、すでに7万人近くもいる」との報道にも驚きました。

10年前の約2倍、20年前の約8倍に増えていて、2050年には53万人を超えるとか。
ロコモ対策は、まさに待ったなし!  です。

               

■運動器の疾患は次々と連鎖する

◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

わたしは1960年生まれですが、同世代の日本人のほぼ半数が、90歳まで生きるといわれています。
そんな時代ですから、長寿に備えて、人生の半分くらいのところ、
45歳か50歳あたりで、自分の運動器の状態をチェックすることが望ましい。

骨密度など測定できるものは、測っておいたほうがいいと思います。


高齢者の健康にとって最大のリスクは、
メタボリックシンドローム、認知症、そして運動器の疾患、つまりロコモの3つと考えられます。
それくらいロコモは重要だということ。

ところが、この問題の深刻さが、あまり認識されていない。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

確かにそうですね。
「メタボ、認知症、ロコモが、三大リスク」という意識は、あまりありませんでした。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

そこでロコモティブシンドロームという概念を提唱したのですが、
実は、一般向けの啓発のほかに、もうひとつ目的があるのです。


近年、脊椎専門、関節専門と整形外科が細かく分かれ、
「背骨は、わかるが、関節は、わからない」といった医者が増えています。

スペシャリストになることは悪いことではありませんが、
高齢者の運動器の疾患は、腰が悪くなれば、膝も、肩も悪くなる、といった具合に連鎖する。

しかも、「1+1」が「2」ではなく「3」になるように複合して悪化するので、
運動器を全体として、診ることが大切なのです。

               

■注射をすれば治る普通の腱鞘炎だったのに・・・。


◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

これからの時代は、自分の専門分野を極める一方で、
運動器全般についても、標準的なことくらいは知っておく必要がある。
そういう視点を持たなければ、ちゃんとした治療はできない。

医療関係者にそう注意を促す意味でも、ロコモという概念を打ち出したのです。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

近い将来、「ロコモ科」、「ロコモ外来」みたいな診療科ができて、
統合的に診てもらえれば、患者としては安心です。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

何度も言いますが、高齢者の場合、複数の運動器疾患が重なっていることが多いですからね。


実際にこんなことがありました。
わたしの専門は手外科ですが、あるとき別の専門病院で、
膝の手術を受けた高齢のご婦人が、退院したその足で、わたしの外来に来られたのです。

変形性膝関節症が悪化して、膝に人工関節を入れたが、
今度は手が痛くなって、杖が握れない」とおっしゃる。

主治医の先生に相談したものの、
「手のことはよくわからないから、ここで診てもらってください」と、
わたしの病院を紹介されたというのです。


診察すると、注射をすれば、治る普通の腱鞘炎でした。
手術後、身体を支えるために、杖を強く握るなどして、手を酷使したからでしょう。

普通の腱鞘炎といっても、ひどくなると指が曲がらなくなります。
痛くて杖が使えないというのであれば、患者さんはとても困るわけですが、
人工関節の専門医である主治医の先生には、その診断や治療ができなかったのです。

               


◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

わたしも交通事故で手術をしたあと、手で身体を支えていたので、
その患者さんの気持ちがよくわかります。

廃用症候群(寝たきりなどで、身体能力が衰えること)で、
骨折していないほうの脚も、筋力が落ちていたから、両腕の力に頼らざるをえない。

リハビリで歩く訓練を始めると、肩も痛くなり、以前は何ともなかった膝や足首も痛み出して・・・。
「高齢になって身体が動かなくなるというのは、こんな感じかな」と思いましたね。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

あなたの場合、片方の脚が骨折しただけで、まだよかった。

もし高齢で反対側の脚が、変形性膝関節症だったら、リハビリも進みませんよ。
「せっかく股関節の手術をしたのに、膝が痛くて歩けない」ということになってしまいます。
高度な専門医であっても、やはり運動器全般を診られないといけないのです。


               

■手術をした患者が、また救急患者に

◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

わたしの骨折部位と同じ股関節の周辺、大腿骨近位部を骨折する高齢者が、最近増えているそうですね。
あんなに太い骨が、ちょっと転ぶだけで、折れてしまうなんて・・・。
わたしのように自動車にぶつかられたのならわかりますが、なんだか信じられません。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

骨粗鬆症で骨がもろくなっているので、簡単に折れてしまうんですよ。
大腿骨近位部骨折で手術を受ける人は、今や年間15万人もいるのです。

手術後は、筋力が落ちるので、歩行が不安定になって、また転んでしまうこともある。
今度は反対の脚を骨折して再手術、ということもあるのです。

               

◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

たいへんな手術をして治したのに、また骨折してしまうなんて、ほんとうにお気の毒です。
つらさを知っているだけに、考えただけで気が遠くなります。

転ぶのが怖くて外出を控えると、運動不足になって筋力が落ちるので、まさに悪循環ですね。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

以前、わたしが勤めていた救急病院には、同じ患者さんが、実際に何度も救急車で運ばれてきました。
「あれっ、この人、前にも手術したじゃないか? 」という例が目立つようになったのは、
21世紀に入った頃でしょうか。


それまで整形外科の救急患者には、自動車事故や工場で働いていてケガをする若い男性が多く、
手術をして治せばそれっきり。
同じ患者さんを繰り返し診ることは、なかったのです。

それが病棟に高齢者が増え、しかも治療したはずの人が、また救急車で運ばれてくるようになり・・・。
整形外科が扱う患者さんの変化から、世の中が変わったことに気づいたのです。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

なるほど、以前は、手術が必要になるような患者さんは、若い男性ばかりだったのですね。
なのに、いつのまにか高齢者が増えてきた。



◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

そこで、あるとき「現場では、こういうことになっています」と
中村耕三先生(当時日本整形外科学会理事長)にお話ししたんですよ。

高齢の患者がものすごく増えて、しかも運動器の疾患という特定の病気を繰り返している。
この問題に名前をつけて、広く社会に注意を促したほうがよいのではないでしょうか、と。


それが2007年の夏。
ちょうど日本が超高齢社会に突入した時期で、中村先生も思うところが、おありになったのでしょう。

始まりは、一救急医のつぶやきみたいなものでしたが、中村先生が全体のデザインを考えられ、
数カ月後に、ロコモティブシンドロームという概念が発表されたのです。



◎かじやますみこ(ノンフィクション作家)

きっかけをつくられたのは、大江先生だったのですか。


◎大江隆史(NTT東日本関東病院・整形外科部長)

整形外科が新しい時代に入った。それをわたしが肌で感じたということでしょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は、《・・要介護になる原因の第1位は、筋肉、骨、関節、軟骨など運動器の疾患で、
予備群を含めると日本人の3人に1人が、運動器の疾患(通称ロコモ)の恐れがあるという。・・》
恥ずかしながら初めて学んだ。

そして《・・骨粗鬆症の人は、1280万人(男性300万人、女性980万人)。
70歳以上に限ると、95%以上の人が、骨粗鬆症か変形性膝関節症か変形性腰椎症のどれか1つ以上に
かかっていると考えられるそうです。
・・》
と学びながら、動顛させられた。

私は何よりも動顛させられたのは、
《・・骨粗鬆症で骨がもろくなっているので、簡単に折れてしまうんですよ。
大腿骨近位部骨折で手術を受ける人は、今や年間15万人もいるのです。

手術後は、筋力が落ちるので、歩行が不安定になって、また転んでしまうこともある。
今度は反対の脚を骨折して再手術、ということもあるのです。

転ぶのが怖くて外出を控えると、運動不足になって筋力が落ちるので、まさに悪循環・・》だった。

              

私の家内の母は、私より14歳ご年配であり、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、整形外科に通院して、
こうした中で、担当医師から杖(つえ)を使うように勧められて、
これ以来、家内の母は杖(つえ)を頼りに、買い物などをして過ごしてきた。
  
こうした後、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
一昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院したりして、
骨粗しょう症と筋力低下、と診断されたりした。

この後、退院後の検査をした後、リハビリで近くの病院に行ったりして『要介護2』となってきた。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

まもなく家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして昨年の5月より、家内の母はデイ・サービスに通った成果で、市の福祉課が再審査を得て、
『要介護2』から『要支援2』と回復して認定されたりした。

この後も、家内の母は娘ふたりに、食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなど頼りに、
過ごしている。
           
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごし、早や14年近くとなっている・・。

このように私たち夫婦は、年金生活の中、何かと家内の母の状態に左右されることもあり、
私と家内は、ときおり微苦笑させられる時もあったりしてきた。

              

しかしながら何よりも、家内の母にとっては、70代の終わる頃までは、体力の衰えを実感しながらも、
仲良しの女友達と小旅行を重ねたり、御自身で日常の買い物をしてきたので、
何よりも落胆させられながら、もどかしく制約された中で過ごされている。

人は永らえば、殆どの御方は筋肉、骨、関節、軟骨などが衰えて、日常生活にも制約がされるが、
私もまもなく74歳になる身であり、いつの日にか、と心痛な思いで溜息を重ねたりしている。

やがて何かと単細胞の私は、体力の衰えを実感しているが、
何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、ときおり人生は気合だ、と呟(つぶ)やいたりしている。

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高齢者の家庭内事故の注意事項、改めて高齢者の私は学び、叱咤激励させられて・・。

2018-09-08 10:32:17 | ささやかな古稀からの思い

昨夕、私は門扉の近くにある郵便受入れ箱を除くと、
市報『ちょうふ』が配達されていた。

私は東京の調布市に住み、結婚前後5年を除き、長年この地に住み、
まもなく74歳になり、年金生活をしている身である。

この市報『ちょうふ』は、毎月5日・20日に発行され、
編集は行政経営部広報課がされている。

そして標題の上に『
みんなが笑顔でつながる ・ ぬくもりと輝きのまち調布 』と掲げられて、
殆どの多くの市民が安住して過ごされていると私は思い、微笑んだりしている。

今回、配達された
平成30年(2018年)9月5日号を見たりした中で、
何よりも微苦笑させられたのは、最終の16ページの下段に記載された
『生活ひとくちメモ』であり、今回は『高齢者の家庭内事故に注意』であった。

私は読み終わった後、体力も衰え、ときおり注意散漫になることもあり、
やはり要・介護でない限り、自分の身は自分で守る、ことが大切だよねぇ・・
と改めて自身を叱咤激励をした。

高齢者の心身溌溂と過ごされている御方を除き、
私と同様に体力も衰え、ときおり注意散漫になる御方と共有致したく、
今回の『高齢者の家庭内事故に注意』を転記させて頂く。

《・・高齢者の家庭内事故に注意
              

高齢者は、家庭内で思わぬ事故にあう可能性があります。
本人だけでなく、家族など周りの人も事故を防ぐよう注意しましょう。

◎転倒・転落事故

特徴・・
高い所からの転落だけでなく、わずかな段差での転倒による
    骨折や外傷事故も多く発生しています

防ぐために・・(1)床や階段などに、雑誌やタオル、電化製品のコードなど、
         つまずきやすい物を置かないようにしましょう

         (2)階段、玄関、廊下などには、明るい照明や足元灯をつけましょう


◎浴室での事故

特徴・・浴室での溺水事故は、短時間で重症化します。
    やけどや転倒事故も発生しています

防ぐために・・長湯、高温浴、食事直後や飲酒後の入浴、深夜の入浴は避けましょう



◎窒息・誤飲事故

特徴・・食べ物の誤飲や窒息は、重症化しやすい事故です

防ぐために・・(1)お茶などの水分で、喉を湿らせてから食事をしましょう。

         (2)食事は小さく切って、よく噛んで食べましょう


◎室内温度による事故

特徴・・家庭内でも、熱中症やヒートショック
    (急激な温度変化による血圧変動に起因する健康被害)が発生しています

防ぐために・・暑い季節は冷房を使用し、寒い季節は脱衣所や浴室、トイレに暖房機器を設置するなど、
       1年を通して室内温度を管理しましょう・・》

注)記事の原文は表であり、少し加工して改行なども多くした。
              

このように記載されていて、私は65歳ぐらいまでは心身溌溂と過ごしてきたが、
この後は、ときおり注意散漫になる時もあり、あとで反省をしたりしてきた。

そして今回、このような4課題を守らなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
ひとつひとつ注意して、過ごすのが何よりだよねぇ・・と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

尚、余談であるが、家内が家内宅に介護で行っている関係で、
ここ一週間は私は『おひとりさま』となり、ブログの投稿時間がまばらとなり、ご容赦の程を。

コメント (4)
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『シルバー川柳』入選20作を発表、人生の後半期の哀歓を私は学び、やがて微苦笑を浮かべて・・。

2018-09-07 11:36:01 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットの【YAHOO! JAPAN】の中にある『ライフ』のニュースを見ている中、
【 『シルバー川柳』入選20作を発表
        「『インスタバエ』 新種の蝿かと 孫に問い」など自虐とユーモアに満ちた内容に
】と見出しがあった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
ときおり『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
大学を中退後、映画・文学青年の真似事をして、無念ながら敗退し、
その後はやむなく民間会社に中途入社し、35年ばかり勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職をした。

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤め、
幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年半は遠い地に出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。


そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときおり年金生活の今でも本を開いたりしている。

       
        本棚から特に愛読している2冊を取りだして、たわむれに記念撮影


これまで数多くの優秀作品が公表されてきたが、

たとえば『テーマ別に見るサラ川 優秀作品』の中で、『夫婦・家庭』編を読んだりすると、
恐れ入りました、と絶賛させられる作品にめぐり逢ったりする。

◎ 出張を 見送る妻の 目が笑う
                 詠み人・松本松峰


◎ 株価より 妻の機嫌が 乱高下
                 詠み人・頑張るお父さん


◎ 妻子から 絵文字が並ぶ ボーナス日
                  詠み人・孫悟空


◎ 家族旅行 予算削減 パパ留守番
                  詠み人・弐個


◎ 家族との 会話のつもりが 独り言
                  詠み人・ちょいバテパパ


そして私は、齢ばかり重ねでも、独断と偏見の多いが、
『サラリーマン川柳』の史上に於いて、今でも心に残り、不滅の作品であると感じたのは、二作品がある。

◎ 破れてる ジーパン繕い 怒られた
                  詠み人・優しいばあちゃん

◎ うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
                   詠み人・めだかの学校のせんせい


私は小説、随筆を60年近く濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を的確に表現する川柳の世界に於いて、
このおふたりの圧倒的な感性と文才に、ふるえる程に感銘して、思わず脱帽したりしている。

              

このように私は『サラリーマン川柳』を愛読しているが、
ここ数年前より『シルバー川柳』があることを知人から聞いたりしているが、
本格的に精読したことはなかったので、遅ればせながら学ぼうと思い、
こっそりと今回の『シルバー川柳』
の記事を読んだりした。

今回のこの記事の配信は【ORICON NEWS】が2018年9月7日にされていて、
無断ながら転載させて頂く。

《・・公益社団法人・全国有料老人ホーム協会は7日、
毎年「敬老の日」に向け公募している『シルバー川柳』の入選作20作を発表。

「『インスタバエ』 新種の蝿かと 孫に問い」(作者:石井丈夫 滋賀県・83歳男性/無職)など、
最近の流行語を織り込んだものから、年齢や体の衰えを詠んだ「シルバー世代あるある」な内容まで、
自虐とユーモアに満ちた作品が集まった。


【画像】自虐か笑いか!? 『シルバー川柳』入選20作を全部見せ!

今年で18回目を迎えた『シルバー川柳』。
毎年、発表とともに高齢者はもちろん、若い世代もSNSで取り上げるなど、大きな話題となっている。
今回、同協会に寄せられた川柳の数は7,872句。

平均年齢は69.2歳で、最年長は105歳(女性)、最年少は5歳(女児)と、
高齢者を中心にしながらも、幅広い世代からの応募があった。

              

今回、川柳のテーマとして目立ったのは、デジタルにまつわる言葉や流行語を詠み込んだ作品。

前述の“インスタバエ”以外にも、
「Siriだけは 何度聞いても 怒らない」(小栗洋介 東京都・32歳男性/社会福祉士)が入選。

ほかに「ライン」、「既読」、「自撮り」などのSNS用語や、
「忖度」、「人工知能(AI)」といった時事ネタを織り込んだ内容もあり、
社会の動向を敏感に捉えるシルバー世代の姿が浮かび上がる形に。


また、一番多く取り上げられた題材は、
男性が「年齢」、女性が「長寿・高齢化社会」だった。

老化に関する悩みや不安を自虐的に訴えながらも、
ユーモアたっぷりに、詠み込むところが『シルバー川柳』ならでは。

「デイサービス 『お迎えです』は やめてくれ」(相野正 大阪府・68歳男性/無職)、
「うまかった 何を食べたか 忘れたが」(アリス 三重県・52歳女性/福祉施設職員)などが寄せられた。


そして、家族との絆や微妙な関係を詠む句が多いことも『シルバー川柳』の特徴。
身内とのほのぼのとした日常のほか、
「仲いいね いいえ夫は 杖代わり」(佐々木美知子 埼玉県・67歳女性/無職)といった、
夫婦間の絶妙な関係性も伺える内容が出揃った。


公募期間は、2018年3月1日から6月24日の約4ヶ月。
入選作の選考は、同協会会員法人ホーム入居者のうち139名による投票、
および協会シルバー川柳選考会で行なわれた。

今年の入選作20作を含む傑作川柳をまとめた単行本『シルバー川柳8』(ポプラ社刊)が、7日に発売。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は無念ながら短歌や俳句を詠(よ)む素養はなく、
人さまが詠(よ)まれたのを読ませて頂くのが好きなひとりである。
          
もとより短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

そして俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

或いは川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。

つたない半生を歩んできた私は、せめて川柳ぐらいは・・と時折一句でも吐くことあるが、
やはり素養に乏しく感じ、やむなく『ブログ』の世界で散文のような拙(つたな)い綴りを
殆ど毎日投稿をしている。

              

今回、『シルバー川柳』の記事を読んだりした後、喚起されて、私だって・・と思いながら、

二句ばかり呟(つぶや)いたりした。

道民は 停電により 情報なし

人生は いつのまにか 100年となり

このように吐いたりしたが、最初の句は時事の句だし、二句は字余りだし、
やはり私には川柳にも素養がないよねぇ・・と項垂(うなだ)れたりした。
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北海道の地震に伴い、道内の全域 約295万戸で停電、都心の郊外に住む私は、動顛させられて・・・

2018-09-06 13:39:36 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
今朝、いつものようにNHKのテレビニュースを視聴すると、
午前3時過ぎに北海道胆振地方中東部を中心に発生した震度6強の地震が報じられていた。

そして各地で大被害の状況が報じられて、私は動顛させられた。
もとより台風なども怖いが、天気情報などで予測できるので、事前に何らの対策を取れるが、
大地震は予測もなく、突然に不意に大災害になるから、私は何よりも怖いのである。

こうして私はニュースを見たりした中で、
道内の全域 約295万戸で停電、動顛しながら驚嘆した・・。

何かしら、ニュースを視聴していると、
《・・北海道電力によりますと、この地震の影響で道内の全域、
およそ295万戸が停電しているということです。

地震の揺れにより、道内にあるすべての火力発電所が緊急停止し、
発電量と使用量のバランスが崩れたため、電気の周波数が乱れてしまったことが原因だということです。


このため、北海道電力は水力発電所を稼働して、停止した火力発電所に電力を送り、
火力発電所の運転を再開したいとしていますが、復旧の時期は見通せていないということです。・・》
このように報じられいた。

私は電力関係にも無学であるが、
このような電力の総合管理がなされているのか、不可解であり、納得できなかった。

もとより停電すれば、家庭、公共交通機関、産業まで多大に影響するからである。

              

この後、大地震の全般に関して、菅官房長官、まもなく安倍総理の緊急対策の記者会見を視聴し、
やがて北海道電力の首脳陣の御方が、停電について詳細説明が行われた。

しかしながら私は、素朴ながら停電に関して、
こんなに簡単に道内の全域 約295万戸で停電になってしまうことに、
驚嘆した。

たとえば民間の情報会社などは、直ちにバックアップ電気装置を稼働させる体制、
と私は聞いたりしてきた。

北海道は広大な大きな島であるので、道南、道央、道北、道東の地域で、
火力電力などを設置して、分散管理をすれば対応できたのに・・と無学な私は思い深めたりした。

やがて昼のニュースを視聴していると、
《・・世耕経済産業大臣は、今回の地震による北海道の停電について、
道内最大の火力発電所である苫東厚真火力発電所の復旧に、
少なくとも1週間程度かかるとの見通しを明らかにしました。

ほかの発電所の再稼働などで、7日までに一定の供給体制を取るものの、
十分な電力の復旧には1週間以上かかるとしています。・・》

こうしたニュースを視聴後、無力な私は溜息ばかり重ねたりした。

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いつの日にか私が『おひとりさま』になってしまった時、その生活状況を改めて思い馳せれば・・。

2018-09-05 12:45:36 | ささやかな古稀からの思い

昨日、私はこのサイトに於いて、
65歳超の単身世帯は約3割 老後をひとりで生き抜く6つの秘訣、ときおり『おひとりさま』になる私は、多々教示されて・・。
と題して投稿した。

ときおり私が『おひとりさま』になってしまう理由、
そして週刊朝日の記事を転載させて頂いたが、余りにも長く、
やむえず私がいつの日にか『おひとりさま』になってしまった時の思い、生活状況を記載ができず、
まるで尻切れトンボのような投稿文になって、反省したりした。

私は幾たびも、いつの日にか・・投稿してきたが、改めて思案を重ねたりした。


私はときおり『おひとりさま』の生活を14年近く体験をしている中で、漠然としながらも、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
本当に『おひとりさま』の生活になってしまった時、幾たびも思案したりしている・・。
            

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、私たち夫婦が長年話し合ってきた葬儀に関して、
ささやかな家族葬、やがて四十九日を終えて、約束どうりに樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

              

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、共にお互いの長年の思いであり、もとより愛惜感もあり、
苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。


やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を断腸の思いで処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。                        
                                                          

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。

                       

過ぎし3週間前、私の知人で3年前に奥様をなくされた男性と、たまたま二人だけで、
居酒屋で懇親を深めていた中、
『公園の中にあるようなマンションも良いが、
僕のように駅の近くにあるマンションに住んだ方が、何かと便利だょ・・』と私は教えられたりした。

何かしら近くにあるスーパーで買い物ができるし、喫茶店で同世代と談笑できる機会も多く、
洗たくに関しても近くにコインランドリーもあるし、
身体が衰えてくる中、近くにある内科、整形外科の病院があると助かる。

このようなことを私は教えられ、確かに駅の近くにあるマンションに住むのも、
良いよなぁ・・と私は思い深めたりしてきた。

              

或いは私が身も心も溌剌であった時は、古惚けた我が家で独り住むことも思案したりする。

過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私たち達は聴こえてきた・・。

やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』と私は家内に言ったりした。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
           
私は音楽業界のあるレコード会社に勤め、定年退職の前の5年間半は、リストラ烈風の中、
各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流センターに出向となり、
センター長をはじめ私も含めて5人の正社員の基で、パート女性30代~40代が多い130名前後、
そして契約社員、アルバイトの男性20代が多い10名前後の職場に勤めたりした。

こうした中で休息時間、或いは懇親会などで談笑を重ねて、多々学び、貴重な体験をしてきたので、
数多い人の中でも、公明正大に談笑ができるタイプてもある。

もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。

                           

私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、自宅付近の遊歩道、公園を散策した帰路、
この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物して帰宅する。

その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
ときおり寂しさは感じても、孤独は無縁だよねぇ・・と心身のバランスが保てる、
と微笑んだりしている。

                                       

過ぎし昨年の7月下旬に於いて、日本経済新聞の編集委員・田村正之さん、
そしてファイナンシャルプランナーの深田晶恵さんの寄稿文を読み、
配偶者の死亡による公的年金の減少を具体的に
教示させられた・・。

《・・
配偶者の死亡による公的年金の減少

夫の現役時代の平均年収を600万円、妻は専業主婦などとして計算すると、
夫婦ともに生きていれば、受け取る年金額は計288万円。
月額にして約24万円で、高齢夫婦の無職世帯の平均支出額(27万円程度)を下回る。 

夫が先に亡くなると、年金はどれくらい減るのか。
よくある勘違いが、夫の年金総額(厚生年金と基礎年金)の4分の3に相当する金額が
遺族年金として支給されるというもの。

だが実際には、計算に夫の基礎年金部分は含まれない。
この例では厚生年金(132万円)の4分の3に当たる約99万円が遺族年金となる。

これに加えて妻は、自分の基礎年金(78万円)を受け取るが、それでも合計で177万円。

夫婦で受け取れる金額に比べると、約110万円も減ってしまう。

「支出は一人になっても、大幅には減らない。
毎月の赤字幅が、大きくなるのは避けられない」     

専業主婦の妻が先に亡くなった場合は原則、18歳までの子どもがいないと遺族年金は出ないので、
夫は自分の年金だけになる。

減額幅は78万円と比較的小さいが、夫は家事が苦手で外食が増えたり、
家事代行サービスを頼んだりして生活費がかさみがち。
やはり赤字幅は増えやすい。・・》

               

このようなことも、遅ればせながら学んだりしてきた・・。

そして私は、肝心の年金は、夫婦で受け取る年金額は計288万円、
妻が亡くなった時は、夫は
210万円、と具体的に知り、
こんなに減ってしまう、と私は溜息をしたりした。

そして過ぎし年に、生命保険ガイド 小川 千尋さんの寄稿文を読ませて頂き、
具体的に総務省の家計調査年報の中から
『60歳以上の単身世帯の支出』を学んだりしてきた。

60歳以降の単身世帯の支出(1カ月あたり・男女平均、平均年齢は75.1歳)

この表を見て、もとより夫婦で生活している現在より、『おひとりさま』になった場合、
食費、電気代、ガス代などの生活費や固定資産税なども、半減にはならず、
の生活レベルからは低下するよなぁ・・と思ったりした。

               


そして私は、『おひとりさま』になってしまった時、
何とか費用を捻出して国内旅行を三か月毎に、数泊を思案しているが、
いつの日にか介護・要になった時、やむなく介護施設に入居のことも思案したりしてきた。

《・・最も定員・利用者数が多いのは、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)。

常に介護が必要で、自宅での生活が難しい要介護者が入居する。
2015年4月から入居は、原則要介護3以上に限定された。


「厚生労働省(老健局)の取組について」資料(2015年3月19日)などを一部改変して長谷工総合研究所が作成

 
介護老人保健施設(老健)は、病状は安定期にあるが、退院してすぐに自宅に戻るのが不安な人が、
在宅復帰を目指して介護、機能訓練などを受ける施設。

そして介護療養病床(介護療養型医療施設)は、急性期の治療が終わった後、
比較的長期の療養を必要とする要介護者が入る施設だ。
国が廃止を打ち出したため、病床数は年々減っている。・・》

そして私は
国の支援を受けている費用が程ほどの特別養護老人ホームに、入居をしたいが、
都心の郊外に住む私の地域では、入居が困難と学んだりしてきた。
このような中で、やはり入居が叶(かな)わなくなってしまった時、やはり費用で困苦する。

やむなく高価と称されている有料老人ホームに、断腸の思いで愛惜ある自宅の敷地を売却して、
介護施設に入居しなくてはならなく、私の晩年の背水の陣となる。

しかしながら介護の悩ましい難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば私の自己負担額が増し、
貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。

そして私は、裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
改めて有料老人ホームの入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、溜息をしたりした。

              

このように私は、いつの日に私が『おひとりさま』になった時、
世の中で老後の三大不安は『お金』、『健康』、『孤独』と言われているが、
『孤独』に関しては、何かと単細胞の性格の私は克服できるが・・やはりねぇ、と微苦笑をしたりしている。

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65歳超の単身世帯は約3割 老後をひとりで生き抜く6つの秘訣、ときおり『おひとりさま』になる私は、多々教示されて・・。

2018-09-04 14:12:55 | ささやかな古稀からの思い

先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 65歳超の単身世帯は約3割 老後をひとりで生き抜く6つの秘訣 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

こうした中、私たち夫婦の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。
過ぎし2004年(平成16年)の秋に私は定年退職となる直前、家内の父は腎臓を悪化して、亡くなり、
家内の母は遠方地に独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが無念ながらも片割れとなり『おひとりさま』となるが、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしてきた。

              

しかしながら、私としては当初の『おひとりさま』の生活には、戸惑ったりしたことは事実であったりした。
主婦の三冠王と思われる料理、洗濯、掃除などは、家内が長らく専業主婦だった為か、
私は家内にお任(まか)せで、私としてはもとより家計の責務でサラリーマンで奮闘してきた。

そして私は単身赴任した経験もなく、我が家と会社を往復してきた生活が長く、
『おひとりさま』の生活かょ、迷子のように戸惑いながら感じたりした。

やがてここ3年は、家内の母は介護・要
の身となって、
長女の家内と次女の家内の妹は、逐次連絡しあって交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした中、家内は6泊7日前後で、家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で加速された独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている。

この間、10数年前の頃から、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている中、
いつの日にか、家内が私を残して、あの世に旅立ち、
まさかの遭遇で、私が『おひとりさま』になること考えられると思い馳せたりしてきた。

こうした思いもあり、愛妻を亡くされた倉嶋 厚・著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫・著作の『妻の肖像』、 垣添忠生・著作の『妻を看取る日』、 川本三郎・著作の『いまも、君を想う』、
新藤兼人・著作の『愛妻記』、それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、
その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。

そして私は、川本三郎さんは恥ずかしながら同年であるが、これ以外はすベて年長の御方たちである。
私は年長の御方たちから、少なくとも人生の機敏を深く学び、今日に至っている。

こうした深情を秘めてきた私は、今回の『65歳超の単身世帯は約3割 老後をひとりで生き抜く6つの秘訣』を
真摯に学ぼうと思い、精読した。

この記事の原文は、『週刊朝日』の山内リカさんの文であり、
『週刊朝日』の2018年9月7日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット【AERA dot.】に於いて9月4日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
           
《・・65歳超の単身世帯は約3割 老後をひとりで生き抜く6つの秘訣
              

 人生100年時代、望む、望まないにかかわらず最後はおひとりさまになる可能性は極めて高い。
一人でいる期間をどう自分らしく過ごすかを考えたときに必要となるのが、
人に頼らず生きていく“ひとり力”だ。

そのコツを紹介する。


【定年後の人生が一目でわかる、老後の未来年表はこちら】

東京都在住のシンイチさん(68歳)は、9年前に5歳下の妻を病気で亡くした。
子どもはおらず、妻の両親と暮らした3階建ての一軒家を売却し、現在はマンションで一人暮らしだ。


かつて喫茶店を開いていたこともあって、料理はお手のもの。
最近は健康を気にかけ、野菜をできるだけとるようにしている。
洗濯も掃除もまったく問題なし。共働きだった妻と家事を分担していたからだ。


一日の終わりには近所の飲み屋へ。
常連客には顔なじみも少なくないが、おしゃべりをするわけでもなく、一人酒を楽しむ。


「もともと、人と深く付き合うのが下手なんでしょうね。こういう距離感が自分には合っています」
そう笑うシンイチさん。まさに“ひとり力”が身についている例だろう。

高齢者が長生きするようになった今、
老後に一人で生きていくための力をつけることは、もはや必須。

定年後の健康・人間関係の変化として特筆すべきは、
60代で配偶者と死別・離別で一人暮らしになる人が増えることだ。
高齢者こそ、一人暮らしへの備えが必要ということだろう。

              

それは内閣府の高齢社会白書(平成30年版)を見ても明らかだ。
65歳以上の高齢者のいる世帯は2416万5千世帯で、このうち単独世帯は655万9千世帯。
全体の27.1%にものぼる。


一人暮らしの高齢者数は年々増加し、1980年には男性が約19万人、女性が約69万人、
65歳以上の人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%だったが、
2015年にはそれぞれ約192万人、約400万人になった。
割合にすると13.3%、21.1%にものぼる。増加の傾向は今後も続くと予測されている。


「高齢者の一人暮らし」というと、孤独死、孤立死などネガティブな印象がつきまとう。
だが、実際はそうとも限らないようだ。


『老後はひとり暮らしが幸せ』などの著書がある医師の辻川覚志さんは、
大阪府門真市の住人と、辻川さんのクリニックを受診した60歳以上の男女570人にアンケートを実施。
生活満足度や健康意識、悩みの程度、家族構成などについて聞いた。


その結果、家族との同居者と比べて、独居者のほうが、満足度が高いことがわかった。

「なぜ一人暮らしの高齢者のほうが、満足度は高いのか。
結果を分析してみると、どうやら自由に生きられる力、つまりひとり力がついているという要素が
大きく影響していると考えられるのです」(辻川さん)


家族と暮らす高齢者は、子どもや孫と接して楽しい面がある一方、
周囲のペースに合わせられない、気を使うといった人間関係のストレスを抱えやすい。
それが結果的に満足度を下げる要因になっている。

対して、一人暮らしになると、何でも自分で対処しなければならないが、
家族の影響を受けず、自分のペースで過ごせる。
これが一人暮らしの満足度を上げていると、辻川さんは推測している。


「健康で元気な高齢者だけでなく、通院や介護などが必要になった状態でも、
一人暮らしのほうが同居より満足度は高く、
年代別でも、90歳以上を除いたどの年代も一人暮らしのほうが満足度が高くなっていました。

一方、お金のあるなしと満足度との間には、相関関係が見られませんでした」(同)


いくつになっても、ひとり力を身につけていれば、満足する生き方ができるのだ。
そのコツや具体策をまとめた。


              

■暇な時間は2時間以内、不安に駆られないように

パートナーと死別するなど高齢者の一人暮らしが始まると、孤独やさみしさに襲われることも多い。
それを避けるには、意識して暇な時間を作らないことがポイントとなる。
というのも、そうしたネガティブな感情は、“暇な時間”に湧いてくるからだ。


「一人暮らしの人の中で不安やさみしさの程度が小さい人は、
総じて『暇を感じる時間』が少ない傾向がありました」(同)


定年を迎えたら、のんびり過ごしたいと思っている人は多いだろうが、
65歳以上でも働くのが一つの選択肢。
実際、65歳以上70歳未満の男性の半数、女性3分の1は何らかの仕事についている。


一日の過ごし方として、何かをしていて「気がついたらこんな時間になっていた」というのが理想。
夢中になれることなら、仕事やアルバイト以外のボランティア、趣味やサークル活動でもよく、
家事やテレビを見ることでもいい。

ただし、見たい番組を見るのはいいが、テレビをつけっぱなしの“だらだら”は、暇を感じやすいのでNGだ。

朝起きてから夜寝るまで、暇を感じる時間は、2時間までにとどめたい。

というのも、このアンケート結果で、
「独居はさみしくない」と答えた人が感じる暇な時間の平均は、「2時間」だったからだ。
ちなみに、「独居はさみしい」と答えた人は、5時間だった。


「体を動かせるうちは、体操教室やスポーツジムに通うのもいいと思います。
介護が必要になったときを想定し、自宅を住みやすく変える計画を立て、改修するのもいいでしょう」(同)


体の自由が利かなくなってきても、ペースダウンしながら、夢中になれることを続けていこう。

              

■さみしさは好奇心で乗り越えられる


高齢者の一人暮らしには、さみしさがつきものと考えがちだが、
『おひとりさまの介護はじめ55話』などの著者で、ノンフィクションライターの中澤まゆみさんは、
「その正体は“欠落感”。ずっと一人で暮らしている人は、耐性がついています(笑)」。

さみしさを感じたときの逃げ場、乗り越える力となるのが、好奇心だ。


「興味を持てるものを見つけたら、行動することが大事です。

ヨガや太極拳なら体を動かせますし、病気や介護についての講座では、知識が深められます。
最近は無料で開催される講座も多く、自治体の広報には情報が掲載されています。
シニア向けの講座が大学やカルチャーセンターにもたくさんあります」(中澤さん)


気の合う仲間と出会う可能性も高くなり、同世代ではなく、若い世代とも交流を深められる。
さまざまな考え方に触れることで、視野が広がっていく。


「楽しそうな仕事を始めてもいいと思います。
認知症カフェや子ども食堂などは、どこも人手が足りません。
作業を通じてコミュニケーションすることが多いので、
人と話すのが苦手な人が、始めるにもハードルが低いと思います」(同)


              

■できないことは他人を頼る、娘や息子におんぶにだっこは×


高齢になってからの一人暮らしで大切なのが、「自分でできないことはほかの人に頼ること」。
人から支援を受けること(受援)が、自立のポイントなのだ。


「単身けん(ひとりで生きるために、単身者の生活権を検証する会)」の石川由紀さんは、
上手に周りから支援を受けることを「受援力」と名付け、
高齢者が身につけるべきひとり力の大事な要素だと考える。


「何でも一人で解決しようと頑張ることが、ひとり力ではない。
とくに高齢者は、自分だけではできないことが増えてくるため、
周りから支援を受けることが大切です。
しかし、今の高齢者は人にお願いするのが、とても下手」(石川さん)


上手になるには、まず「自分は年上で経験が豊富」という意識を捨てること。

「今年の猛暑がいい例。
ニュースなどでは、“これまで経験したことのない暑さ”なんて言っていますよね。
残念ながら、今は昔の経験が役立たない時代だと思ってほしい」(同)



支援をお願いするコツは、頼る相手を限定しないこと。
一度にたくさんのことを依頼したり、何度も続けたりすれば、相手も嫌になってしまう。
それは息子や娘、孫などの身内や仲の良い友人でも同じ。


「相手の得意な分野について、少しだけお願いする。
そのため相手がどんなことが得意で、どんな頼み方をすれば喜んで協力してくれるのか、
想像力を働かせてみましょう」(同)


              

■病気やケガ、災害時のため、食料は2週間分蓄える


一人暮らしで困るのは、体調を崩したときだ。
70歳から持病に悩む人が増えてくる。
石川さんは「2週間分ぐらいの食料をストックしておくことで何とかなる」と話す。


冷凍食品やレトルト食品などでもいいが、缶詰などそのまま食べられる食料も用意を。
病気やケガで外出できなくなったときだけでなく、災害などでスーパーやコンビニなどが利用できないときや、
停電や断水などで電気や水が使えないときにも、役立つからだ。

              

■一軒家より集合住宅、賃貸なら住宅セーフティ、ネット制度を活用


持ち家の一軒家に住んでいるケースが多い高齢者。
一人では、掃除や管理が難しくなってくる。

そのような場合、シェアハウスとして家の一部を人に貸す、
家を売却して、高齢者住宅に移り住むといった方法がある。
事実、75歳以上になると、要介護認定率が上がり高齢者施設への入所が現実味を帯びてくる。


高齢者施設で、昨今、注目されているのが「サービス付き高齢者向け住宅サ高住)」。
なかでも、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)や住宅供給公社の空き室をリノベーションして使う、
分散型の高齢者施設が人気だ。

高齢者だけでなく、いろいろな世代の家族が住んでいるからだ。
コラムに登場するヒロコさん、ユキコさんなどの例は参考になるだろう。
ちなみに老後の未来年表を見ると、サ高住入居者の平均年齢は82.1歳だ。


賃貸はどうか。以前は高齢者の一人暮らしは、家賃の滞納や孤独死などへの危惧から敬遠されていたが、
最近はだいぶ借りやすくなってきたと中澤さんは言う。


「まだ数は非常に少ないですが、
昨年から国土交通省が空き家活用などで高齢者の入居を促す『住宅セーフティネット制度』を始めました。
自治体やURでも住宅相談に力を入れ始めています」


これは、新たな住宅セーフティネット法に基づき、
高齢者や低額所得者、子育て世帯などの「住宅確保要配慮者」に、事前に登録した民間賃貸住宅や空き家を提供する制度。

全国の総登録戸数は3400件弱。
大阪府が多く、まだ登録されていない自治体もあるが、注目の制度だろう。


              

■孤独死は前提。発見を早くするために“介活”を


最後は孤独死。一人暮らしでは、避けて通れない問題だ。

2016年に報告された東京都福祉保健局東京都監察医務院の「東京都23区における孤独死統計」によると、
2015年の65歳以上の孤独死の件数は3127人。年々その数は増えている。

孤独死の問題に詳しい淑徳大学総合福祉学部教授の結城康博さんは、
「男性が女性の2.5倍にのぼる。独居高齢者の孤独死は今後も増えていくでしょう」と話す。


「孤独死には、突然亡くなるケースと、倒れて具合が悪くなっても、助けを呼べないまま亡くなっていくケースの2通りがある。
それぞれに対応が必要です」(結城さん)


前者で重要なのは、“1日でも早く発見される”こと、
後者で重要なのは、何かあったときにすぐに助けに来てくれる存在。

そのためには自治体などの見守りサービスの設置はもちろん、
“人に気にされやすい人になっておくこと”が重要だと結城さんは話す。


「気にされやすい人になるためには、仕事でも、ボランティアでも何でもいい、
外に出て縁を作ることが大事です。
周りから気にされる人になれば、問題となる後者の孤独死は予防できます」(同)


さらには、「自分が介護される側になったときのことを想定して、準備を始める“介活”を」
と結城さんは呼びかける。

認知症や骨折などで、介護が必要になったらどう介護サービスを使うか。
これもひいては孤独死対策になるという。


好む、好まないにかかわらず訪れる一人での生活。
今から“ひとり力”をつけておくに越したことはない。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は記事を読み終わった後、具体的に多々教示され、
たとえ私がいつの日にか『おひとりさま』になってしまった時、確かなアドバイスに光明を感じ深めたりした・・。

そして特に学んだことは、《・・上手に周りから支援を受けることを「受援力」・・
相手の得意な分野について、少しだけお願いする。
そのため相手がどんなことが得意で、どんな頼み方をすれば喜んで協力してくれるのか、
想像力を働かせてみましょう」・・・》であった。

或いは《・・何かあったときにすぐに助けに来てくれる存在。・・
“人に気にされやすい人に、なっておくこと”が重要・・》を深く学んだりした。

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認知症に似た「せん妄」の恐怖、初めて高齢者の私は学び、動顛させられ、やがて・・。

2018-09-03 13:53:51 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【NEWSポストセブン】を見たりした中で、
『 認知症に似た「せん妄」の恐怖、不可解な暴言や鬼の形相に と題された見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに幸運にも、入院する大病には遭遇せずに今日に至っている。

こうした中、平素の買物の担当者の私は、家内から依頼された品を買い求めた後は
帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
歩き廻り、幼年期に農家の児だった為か、山川草木を愛(め)でながら、季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

私は認知症の病状には少し学んできたが、今回の《・・認知症に似た「せん妄」・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった・・。

            

この記事の原文は、『女性セブン』の2018年8月23・30日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【NEWSポストセブンに2018年8月16日に配信され、無断であるが転載させて頂く。              

《・・認知症に似た「せん妄」の恐怖、不可解な暴言や鬼の形相に

54歳のN女性記者は、認知症の母(83歳)の介護にあたっている。
その中で思い出したのは、亡き父が発症し、認知症と類似していた“せん妄”の症状だった。
 

17年前に、父(故人)が66歳で、くも膜下出血で倒れたときのこと。
救命救急に運ばれ、一命は取り止めたものの、入院中にせん妄を発症。

私が娘ということは、認識していながら突然、妄想の闇に陥り、不可解な暴言を吐いたのだった。


双子など、妄想のモチーフになるようなエピソードは思い当たらず、
もともと穏やかで、声を荒らげたこともない父の豹変ぶりは、少々ショックだった。

ただこのときは、主治医から事前説明を受けていたのだ。

「一時的にびっくりするような症状が出ますが、必ず元に戻りますから大丈夫。
落ち着いて見守ってくださいね」と。


そして主治医は回診の後、
「では部長、今日は失礼します。明日もよろしくお願いします」と、
父に頭を下げてくれた。

「おうっ」と手を振る父は、ご機嫌。

妄想の中では、主治医や看護師さんたちは、会社の部下だった。
白衣を着て診察もしてくれるのに、その矛盾は気にも留めない。

脳の病気とは、すさまじいものだと、母と顔を見合わせて感心しつつ、
夜間に、せん妄で暴れるらしい父を押さえる拘束ベルトを、まじまじと見た。


高齢になると、入院時はもちろん、それ以外の環境でも、せん妄を発症しやすく、症状の出方も多様。
認知症と似てはいるが、分けて考え、適切な対処や治療が必要だという。
これはごく最近、知った。

       

今思えば、母にも、せん妄が起きていたと、思い当たることがいくつもあった。

母の人生最大のストレスだった父の葬儀の前夜、20歳の乙女に戻り
元彼のことを延々と話したこと。

不安な独居時代、刑事が私のことを聞き込みに来たと、30分おきに電話をかけたこと。
私の家に泊まると決まって深夜に、鬼の形相で、金を返せとすごんだこと。


いずれも認知症の延長のようでいて、“豹変”といえる変化で、数時間後にはケロリと収束。
これが、せん妄の特徴らしい。


極めつきは4年前の暑い夏、今のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に引っ越したとき。
環境変化が認知症を悪化させるといわれたが、母はむしろ無表情だった。
でも実は、これも低活動性のせん妄らしい。


「ご近所を散歩していたら、三つ編みの女の子が手招きするから、
その家に入ったら、中年の女性がアカシさんを探していると言うの。
それで・・・」とボソボソ言ったか思うと、突然、部屋の中を歩き始めた。


引っ越し直後で散歩する暇はなく、話の展開も奇妙。
「認知症の悪化かしら?」とも思ったが、片付けに追われてしまった。


脱水も、せん妄の大きな引き金になると知り、あの母の異様な表情を思い出した。

母は幸いその後、落ち着いて事なきを得たが、
父のときのように事前にわかっていれば、気づけたかもしれない。
家族も勉強が必要だ。


それにしても、三つ編み少女とアカシさん、
そして17年前の父が“何もかも知っていた”という内容は何だろう。
妄想に根拠はないといわれるが、気になってしかたがないのも、家族の性(さが)だ。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

私は記事を読みながら、『せん妄』について初めて学び、動顛させられた。

何かしら入院時やストレスなどで発症する、と学んだりした。

人は誰しも過ぎ去った日々の中で、失敗した出来事、或いは成功体験を秘めている・・。
そしてこれから到来する日々に、人それぞれにささやかな願望がある。

こうした中で、何らか夢と現(うつつ)の世界を交差して、彷徨(さまよ)うようなひとときが、
激しくなった時に『せん妄』が発症するのかしら、と私は思ったりしている。

いずれにしても無学な私には分からないが、できうれば、
身近な人にも困惑させる『せん妄』に遭遇せずに、
いつの日にかあの世に旅立ちたい、と私は願ったりしている。

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精進料理を世界に伝える70代の女性、たぐい稀な言動に、高齢者の私は恐れ入りました、と呟(つぶや)き・・・。

2018-09-02 14:20:16 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 精進料理を世界に伝える70代 バイタリティーの源 】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
体力が衰えを実感している私でも、恥ずかしながら好奇心だけは旺盛で、
どのようなことですか、と思いながら記事を読んでしまった。

この記事の原文は、赤根千鶴子さんの寄稿文であり、
『週刊朝日』の2018年9月7日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット【AERA dot.】に於いて9月2日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
           
《・・精進料理を世界に伝える70代 バイタリティーの源

*  *  *

何せ、この人をつかまえることは、容易なことではない。
世界中を飛び回る精進料理研究家・藤井まりさん(71歳)。

藤井さんが、夫で僧侶の宗哲さんと精進料理教室を始めたのは36年前だ。
が、12年前に夫は他界。
いまは藤井さんが、ひとりで切り盛りをする。


「皆さん、引き続き来てくださるので、頑張らないと。
最近は、地方で教室を開講することも多いんですよ」


10年ほど前からは、海外からの出張リクエストも増えている。
イギリス、フランス、フィンランド、アイスランド、デンマーク。
今年はドイツ、イタリアで、精進料理のワークショップを開講してきた。


「禅やマインドフルネスのブームで、精進料理は、マインドフルな(心がこもった)食事として、
再び注目を集めてきているようです。

精進料理は、旬の野菜や大豆など、植物性食材のみで作ります。
ヘルシーなイメージも受け入れられているのかもしれませんね」


藤井さんが、国内外で料理と共に伝えていきたいのは、精進料理の精神だ。

「食材の身も葉も皮も、すべて使い切ろうという『一物全体(いちぶつぜんたい)』の精神。
そして生まれ育った土地柄と季節に合ったものを食べようという『身土不二(しんどふじ)』の精神を伝えていきたいです。
旬のものから滋養をとり、身体を守るという、昔ながらの食事の知恵は、忘れ去られてはならないと思います」


そして料理を作る時の心と、料理をいただく時の心も、広めていきたいという。

「料理は、一瞬一瞬に心を集中して作るもの。
いただく時は、感謝しながらゆっくり味わい『足るを知る』ことです。

『即今只今(そっこんただいま)』という禅の言葉があるのですが、
目の前の『今』と向き合うことが、一番大事という意味で私はとらえています。
食事はエサではありません。一食一食、決して疎かにはできないのです」


藤井さんは、人との縁も大事にしている。
「草の根的な縁でも、ご縁はご縁。
精進料理に興味を持ってくださった方がいるのであれば、どこでもすぐに飛んでいかなきゃ。

どう言っても、人生のゴールは近づいている。
ならば今できることは、今やらなければと思うんです。
細かいことは、走りながら考えればいいじゃない(笑)」・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や14年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
多々の理由で、サラリーマンを卒業して年金生活を始めた・・。

午前中のひとときは、私は平素の買い物を家内から依頼された品を求めて、
独り歩いて最寄りのスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている
買物メール老ボーイの身となっている。

この後は、帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
歩き廻り、幼年期に農家の児だった為か、山川草木をこよなく愛しながら、季節のうつろいを享受している。

こうした中で、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

             


やがて午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、ブログの投稿文を綴ったり、数多くの御方の投稿文を読ませて頂き、
多々シニア世代の日常生活を学び、人生の確かな教科書と学んだりしている。

私は恥ずかしながら青年時代に、映画、そして文学青年の真似事をして敗退し、
やがて音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めた為か、
書物やビデオ・テープ、DVDなどの映画作品、或いはレコード、カセット、CD、DVDなどの音楽作品は、
程々に所有している。

たとえば、その日に観たい映画は、居間にある映画棚が引き抜いて、
少し大きなテレビ画面を通して、鑑賞している。

このように年金生活は、勝手きままに過ごしている中、
家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は遠方地に独り住まいの家内の母宅に介護で、
6泊7日前後で行っている時は、私は我が家で『おひとりさま』の生活となっている。

             

このように箸にも棒にも引っかからず社会に役立たない私は、今回の記事を読んで、
精進料理を世界に伝える70代の藤井まりさんに、たぐい稀なバイタリティーあふれる言動に、
つたない高齢者の私は、恐れ入りました、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・・。

私が瞬時に感銘させられたことは、
《・・「食材の身も葉も皮も、すべて使い切ろうという『一物全体(いちぶつぜんたい)』の精神。
そして生まれ育った土地柄と季節に合ったものを食べようという『身土不二(しんどふじ)』の精神を伝えていきたいです。
旬のものから滋養をとり、身体を守るという、昔ながらの食事の知恵は、忘れ去られてはならないと思います」


そして料理を作る時の心と、料理をいただく時の心も、広めていきたいという。

「料理は、一瞬一瞬に心を集中して作るもの。
いただく時は、感謝しながらゆっくり味わい『足るを知る』ことです。
・・》

             

こうした深情の確固たる思いの上、
《・・精進料理に興味を持ってくださった方がいるのであれば、どこでもすぐに飛んでいかなきゃ。
・・人生のゴールは近づいている・・ならば今できることは、今やらなければと思うんです。・・》
こうしたことも学び、この御方のたぐい稀な言動力には、私は降参致します、と呟(つぶや)いたりしている。

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足つる対策、すねを伸ばす足つり予防ストレッチ、高齢者の私は初めて学び、やがて微笑み・・。

2018-09-01 14:40:09 | ささやかな古稀からの思い

先程ときおり愛読している生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に於いて、
『 足がつる原因は? すねを伸ばす足つり予防ストレッチ  』と題された見出しを見た。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
ここ数週間、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時ぐらいが多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。

やがてぼんやりと昨日は・・と思い浮かべたり、
今日は・・と予定事項を思い浮かべたりしている。

まもなく15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすことが多くなっている。
       
こうした直前、私は布団の中で、身体全体を伸ばして、足も延ばして、
今日も良い日でありますように、と心の中で願ったりしていると、
10日に一回ぐらい足がつってしまい、戸惑いながら一分ぐらい沈静化するまで、
おとなしくしている。

そして私は、老人になった為かしら、と独り苦笑したりしている。

過ぎし6日前、私は5歳若い家内に、このことを話したら、
『あたしだって・・一週間に一度ぐらい、朝目覚めた時に足をつることがあるわ・・』
と私は教えられて、お互いに微苦笑したりしてきた。

こうした心情を秘めている私は、
今回の『足がつる原因は? すねを伸ばす足つり予防ストレッチ』を学びたく、
こっそりと記事を精読してしまった。

              

この記事は、エクササイズガイドされている森 和世さんの寄稿文のひとつであり、
【All About(オールアバウト)】に2018年7月20日に配信され、
少し古い記事であるが、健康に関しては時空を超越し、無断であるが転載させて頂く。

《・・足がつる原因は? すねを伸ばす足つり予防ストレッチ

夏の夜や早朝に足がつりやすい・・・原因や対処法はある?

急に足がつった・・・夏の夜によくあるのはどうして?


夏は熱帯夜で寝苦しいのに加えて、夜中に足がつって、目が覚めてつらい、という人は少なくありません。

ガイドも夜中に「やばいやばい、来そう!」と思って目が覚め、
結局足がつってしまい、なかなか寝付けなくなる・・・という経験があります。

そんな辛い足つりを防ぐ、予防とケアのおすすめストレッチを紹介しましょう。



まず、足がつると言うのは、どういうことでしょうか。
運動の後や寝ている最中、ほかにもいつ起こる川からず急に来ることもありますね。

突然、ふくらはぎやスネがツンとつっぱって激痛が走り、しばらくおさまらない現象のことです。
原因は主に次のようなものです。


               

■ミネラルバランスの崩れ。汗をかいて栄養が不足してない?

血液中のカルシウム・マグネシウム・ナトリウム・カリウムなどのミネラルは、
体内の水分バランスを保つなどの重要な役割を持っています。

しかし、多量の汗をかくと、汗と一緒にミネラルが失われ、バランスが保ちにくくなります。
大量に汗をかいた日は、足をつりやすくなるので、
汗をかいたあとはもちろん、寝る前にも水分・ミネラルの補給をすると予防になります。

 

主な電解質(イオン)には、ナトリウムやクロール、カリウム、カルシウム、マグネシウムなどがあります。
これらは5大栄養素としてあげられるミネラルに属します。


電解質(イオン)は、細胞の浸透圧を調節したり、筋肉細胞や神経細胞の働きに関わるなど、
身体にとって重要な役割を果たしています。

電解質(イオン)は、少なすぎても多すぎても細胞や臓器の機能が低下し、命にかかわることがあります。


出典:大塚製薬 



■足の冷えや筋力・運動不足。ふくらはぎのミルキングアクションを!


運動不足やクーラーなどに冷えによって、下半身の血流が悪くなっていることも原因に挙げられます。

下半身は、ふくらはぎの筋肉が収縮と弛緩を繰り返すことで、
血管内の血液をポンプのように送りだすことで心臓に戻していますが、
筋肉量の低下や冷えによって戻りにくくなり、老廃物が溜まり、むくみや冷えがさらに進んだり、足がつりやすくなります。


特に、夏場はビーチサンダルやミュールなどのかかとなしの靴を履くことも多く、
無意識にペタペタ歩きになり、ふくらはぎのミルキングアクションが減りやすいもの。

つま先を持ち上げて、サンダルが脱げないようにして歩くため、スネが収縮したままの状態になります。
その収縮したすねをしっかりと伸ばしてあげないと、足はつりやすくなります。


そこで、今回は、寝る前に簡単にできる「すねをほぐすストレッチ」を紹介していきます。

               

夜中の悪夢にさようなら! すねをほぐす足つり予防ストレッチ

つま先・足の甲・足首・すねまで、まんべんなく、ほぐせるストレッチです。
むくみやすい部位でもあるので、夜寝る前に1分でも効果大。
ぜひ習慣にしてみてくださいね!


■効果:脚の疲労予防・解消、冷えやむくみ、足がつるなどのつらい症状を予防・緩和する。

■実践期間:寝る前に実践、もしくは足の疲れを感じた時にいつでも!

■やり方:
1.床に正座をして、両手を後ろにつける
スネつり解消ストレッチ1undefined正座姿勢から両手を後ろにつけて、脚の前側筋肉をほぐします

足つり予防ストレッチ1 正座の姿勢から両手を後ろにつけて、脚の前側筋肉をほぐします

正座の姿勢から両手を後ろにつけて、脚の前側筋肉をほぐします。
このとき、お腹を前につき出すようにすると、足の甲、すね、膝、太腿前側、お腹の筋肉が伸びます。
このまま10秒程キープしてください。


2.右膝を床から離し、右のすねを伸ばしながら10秒キープ
スネつり解消ストレッチ2undefined右膝を床から離し、スネをゆっくりストレッチ

足つり予防ストレッチ2 右膝を床から離し、すねをゆっくりストレッチ


右膝を床から離し、スネをゆっくりストレッチしていきます。
できる限り大きく離すようにすると、その分効果が上がりますが、痛みを感じたら膝をつけたままでもOKです。



3.反対の左膝から左すねも同様にストレッチ
スネつり解消ストレッチ3undefined左膝も床から離してスネをストレッチ

足つり予防ストレッチ3 左膝も床から離してすねをストレッチ


左膝も同様に床から離してすねをストレッチしていきます。
お尻(坐骨の骨)の位置を少しずつ変えて、
つま先からすねが無理なく伸びる場所をゆっくり探してみてください。

お尻の位置によって伸び具合、気持ちよさが変わります。


4.両膝を床から離して10秒キープ
スネつり解消ストレッチ4undefined両膝を床から出来る限り離し、両足の甲からゆっくりストレッチ

足つり予防ストレッチ4 できる限り両膝を床から離し、両足をストレッチ

できる限り両膝を床から離し、両足をゆっくりと伸ばしていきます。
つま先から足の甲、スネまでが気持ちよく伸びるように、お尻の位置を調整してください。

できる方は、坐骨(お尻の骨)で土踏まずを押すようにしてみてください。
こうすると、つま先から伸びやすく、土踏まずもストレッチされます。



■注意点:足首を痛めている人、足首が硬くて動作をすると痛みを感じる人は、
     決して無理をせず、伸ばして気持ちのいい範囲で行いましょう。

     伸ばした際に鋭い痛みを感じる方向がある場合、負荷を緩め、キープ時間を短めにしましょう。
     伸ばす時には、ゆっくりと息を吐きながら、伸ばしている部位に意識を向けて集中しましょう。


足つりさんに、おすすめのストレッチを紹介しました。
とても簡単で足のむくみも取れるので、脚ケアの一環として、寝る前の習慣にしてみてください。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                               

記事を読み終わった後、私は若い女性向けの記事と判ったりし、
若い女性でも、足がつることもあるんだ・・と微苦笑したりした。

そして体力の衰えた高齢者の私だって、足がつることは困苦するので、
今回学んだ、足つり予防ストレッチ・・真似ながら少しばかり始めた・・。

しかしながら、何かと不器用な私は、身体が固くなった為か、
解説されたような形にならず、苦笑してしまった。

そして少しつづ見習っていけば、何とか足がつることは解消できるよなぁ・・
と独り微笑んだりしている。

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