峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

子供との関わり方

2007年12月12日 | 学校教育
町内会の行事・活動の折、空き地を使わせている地主の山田さん【仮名】のお宅を、もちつき祭りのお礼でうかがった際、心温まるお話を伺った。

山田さんのお宅は小学生の通学路になっているという。かつては、家の横の小道を子供たちがにぎやかに登下校していったそうだが、今はほんの数人の子供が通るだけだという。
そんな中、今年の春に新1年生になった岩切千夏ちゃんという女の子が新たにその道を歩いて小学校に通うようになった。

その千夏ちゃんが朝、山田さんのお宅のそばを通って登校していくとき、山田さんは小窓に団扇【うちわ】を掲【かか】げる。その団扇には「おはよう。千夏ちゃん。行ってらっしゃい。きょうも元気でね」と書かれてある。
そして下校時、同じように山田さんは小窓に団扇を掲げる。団扇の裏側には「お帰りなさい。千夏ちゃん。きょうも楽しかった」と書かれてあった。

千夏ちゃん一家は、転勤族だという。千夏ちゃんは、いつ引っ越していくかもしれない。
千夏ちゃんが、私にはおばあちゃんが2人いるって言うんですよと、山田さんは嬉しそうに、帰りしな私にその団扇を見せてくれながら微笑【ほほえ】まれた。

見事な子供とも関わり方だと思う。
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思った通りに生きてごらん

2007年12月11日 | 父親と子
有紀さんの後期通知表が送付されてきた。3年生の定期考査は前期末で終了しているが、前期中間・前期期末とも総計の欄の順位が1とある。あらためて見直し感心する。

絵理子さんは高校時代、1ヶ月に1度は帰省していた。しかし、ふと気が付けば、有紀さんは、盆と正月を除きほとんど帰省していない。友人と寮生活を大いに楽しんできたらしい。

送付されてきた文書の中に「さて、いよいよ来月にはセンター試験を受験しますが…」とあった。もうそんな時期なのだ。

10月末、有紀さんがメールで受験したい大学を言ってきた。私は「もちろんいいよ。伝統と実績のある心理学教室だよ。しっかり勉強しなきゃね」と返事した。続けて有紀さんのメールには「うん。頑張ります。よかった。ありがとう」とあった。

有紀さんは、中学生の頃から臨床心理士になりたいと言っていた。その頃、当時、信州大学教育学部教育カウンセリング課程心理臨床専攻心理臨床分野におられた守一雄先生に影響を受け、高校入学後は信州大学に進むことを希望していた。
ところが、この春、守さんが突然、東京農工大学に移籍されてしまった。守さんが信州大学を辞められたことにより、有紀さんは、わざわざ信州の地まで行く必要がなくなった。
同時に有紀さんは、守さんが大学で学んだ臨床心理学を活かすには教員という職業が1番だと言っておられた言葉から開放された。教員養成系ではなく、純然と臨床心理学を学べるところに進みたいと考えるようになった。そう腹を決めたのが今年の夏頃だ。
しかし、その道はごくわずかな大学にしか用意されていない。当然、偏差値を上げる必要に迫られた。有紀さんは、そこから気を入れて勉強するようになったようだ。

先週、研二くんのご両親との顔合わせの時に帰ってきたが、元気そうだった。「頑張ってる?」「うん!」ぐらいしか話す時間がなかったけれど、有紀さんも頑張っているに違いない。

子供は次第に親から離れて行き、親は自らの道を進む。それが自然の摂理だ。
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祭りの後

2007年12月10日 | 町内会長
きょうは、町内会で毎月行っている地域デイサービスを支えてくださっている10人ほどのボランテイァのみなさんの忘年会の日だった。
毎年、私も誘われるのだが何かと多忙な時期でなかなか参加できない。朝一番、中島さん宅へ寸志を届けに出向いた。

洗濯物を干した後、公民館へ行き、町の公民館から借りていた持ちつき道具一式を返却する。臼【うす】を公民館から借りずに済むようになり負担が軽くなった。

お昼前までに、餅つきの場所をお借りしている佐世保の地主さん宅までお礼に伺うよう約束していたので、回る順序を変更して佐世保に向けて車で飛ばした。
佐世保の旧市街地は斜面に這【は】いつくばるように家並みが密集し、その間を縫うように通っている道は車がすれ違うのも大変だ。また、車が入らないお宅がほとんどだ。
地主さんの口添えで、いつも車をとめさせていただくお宅を伺い駐車をお願いし、地主さん宅へ向かう。

地主さんは、母と同じ年の女性でお1人暮らしだ。お礼に持参した昨日ついた餅【もち】をご仏前に備え、お参りさせていただいた。
広場の件について、その後の推移をご報告し、後はいろんなお話をした。お昼時だというのに地主さんは聞いてもらいことがたくさんのありなのだ。結局、地主さん宅を後にするときには午後1時半を過ぎていた。
車をとめさせていただいたお宅にもお礼に餅をお渡し佐々に引き返す。

佐々に戻り、役場の福祉保健課に行き紅白幕を返却し、薪【たきぎ】をいただいていた工務店にお礼の餅を届け、自宅に着いたのは3時半過ぎだった。

あの日の二日酔い以降、頭の芯の痛みがとれない。肩こりがひどい。多少、疲労がたまっているようだ。
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もちつき祭りとバースデー

2007年12月09日 | 父親と子
きょうは、今年で3回目を迎える「招福もちつき祭り」の日だった。

朝6時半過ぎ女房どのに声をかけられ目を覚ました。
「寒いよ」と女房どの。いい天気に違いない。急いで顔を洗い、女房どのが用意してくれた朝食を口にほおばる。

7時過ぎ、公民館に駆け付けると、すでに副会長が準備を始めていた。かまど3つにそれぞれ火を入れる。副会長が釜【かま】に湯を張りダイコンを入れる。空焚【からだ】きを防ぐためだという。さらには、別に信仰心があるわけではないんだがと言いながら、釜に塩を盛った。
自然に対する畏怖【いふ】というようなものを私たちは忘れるべきでないと思う。「金さえあれば「金があれば何でもできる」行き過ぎた資本主義・商業主義が私たちを誤らせている。

時間が経つにつれ、1人2人と集まって来られた。8時前に有線放送であらためてきょうのお祭りのご案内をする。次第に広場が活気を帯びてくる。
今年は風も無く、薪【たきぎ】もいい。昨年より30分も早いペースで最初のもち米が蒸し上がった。

昨年、町内会に住んでおられるある保護者が中心となり、お子さんの通う養護学校で初めてもちつきをされた。道具一式を副会長が貸した。当日、副会長夫妻と私も手伝いに出かけた。小雪の舞う寒い日だった。
去年やって好評だったということで年中行事にしたいと、経験を積むため養護学校の保護者3人の方が参加された。
清峰高校・佐々中学校の外国語指導助手(ALT)の参加もあった。町長と議長も顔を見せていただいた。

昨年に増しての参加があった。さまざまな交流があった。
みなさんの善意を集めることができた。そこに私の役割がある。今年も、みなさんが力を合わせ、いいもちつき祭りになった。

午後2時半頃終了。いったん帰宅し、シャワーを浴び食事を取り仮眠。夕方、副会長が出張先の愛媛からいただいてきたというミカンをどっさり届けてくれた。それを機に、洗って乾かしていた道具の片付けに公民館に再び出かける。副会長も一緒だ。

この日の作業をすべて終了し、米袋を力武さんに届けに行った帰り道、くるみさんのボーイフレンドが我が家の方から歩いてくるのに出会った。
「一緒だったの?」と尋ねると「はい、きょうは一緒に遊びに行ってました」との返事。
土曜日だったか、くるみさんにもちつきの手伝いに出ろよと言ったら、用事があるから出られないと言っていたが、デートだったのか。

夜、食事の後、女房どのがバースデーケーキをテーブルの上に載せた。すっかり忘れていた。きょうは、くるみさんの15回目の誕生日だったのだ。
バースデーにデートかいい思い出ができたね。くるみさん
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幹ぼうと正ちゃん

2007年12月08日 | 町内会長
昨日は、午後2時から図書ボランティアの監査のため、久しぶりに図書館に出向いた。
帰宅して間もなく午後2時45分、午前中に電話をもらっていた佐々南町内会長の藤田くんが車で迎えに来てくれた。この日は3時から町内会長会、その後懇親会となっていた。

昨夜、懇親会から2次会へと続く酒席から帰宅すると、玄関前に木材が届けられていた。明日の「招福もちつき祭り」に際し、薪【たきぎ】が足りなく、中学時代の友人で、現在建設業を営んでいる吉井の馬場くんに頼んでいたのだった。

高校時代の親友である藤田くんこと「みきぼう」、中学時代の親友である馬場くんこと「せいちゃん」、両君とも私にとっては、かけがえのない存在である。

昨日の町内会長会では、春から議論してきた敬老祝賀会の在り方について今回、最終結論を出すことになっていた。
町主催の敬老祝賀式をこのまま継続するのか、それとも私などが主張してきた各町内会に任せてもらうのか、あらためて私も含め数人の町内会長が意見を述べたが、後者に趨勢【すうせい】があり、最終的に折中案【せっちゅうあん】として出てきた来年度まで町主催でやり、再来年度から各町内会に任せてもらうというものに町長が同意し、話がまとまった。

議題の最後、その他の項目のところで昨日のブログに記した「長崎県教育委員会服務規律強化月間」について、佐々町の取り組みを教育長に尋ねた。
何かを期待していたわけではなく、教育長を追及する気でもなかった。ただ、先の町議会で、ある議員が何かとお騒がせな教員のことを取り上げていたこともあり、そのことも含め、会議に出席しておられる皆さんに、お寒い教育界の状況を知っていただく意味はあるだろうと考えた。
ここで、これ以上記すのは控【ひか】えるが、教育長の果たす役割って何だろうと思う。

懇親会の席で、数人の課長が話をしに来てくださった。役場の職員のみなさんの中にも、熱い志を持った方がいる。手を携【たずさ】えていい町づくりができればと思う。

さて、きょうは明日の「招福もちつき祭り」に備え、あれやこれやと準備に追われた。みなさんの協力を得て65㎏ものもち米研ぎも済んだ、副会長が一から作ったあんこも仕上がった。
このところ急に寒くなってきたが、みなさんと力を合わせ楽しい、福を招くお祭りにしよう。
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思考停止

2007年12月07日 | 学校教育
数日前、北高の2年生になる拓海くんが塾に寄ってくれた。
聞けばテスト期間中だという。勉強に差支【さしつか】えないのかと問うと、テスト期間中だから来られるのだと言う。
なるほど、普段は学業のほかに部活があるわけで、私などのところに寄る時間なんてないのだ。彼は、空手を続けたくて北高を選んだくらいだからなおさらだ。
そう言われてみれば、彼が私のところに来るのはいつもテスト期間中だと思い当たった。

中学生がいる間、彼は折々話しながらも、持参した教科書等を広げ、シャーペンを走らせていた。
午後10時に中学生が帰った後、1時間ほど話した。特に、このところの社会の混迷の様子を話しているうち、どうも人類の歴史が人間一個人の歴史に重なるように思えてきて、そのことについて語っているうちについつい長くなってしまった。

もちつきの手伝いに来られるか尋ねると、空手の試合がなければ来ると言ってくれた。
彼と西高2年生の周平くんは、町内会でもちつきを始めて以来、続けて手伝いに来てくれている。今では町内会のみなさんとも顔なじみだ。
その周平くんにも、もちつきの手伝いを頼むとメールしていた。数日、返事がなかったのだが、昨夜、メールが届いた。それによると、ケータイを学校に取り上げられていたとのこと。どじを踏んだものだ。

ケータイを学校に持ってきてはいけないという高校がほとんどのようだ。しかし、高校生の9割方はケータイを持っている。
彼らは言う。高校生はケータイがなければ、ほとんど生きていけないと。それほどケータイは彼らの生活に密着している。そして、私の知る限り、多くの高校生がケータイを学校に持参している。

授業中にどじを踏むと、周平くんのように取り上げられることになるようだ。それでは、一度どじを踏んだ者はその後どうなるだろう。ほとんどの子供が次は見つからないようにと考えるだけだ。
学校側は、子供が反省して二度と持ってこなくなると本当に考えているのだろうか。まさか。おそらくは思考停止状態なのだ。

長崎県は、ただ今「長崎県教育委員会服務規律強化月間」の最中【さなか】にある。
これは「教職員による不祥事が続発し、教育に対する期待や信頼が大きく損なわれている現状を厳しく受け止め、不祥事を防止するための取り組みを強化するため…」(HPでの県教委の発表から一部抜粋)
「体罰はいけませんよ」「女の子の体に触っちゃいけませんよ」「お酒を飲んだら車を運転してはいけませんよ」「公のお金を盗ってはいけませんよ」などということを先生たちが職員室で真剣に話し合っているということだ。でも、誰が誰に言うのだろう。
ちなみに12月は「飲酒運転の根絶」ということで、先生が「酒を飲んだら車に乗りません」などの誓約書を書いているという。

子供のケータイどころの話ではないのだ。思考停止になるには訳がある。
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お詫び

2007年12月07日 | 将棋
昨夜来の雨が降っています。長崎県にとっては恵みの雨です。

さて、昨日、女房どのから、深浦さんのお姉さんとは学校の教員と学校に在籍する児童の保護者のお1人としての関係であり、お子さんを直接受け持ったことはない旨のメールが入りました。
折々女房どのから聴く話の様子から、たいへん親しくさせていただいているようで、そのことから、てっきりそうだと思い込んでいました。私の思い違いでした。申し訳ありません。訂正【ていせい】させていただきます。
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扇子【せんす】

2007年12月06日 | 将棋
今朝、今季一番の冷え込みだった。寒いのは辛いけれど、師走に似つかわしい。

深浦王位のお姉さんが女房どのの勤務する小学校区に住んでおられる。正確に言えば、深浦さんの奥様のお姉さんである。お姉さんと女房どのは保護者と担任という間柄であった。ご縁というのは不思議なものだとつくづく思う。

そのお姉さんから深浦王位の扇子をいただいた。日曜日、ハウステンボスで行われた深浦王位就位祝賀会の記念の品だ。
ちょうどその日、研二くんのご両親との顔合わせの日と重なり、残念ながら私たち夫婦は祝賀会に出席できなかった。それをご存じなかったお姉さんが祝賀会場に女房どのの顔を見つけられず、どなたかにそのわけをお聞きいただいたようだ。
そこで、記念の扇子とお菓子を月曜日にわざわざ学校まで届けてくださったらしい。そのお心遣いに2人して感激した。

扇子には「臥竜鳳雛【がりょうほうすう】」と揮毫【きごう】されてある。注釈によれば、誰しもが大物になる可能性を持っているとある。
それは深浦王位の、子供たちに対するメッセージであり、ご自身に対する確信であり、鼓舞【こぶ】なのだろうと感じた。

私は、深浦さんの「英断」と書かれた扇子を、いつも持ち歩くかばんの中に入れて折々愛用している。朝日オープン選手権者として羽生二冠を迎え撃った佐世保対局記念の扇子だ。
「臥竜鳳雛」の扇子を使う頃には、どんな記念の扇子を手にすることになるのだろう。
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善意よ集まれ

2007年12月05日 | 町内会長
日曜の夜半から月曜の明け方にかけ、本当に久しぶりにまとまった量の雨が降った。それでも、佐世保市内に6つあるというダムの貯水量は大きく増えず、予定通り15日から断水が実施されるという。
人間なんて、実にはかない存在だ。雨が降らなければ生きてはいけない。自然の摂理【せつり】に反する人間社会に未来はない。

先日の竜神祭の直会【なおらい】での挨拶の中で町長は、佐世保市が水が無くて困っているから佐々川の水をやろうと言っているのに、県は法に反するからダメだという。しかし、政治は法ではない。困っている人たちがいるならば助けてやらなければならないと述べておられた。
もっともだと思う。町長には、その言葉を忘れずにいてもらいたい。

雨の後、めっきり寒くなった。今週末の「招福もちつき祭り」を含め、いろいろなことに追われる。
そんな中、昨日、小森さんからもち米を10kg贈るからと電話が入った。小森さんの気持ちが嬉しい。すでに下利さんからも5㎏のお申し出をいただいている。

連日、子が親を殺すという何とも不幸な事件が報道されている。何かと暗い世相【せそう】だからこそ、町内会のみなさんの善意を集めて、楽しいもちつき祭りにしなければならない。

写真は、お隣の庭の楓【かえで】の紅葉です。
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敬意と祝福を

2007年12月04日 | 家族
研二くんと、彼の父君と徹底的に飲んだ翌日、8時半くらいに目を覚ましただろうか。ひどい頭痛だ。これまで経験したことのないほどの二日酔いである。食欲もなかった。お昼時、女房どのがご飯と味噌汁を装【よそ】ってくれ、梅干を添えてくれたが、一口食べただけで吐き気がして箸をおいた。みんなは美味しそうに食べている。

研二くんからの連絡では父君もお昼頃まで休みたいということで、我が家へお出でいただくのは午後2時半ということになった。
私も、ゴロゴロしてテレビを見ていたが、時計の針が午後2時を回る頃になり頭痛も治まった。

約束の時刻どおりに研二くんとご両親が車で我が家をお訪ねくださった。昨夜、互いに全部さらけ出し飲み明かした仲だ。体裁【ていさい】を繕【つくろ】うこともない。みんな打ち解けていた。
母君と女房どのが、お互いの亭主の酔っ払い振りを語り、みなの笑い声が座敷に響いた。

私と仲人さんの日程を調整しなければならないが、結納【ゆいのう】は来年3月下旬をめどに、結婚式を6月中旬に行うということで話がまとまった。
その他、お互いの家の話など和やかに交わし、あまり遅くなってはということで午後4時過ぎ頃、4人は車に乗り込んだ。
父君がハンドルを握り、助手席には母君。後部座席に研二くんと絵理子さんが並んで座った。見送るのは女房どのとくるみさん私だ。

若い2人は、両家の両親の顔合わせが済み、了承を得られたことで間もなく一緒に暮らし始めるという。
大学入学後に出会い、大学2年の時には互いに結婚を意識したという2人。出会ってから7年、互いへの変わらぬ尊敬の念と愛情を育【はぐく】み、それぞれが自らの力で、希望に満ちた未来へと続く扉【とびら】をこじ開けてきた2人に、心からの敬意を表し、祝福の言葉を贈ろう「おめでとう」
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