土曜日午後4時半、絵理子さんが研二くんと共に帰ってきた。研二くんのご両親は、いきなりの訪問は失礼だと律儀【りちぎ】にも芳の浦ストアーの前で研二くんを待っておられたという。研二くんだけ挨拶に顔を出し、間もなく彼らは宿泊先の「弓張の丘ホテル」に向かわれた。
午後6時半、両家初めての顔合わせが「佐世保ワシントンホテル」の「日本料理 桜川」の一室で行われた。
この度の件に関し当初、こちらにお出かけいただくのだから段取り一切、すべて当方でやるつもりでいた。が、研二くんが自分にやらせてほしいと申し出てくれ、その強い意志を汲み取り、宿泊先の予約を始め、すべてを彼に任せることにしていた。
約束の時間、ワシントンホテルに着くと、そこへ模試を受けた後、佐世保まで電車で駆け付けていた有紀さんが、友人の運転する車で到着し合流した。有紀さんは日曜日も模試があるという。翌早朝、女房どのが佐世保駅まで送って行った。受験生は大変だ。
ホテルの玄関で研二くんが出迎えてくれた。そろって、ご両親の待つ部屋へ向かう。部屋の前で父君にお出迎えをいただいた。ご挨拶を申し上げ、部屋へと入る。部屋で母君と挨拶を交わす。研二くんの案内に従い一同席に着く。
やがて、研二くんが司会を務め、互いの家族紹介が行われた。梅田家は、ご両親と研二くん。当方は女房どの、絵理子さん、有紀さん、くるみさん、それに私と全員そろった。
挨拶の後は乾杯だ。その後、次々に運ばれてくる料理に舌鼓【したつづみ】を打ちながら話が進む。
研二くんの家は代々続く本家だそうで、今でも何かあるごとに親戚一堂が彼の家に集まるという。父君は、優れた業績を挙げてこられた化学技術者と聞くが、本家の跡取りとして、しっかりと家を守っていかなければならないという強い考えをお持ちの方だとも聞いている。
公私にわたり、確信を持った生き方をなさっておられるのだろう。どうやら、私のような確信も何もない者などとは対極にある方のようだ。ただ、そんなへなちょこ野郎にも、それなりの思いはある。
その相違を研二くんと絵理子さんは心配していたらしい。特に、絵理子さんは私の頑【かたくな】な側面を知っているだけに、父君の言葉に対し、いつ私が切れるか、会食中ずっとはらはらしていたと後に女房どのから聞いた。
そんなに心配だったかと絵理子さんに尋ねると「お父さん、我慢していると思ってた」と言う。
当の私はといえば、実はこの日に至るまでの間、心中に葛藤【かっとう】を生じることもあった。けれども「自分の気持ちがそんなに大事か?」と自らに問えば、それは否だ。今回、大事にすべきは絵理子さんと研二くんの気持ちであり、2人を愛している人たちの気持ちだ。己【おのれ】の気持ちを大事にすることで、大切に思う人たちを悲しませてならないことは明白だ。いつの間にか自然とそう思えるようになっていた。
父君の言葉は、どうでもよかった。言葉よりも、絵理子さんを大切にしたいという思いが伝わってきた。後は酒を酌み交わすだけでよかった。
話が一通りついたところで、研二くんが「ここで儀式を行わせてください」と、おもむろに婚約指輪を取り出し、絵理子さんの左手の薬指にカルチェのダイヤのリングをはめた。みんなで祝福の拍手を送った。
その後も歓談は続き、あっという間に9時近くになり、桜川を後にすることとなった。
ワシントンホテルを出るところで研二くんが気を利かしてくれ、父君と私と研二くんの3人でさらに杯を交わすことにした。
そうはいっても、研二くんも父君も佐世保の街はご存じない。さりとて私も佐世保になじみの店などない。そこで思いついたのが、たしか深浦康市王位のA級復帰祝いの2次会で行った居酒屋「正宗」だった。そういえば、この日、初タイトルを獲った深浦王位の祝賀会が行われていた。
奥の座敷に通され、焼酎のお湯割りと西海の海の幸に舌鼓を打つ。トイレにたった際、店主に深浦さんのお祝いで来たことがあるんだと話すと、店主は、来てくれて嬉しいと小ぶりの瓶【かめ】に入った焼酎を出し、好きなだけ飲んでくれと言ってくれた。
聞けば、店主は深浦王位の子供の頃の将棋の師匠である川原さんの同級生だということだった。私は川原さんが好きだ。その川原さんの友人だという店主の好意が嬉しく、3人ともロックでがんがんいった。
そこで、うまい焼酎をひとしきりいただいた後、すっかり気分よくなった私の提案で佐々の街に繰り出そうということになり、タクシーを走らせた。
ところが、佐々に着くとすでに店のネオンが消えている。後で研二くんに聞いたところ、この頃、深夜の1時半から2時位だったらしい。タクシーをぐるぐる走らせ、ようやく1軒だけ明かりが灯っているところを見つけた。名物ママさんのいる「女」だった。
つかの間「女」で飲み、再び佐世保で飲もうということになりタクシーを走らせた。
佐世保に着き、研二くんが情報を得たライオンタワーの中にあるスナックに飛び込んだ。もう、この頃になると父君も私もすっかり出来上がっていた。研二くんだけがしっかりしていたようだ。彼が全部仕切ってくれていた。父君と私が交代でカラオケで歌ったのはかすかに覚えている。
結局、最後の店を出たのは明け方の4時半頃だったようだ。それから、研二くんと父君はわざわざ私を佐々の我が家までタクシーで送り届け、Uターンして宿泊先の弓張の丘ホテルに向かわれた。
研二くんと父君と徹底して飲んだ。言葉なんて要らなかった。
午後6時半、両家初めての顔合わせが「佐世保ワシントンホテル」の「日本料理 桜川」の一室で行われた。
この度の件に関し当初、こちらにお出かけいただくのだから段取り一切、すべて当方でやるつもりでいた。が、研二くんが自分にやらせてほしいと申し出てくれ、その強い意志を汲み取り、宿泊先の予約を始め、すべてを彼に任せることにしていた。
約束の時間、ワシントンホテルに着くと、そこへ模試を受けた後、佐世保まで電車で駆け付けていた有紀さんが、友人の運転する車で到着し合流した。有紀さんは日曜日も模試があるという。翌早朝、女房どのが佐世保駅まで送って行った。受験生は大変だ。
ホテルの玄関で研二くんが出迎えてくれた。そろって、ご両親の待つ部屋へ向かう。部屋の前で父君にお出迎えをいただいた。ご挨拶を申し上げ、部屋へと入る。部屋で母君と挨拶を交わす。研二くんの案内に従い一同席に着く。
やがて、研二くんが司会を務め、互いの家族紹介が行われた。梅田家は、ご両親と研二くん。当方は女房どの、絵理子さん、有紀さん、くるみさん、それに私と全員そろった。
挨拶の後は乾杯だ。その後、次々に運ばれてくる料理に舌鼓【したつづみ】を打ちながら話が進む。
研二くんの家は代々続く本家だそうで、今でも何かあるごとに親戚一堂が彼の家に集まるという。父君は、優れた業績を挙げてこられた化学技術者と聞くが、本家の跡取りとして、しっかりと家を守っていかなければならないという強い考えをお持ちの方だとも聞いている。
公私にわたり、確信を持った生き方をなさっておられるのだろう。どうやら、私のような確信も何もない者などとは対極にある方のようだ。ただ、そんなへなちょこ野郎にも、それなりの思いはある。
その相違を研二くんと絵理子さんは心配していたらしい。特に、絵理子さんは私の頑【かたくな】な側面を知っているだけに、父君の言葉に対し、いつ私が切れるか、会食中ずっとはらはらしていたと後に女房どのから聞いた。
そんなに心配だったかと絵理子さんに尋ねると「お父さん、我慢していると思ってた」と言う。
当の私はといえば、実はこの日に至るまでの間、心中に葛藤【かっとう】を生じることもあった。けれども「自分の気持ちがそんなに大事か?」と自らに問えば、それは否だ。今回、大事にすべきは絵理子さんと研二くんの気持ちであり、2人を愛している人たちの気持ちだ。己【おのれ】の気持ちを大事にすることで、大切に思う人たちを悲しませてならないことは明白だ。いつの間にか自然とそう思えるようになっていた。
父君の言葉は、どうでもよかった。言葉よりも、絵理子さんを大切にしたいという思いが伝わってきた。後は酒を酌み交わすだけでよかった。
話が一通りついたところで、研二くんが「ここで儀式を行わせてください」と、おもむろに婚約指輪を取り出し、絵理子さんの左手の薬指にカルチェのダイヤのリングをはめた。みんなで祝福の拍手を送った。
その後も歓談は続き、あっという間に9時近くになり、桜川を後にすることとなった。
ワシントンホテルを出るところで研二くんが気を利かしてくれ、父君と私と研二くんの3人でさらに杯を交わすことにした。
そうはいっても、研二くんも父君も佐世保の街はご存じない。さりとて私も佐世保になじみの店などない。そこで思いついたのが、たしか深浦康市王位のA級復帰祝いの2次会で行った居酒屋「正宗」だった。そういえば、この日、初タイトルを獲った深浦王位の祝賀会が行われていた。
奥の座敷に通され、焼酎のお湯割りと西海の海の幸に舌鼓を打つ。トイレにたった際、店主に深浦さんのお祝いで来たことがあるんだと話すと、店主は、来てくれて嬉しいと小ぶりの瓶【かめ】に入った焼酎を出し、好きなだけ飲んでくれと言ってくれた。
聞けば、店主は深浦王位の子供の頃の将棋の師匠である川原さんの同級生だということだった。私は川原さんが好きだ。その川原さんの友人だという店主の好意が嬉しく、3人ともロックでがんがんいった。
そこで、うまい焼酎をひとしきりいただいた後、すっかり気分よくなった私の提案で佐々の街に繰り出そうということになり、タクシーを走らせた。
ところが、佐々に着くとすでに店のネオンが消えている。後で研二くんに聞いたところ、この頃、深夜の1時半から2時位だったらしい。タクシーをぐるぐる走らせ、ようやく1軒だけ明かりが灯っているところを見つけた。名物ママさんのいる「女」だった。
つかの間「女」で飲み、再び佐世保で飲もうということになりタクシーを走らせた。
佐世保に着き、研二くんが情報を得たライオンタワーの中にあるスナックに飛び込んだ。もう、この頃になると父君も私もすっかり出来上がっていた。研二くんだけがしっかりしていたようだ。彼が全部仕切ってくれていた。父君と私が交代でカラオケで歌ったのはかすかに覚えている。
結局、最後の店を出たのは明け方の4時半頃だったようだ。それから、研二くんと父君はわざわざ私を佐々の我が家までタクシーで送り届け、Uターンして宿泊先の弓張の丘ホテルに向かわれた。
研二くんと父君と徹底して飲んだ。言葉なんて要らなかった。