「画期的」「身引き締まる思い」=法曹三者が抱負-裁判員制度開始で(時事通信) - goo ニュース
画期的といえば、確かにそうには違いない。立法や行政に関しては国民の意思が直接反映される仕組みがあるが、司法に関してのみ、それがなかった。
新しく始まった裁判員制度は、その司法の中核をなす裁判に国民が直接参加するというものだ。まさに画期的ではある。
民主的な政治の基本原則は、国の政治の主人公は国民であり、政治の在り方は国民自らが決めるというところにある。
つまり、政治における最高権力は国民にあるとするのが国民主権の原理だ。その観点からすれば、司法に国民が直接参加する機会を得ることは国民にとって歓迎すべきものではある。制度がスタートしたのだから、私たち国民1人ひとりが主体的に主権者としての意識を涵養【かんよう】し、政治権力が真に国民のために用いられるよう努める必要はある。
しかし、今回の制度については、さまざま指摘されているように拙速の感は免れない。反対する人たちも少なくないように伝えられている。
反対の代表的な声として「人を裁くことを押し付けるな」というのがある。
これは、日本国憲法が保障する基本的人権の中心にある国家の介入や干渉を排除して人々の自由を保障する自由権に拠るものだ。自由権の精神の自由の中に、思想・良心の自由がある。
職業として裁判官を選んだ人たちはともかく、私にも人を裁くという思想はない。
61,6-17,0
画期的といえば、確かにそうには違いない。立法や行政に関しては国民の意思が直接反映される仕組みがあるが、司法に関してのみ、それがなかった。
新しく始まった裁判員制度は、その司法の中核をなす裁判に国民が直接参加するというものだ。まさに画期的ではある。
民主的な政治の基本原則は、国の政治の主人公は国民であり、政治の在り方は国民自らが決めるというところにある。
つまり、政治における最高権力は国民にあるとするのが国民主権の原理だ。その観点からすれば、司法に国民が直接参加する機会を得ることは国民にとって歓迎すべきものではある。制度がスタートしたのだから、私たち国民1人ひとりが主体的に主権者としての意識を涵養【かんよう】し、政治権力が真に国民のために用いられるよう努める必要はある。
しかし、今回の制度については、さまざま指摘されているように拙速の感は免れない。反対する人たちも少なくないように伝えられている。
反対の代表的な声として「人を裁くことを押し付けるな」というのがある。
これは、日本国憲法が保障する基本的人権の中心にある国家の介入や干渉を排除して人々の自由を保障する自由権に拠るものだ。自由権の精神の自由の中に、思想・良心の自由がある。
職業として裁判官を選んだ人たちはともかく、私にも人を裁くという思想はない。
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