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 触れもせで

2017-12-09 22:28:56 | 日記
 予定達成! という感じでパソコンに向っている。今日は軽いクリスマスソングのジャスが流れている。

 先日、友達とランチに回転寿司に入った。めったに行かない二人は受付のところからと惑いながらお寿司を食べた。「佐藤愛子さんも言っていたけど、IT化が進むと本当に馬鹿になるわね。スマホをそんな便利なもの馬鹿になりますは 正しいわね。カードでなんでも支払いが出来るのは便利だけど、お金というのはお札が10枚という感覚がなくなるのは恐いわね」と友達は言う。お金が減っていくという(使った)感覚が無くなるのは恐い気もする。

 そんな折、今朝NHKで電子マネーの話をしていた。海外から来る人たちはスマホでの決済が便利なので、そういう店を(システムを)増やしていくのがいいという意見と、日本人はお年玉にしても、祝儀・不祝儀にしても袋にお札を入れて渡すというような習慣があるから、お年玉が電子マネーとは・・?という意見だった。

 たしかに現金を必要としない(特に小銭)システムは便利なことも多い。新幹線も飛行機もスマホが便利だ。もはやスマホがないと損をする感じもする。昔、マンションを買ったときに、100万円というお札の束がいくつも目の前にあった。(あれが最後だが)その束で自分の買い物の大きさを知った。そういう量感を感じるのは必要に思う。本もそうなのだが、電子書籍を好きでないのは、残りのページの感覚がないことだ。あと、どのくらいか紙の枚数で感じることが出来る。読み終わった達成感もそうだ。量に対する感覚は必要だ。

 「触れもせで」は久世光彦が向田邦子との思い出を書いた本のタイトルだ。SNSの人間関係が「触れもせで」のように、電子マネーはお金に触れることはない。「触れない(触感のない)人間関係や金銭の関係でいいのだろうか? と思う。無くしたときの大きさを知ることもできない。もし、「触れもせで」で関係がうまくいくとしたら、それは長い年月と想像力とさらに第六感(霊感)が必要だろう。

 あと10年したら、20年経ったら、退化する脳の部分はないのだろうか と心配なのは私だけだろうか。

 
コメント
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